Race3. 少女たちの落陽
「ここにいるのでしょう? 案内していただけないかしら?」
……仮に断ったとしてもこの場所だ。指定席という理想郷は柵に囲われた楽園でもある。柵の中に来望がいる以上、それを逃がすというのは無理が過ぎるぞ。
「……分かりました」
「話が早くて助かりますわね」
「その前に払い戻しだけさせて……」
「……払い戻しは大事ですができるだけ早くお願いしますわ」
多少の時間稼ぎになるか……いやキツいか。来望はこの事情を一切知らない。これは単なる気休めだ。これから起きるであろうドンパチに対する気休め。……大丈夫だ。パチンと頬を叩くと、絵愛のところへ戻る。
そしてオレ達の席に戻るとそこには、
「やっほー颯馬ちゃん」
「なっ……長岡悠里……!」
来望の代わりに男装した悠里さんがいた。のんきに新聞を眺めながら予想をするその姿は麗人という見た目のイメージからあまりにも乖離している。だが、果たした役割だけでいえば有能な執事そのものだ。
「長岡悠里! こいつのツレを出しなさいよ!」
「えっ、アタシ?」
「ちーがーうー! 居たじゃない! 真っ白な髪で! 眼帯つけてて! ほよよ~って感じの!」
「アトモスちゃんの見間違いでしょ」
「アトモスちゃん言うなー!」
さながら漫才である。余談だが、悠里さんは絵愛のことをアトモスちゃんと呼ぶ。絵愛からエアを連想して、そこからアトモスフィアでアトモスちゃん。
「大体わたくしはアンタとこいつのツレが話してるところもしっかり見たのよ!」
「はぁ……その子ならもう帰ったよ?」
「え?」
「だから帰ったって。『ここのチキン(*1)食べられたから満足~』って」
さりげなくオレの方に新聞を見せる悠里さん。その新聞にはマーク(*2)が打たれているが、そのマークは馬名に打たれているように見える。それを辿ると、『ウソ』と読めるようになっていた。
「確かにここのチキンは来たら食べたくなりますけれども! ってまだ1レースしか終わってませんわ!」
「だーかーら、帰っちゃったものは仕方ないでしょ。あの子にとって競馬よりチキンなのよ」
「……それなら仕方ありませんわ」
あっ折れた。……絵愛は意外とチョロいのだろうか?
「で、今日もひとりで来たんでしょ?」
「アンタにそれは関係ないですわ」
「はいはい、一緒に競馬しようねー」
「こらー! まだするとは言ってないじゃない! フライドチキン2本で手を打ってやりますわ!」
いや手を打つんかい。こうしてチグハグなふたりはガヤガヤ騒ぎながらこの場を離れていった。やけに仲がいいなと思いつつもその様子を眺めていると、来望が戻ってきた。来望は今自分が置かれている状況を理解できておらず、いつもみたいなクールさで席に座る。
「どこ行ってたんだ?」
「お手洗い。何かあったの?」
「いや、なんでも……」
あのコントは来望が知っても面白くないだろう。というかあの2人やけに仲が良かったな。口ではメチャクチャケンカしてるように見えても意外と仲が良かったり……というのは考えすぎだよなぁ。
結局この日の競馬が終わっても2人は戻ってこなかった。本当に一体何だったんだ……?
◆
お昼時になると流石に人の出も多くなる。人気のある飲食店は当然並ぶので、オレ達は少し遠出して内馬場までやってきた。内馬場も確かに人がいるものの、スタンドの比ではない。
「……ここのそば屋、穴場」
「だろ?」
悠里さん情報だがな。絵愛がいるのではないかと思ったがいなくて拍子抜けしたのはオレだけでいい。来望はなんでもないと言わんばかりに蕎麦をずるずると啜っている。周囲の人たちもその異様な姿に呆気にとられているようにすら思う。そりゃ白銀の髪を携えた美少女が競馬場で蕎麦啜ってたら誰だってびっくりするわ。
内馬場に来たのはもう一つ理由がある。手元にある高額馬券の払い戻しだ。蕎麦を食い終わるとオレは1人で払い戻し場に行き、手元にあった高額馬券全てを払い戻した。その総額は500万円くらいだろうか。それを受け取ると全てリュックに詰め込んで後にする。
「……強盗?」
「じゃないよ」
それは札束の入れ方の問題だと思うよ?
◆
「……美味しかった」
「最初に出る感想がそれ?」
「でも競馬も楽しい」
「それなら良かったよ」
帰りのタクシーの中でオレ達は今日のことを振り返る。あの後飯を食べ、酒を飲み、飯を食べ、飯を食べ、思い出したかのように馬券を買う。来望のセンスはなかなかのもので、3連単を自力で当てるとはいかないものの、3連複は当てていたのでビックリした。
「……」
「ってもう寝てるか」
今日一日いろんなことがあったおかげで来望もおねむだ。寝ている来望の頭をそっと撫でてやると、
「ん……颯馬……そこ、ダメ……」
「一体どんな夢見てるんだか」
やけに艶めかしい声の寝言を言い放つ。オレは軽く呆れながらも、今日が無事に終わったことに胸をなで下ろすのだった。
■
*1 東京競馬場において『鶏肉を揚げたもの』を提供するお店はかなりあるが、その中でも『鳥千』抜きに語ることはできないだろう。1本350円のフライドチキンはボリューム感満点で食べ応えがある。それを2本も食べれば人によっては昼食代わりになるだろう。東京競馬場に訪れたならば是非とも食べたい一品。
*2 スポーツ誌の競馬欄に書かれている◎や○のこと。
◎が本命で最も勝ちそうな馬、○が対抗で2番目に勝ちそうな馬、▲が単穴であわよくば1着になりそうな馬、△が連下で、1着は無理だが2,3着は確保しそうな馬という意味。
マークを打つ人によっては☆や×などもあるが、基本は上の4つを抑えておけばOK。ここに自分の意志で印を打てるようになれれば競馬ビギナー卒業に一歩近づけるだろう。
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