Race2. 女帝の論理

 溝呂木絵愛。彼女との因縁は深い。オレが競馬サークルに入ったのがちょうど入学してすぐの頃。当然馬券を買うことは許されないが、サークルメンバーの新入生内でやったエア馬券勝負では初回で1位を取ってしまったのだ。


 競馬、特に馬券勝負のみに絞れば当然その日によって回収率というのはまちまちである。たまたま万馬券を拾ったおかげで回収率トップになったというのはザラであり、オレはその時の勝負に勝ったからと行ってそれが誇れるものだとは到底思っていない。


 しかし、絵愛は何回か行われた勝負の中で、オレを気に入ったらしい。1年の夏、オレは絵愛に北海道旅行に誘われたのだ。費用を絵愛が全部持つということでオレはホイホイ北海道まで行ってしまったのである。


 絵愛の実力はサークル内でもトップクラスであり、その大きな特徴として圧倒的なデータ量である。コースの適正や距離適正、血統に枠番の相性、さらには近年の傾向からオカルトまで、データであればありとあらゆるものを引っ張り出してくるデータ狂である。


 そんなデータ狂である絵愛がなぜオレなんかに執着するのか。その理由は北海道で明らかになった。札幌競馬場メインレース、そのパドックを眺めながら絵愛はオレに問いをぶつけてきた。


「颯馬さん、貴方のお気に入りの馬はどれかしら」

「お気に入りですか……そうですね、あの子とかどうでしょう」


 『お気に入り』という表現が少し気になるが、オレは何となく気になった馬を指さした。その馬は人気馬という程ではないがかといって大穴にもなり得ない、中途半端なぐらいの能力の馬だった。しかし、その答えを聞いた絵愛は、


「そう。わたくし好みの回答ですわね」


 と言ってほくそ笑み、馬券を2枚買ってきた。1枚は自分用の本気の馬券、そしてもう1枚は先ほどオレが指名した馬の応援馬券だった。


「溝呂木さん、これは」

「買い間違いです。ですから颯馬さんにあげますわ」


 いや買い間違える要素ないだろと思いつつも、オレは素直に受け取っておくことにした。これもまだ自分自身の手で馬券を買えないオレに対する配慮のようなものなのだろうかと考える。しかし、その予想はレースが終わったときにひっくり返された。


 オレが指名した馬、その馬こそがこのレースの勝者。そして上位人気馬が悉く沈み、メインレースにして馬券は大荒れである。そしてその状況をまるでかのように絵愛は微笑を浮かべていた。


 明日もまた競馬があるものの、盛大に儲けたオレ達は市内の回転寿司屋で豪勢な食事を取っていた。その時に絵愛がこんな話題を振ってきた。


「颯馬さん、『競馬に絶対はない』とはよく言いますわよね」

「ええ。最強王者も負けるときはあるし、時に穴馬が下剋上を果たすときもある」

「そうですわね。そんな状況を何度も見てきました」


 大トロを躊躇無く取ってそれを口に運ぶ。今ここで食べている寿司の金を全て払ってもまだプラス収支になるとあってオレの気分もいささか豪勢になっていた。絵愛もこぼれんばかりのいくらの軍艦を口に運び、それを咀嚼するとまた言葉を続けた。


「それは当然データにも絶対はないということ。どれだけのデータを積み重ねてもそれを裏切る馬が現れるのが競馬の難しさであり面白さですわ」

「そうですね」

「わたくしはデータこそが全てだと思っていました……ですがそれは貴方の存在によって打ち砕かれたんですよ、颯馬さん」


 箸が止まる。オレが何をしたというんだ?


「わたくし、サークルの皆さんの予想スタイルを完全に掴んでいますの。ですからどのような予想を立てるのか、大体想像がつきますわ。ですが颯馬さんの予想スタイル、貴方のものは未だに分かりませんの」

「そうですかね?」

「ええ。貴方の予想には一貫した軸がない。あるときは騎手の質で決めたかと思えば、今度はペース配分で決めているような……。それがレースによって臨機応変というのならば説明がつきますがその説明がつかない。貴方の存在そのものがデータとして不適格ですわ」


 かなり酷いことを言われているような気がする。が、どうやら絵愛はそれを酷いことだと思っていない。むしろその目を見る限り、その能力に羨望を見出しているようにすら思える。


「だからこそわたくしは貴方が欲しい」

「……はい?」

「わたくしのデータは貴方の力によって完全になる。わたくしはそう思っていますわ。そのためには貴方をわたくしのお嫁さんにしてでも」


 それ以来、絵愛はオレのことをまるで彼氏か何かのように扱いはじめた。毎週のように競馬場に引っ張り出そうとするようになり、それができないならばお気に入りの馬を教えるように言われるようになる。


 そこを境にサークルそのものの雰囲気も変わりはじめた。最初は緩く、競馬という『スポーツ』を楽しもうとしていたのが、徐々に『ギャンブル』としての競馬に傾倒し始めるようになる。そうなれば当然サークル内の不和も高くなるもので。


 オレの存在もまた不和の一員であった。絵愛がオレに傾倒するようになってからというものの、絵愛の狂信者とも言える勢力が現れる。明白な攻撃を仕掛けてくる彼らを守ったのは、他でもない悠里さんだった。かくしてここに最終戦争の鐘は鳴る。絵愛派と悠里派による代理戦争によってサークルは維持することが不可能になり、真っ二つに分かれてしまったのだ。


 オレにしてみれば、絵愛が勝手にオレのことを彼氏か何かのように扱ったせいでサークルがメチャクチャになるわ、狂信者に攻撃されるわ、どさくさに紛れて悠里さんに女装させられるわで散々な目に遭っている。故にあまり絵愛に対していい印象は抱いていないのだが……


「……わたくしのものになる気はないのですね」

「残念ながら」

「それは貴方の幼馴染さんと関係がありまして?」


 身体がピクリと反応する。幼馴染、それは間違いなく来望のことだろう。だが相手はまだ来望の名前を出していない。そこを突かれるのは非常にまずい。


「……何のことです?」

「とぼけても無駄ですわ。わたくし見ましたもの。雪原みたいな髪をしていた女の子と仲良く話しているところをね!」

「だとしても……それが貴女に何の関係があるんです?」

「話をつけますわ。わたくしこそが貴方の隣にふさわしいと」


 どうやら女帝さんは引き下がるつもりはないらしい……どうする、オレ?

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