Race6. 乾坤一擲
「いやー食った食った」
「あんなお肉……はじめて」
オレたちは悠里さんの奢りで高級焼肉を食べ、その帰路に就いていた。やはり高級焼肉というだけあって絶品であり、場にいた全員が会話することすら忘れ目の前の肉に食らいついていたほど。そうして舌鼓をうっているうちに日は沈み、道すがらに現れる街灯が頼もしいほどだ。
「……なんで着替えたの?」
「あの格好で肉はちょっと」
「それはそれで……悪くないよ?」
「勘弁してくれよ……」
今こうして歩いているのは普通の服装に戻ったオレだ。決して女装はしていない。というか女装して焼肉に行ったら服が汚れそうで怖い。あの服高そうだったしな……。
「ラムちゃんの話本当だったんだな」
「……ん」
「それならさ……オレたちの未来とかもう見えてるんじゃないか?」
そんなことを聞いてみると、来望は首を横に振った。
「見えないの」
「……見えない?」
「普段は……普通。でも……競馬に関することを見ると、見えちゃうの」
「だから眼帯を買ったのか」
「ん。見えると疲れちゃうから」
突然オッドアイになってしまった来望は『カッコいい』と言っていた。オッドアイであることに特に不満はなかったし、なんならオッドアイになったことを誇らしげにしていたのは記憶に新しい。そんな来望が眼帯を買う理由など存在しないはずだ。
でも来望は眼帯を買った。右目を物理的に塞がなければ余計な情報が入ってきてしまうから。それはやはり来望にとっても大きな負担になるのだろう。
「颯馬」
「なにラムちゃん」
「競馬……やめるつもりないの?」
「ない」
「どうして?」
オレと来望の間には絶望的な認識の溝が存在する。この溝を埋めなければ永遠に終わらない論争を続けることになってしまう。だからオレはここできっちりとケリをつけるんだ。
「オレは競馬をただのギャンブルだと言い切りたくない。もちろんギャンブルであるのは当然なんだけど……それ以上にレースが生み出す熱狂が好きなんだ」
「……熱狂?」
「そう。何というか……サッカーとかでゴールを決めたときに観客が沸くみたいなそういう感じのやつ」
「……お金賭けてるから当たったら盛り上がる」
それはそうだ。最後の直線になれば当然観客の『差せ』だの『残せ』だののコールは一段と湧くし、客層が悪いエリアに引っかかればそれは騎手への罵声に変わることも少なくない。ある意味競馬の負の側面と言ってもいいだろう。
「……というかさ、なんでオレに競馬やめてほしいんだ?」
「颯馬、誕生日になってから週末どこか行っちゃう」
「あー……うん、それはオレが悪い」
つまりオレが来望のことをほったらかしにしていたことが悪いようだ。オレは来望がそういう熱視線で見ているとはプロポーズされるまでは思っていなかった。プロポーズされてからそこに気付くとは愚かにもほどがあるぜオレ?
「それにユーリさんのこともあるし」
「あー……」
「変だって聞いてたけどほんとに変……だから取られないとは思った」
変なところで自信満々だな。
「でも競馬に取られるのはくやしい」
「競馬に負ける悠里さん」
「変だけどいいひと」
今日のあのビジュアルだけなら百合に挟まる男だな。でもオレたちの恋路を応援しようとしているところを見ると根はとてもいい人だと来望に分かって貰えたのは良かったと思う。
そうしてもうすぐ家に辿り着くというときに、来望がオレの身体をがっしりと掴む。突然の出来事にビックリしつつも、来望の真剣な眼差しにオレは何も言えずにいた。
「だから私を大切にしてくれない競馬なんていらない、颯馬は私だけ見て」
「……ラムちゃんはさ、競馬好きのオレは嫌い?」
「嫌い……とはいえない、でも私が一番じゃなきゃ、嫌……!」
涙ぐんだ声でオレにそうやって訴えかける来望ちゃんの顔はぐちゃぐちゃになっていて。……オレのことを好きだって言ってくれる子にさせていい顔じゃないよな。そんな顔を見せられたらオレは……オレは。
「ラムちゃん、今週の土曜にデートしよう」
「……デート?」
人生には選択の時がある。そしてその選択の時が今だというなら、オレは自分が大事だというものを守る選択肢を選ぶ。それが、オレにとって魂に染みついているようなものを捨てるとしても。
「……うん。土曜日、楽しみにしてる」
来望の顔に少しだけ笑みが戻った。オレはそっと来望の頭を撫でる、撫でてやると普段は甘えたような声を出してくるのだが、今日はただこちらに視線を送るだけだ。
「……颯馬?」
「……大丈夫だよ。心配しないでラムちゃん。明日料理作りに行くから」
「うん……」
「じゃあ……またね?」
「うん」
オレたちはそれぞれの部屋へと戻った。大丈夫だ、オレの選択は間違ってない。これは間違った選択肢を選ぼうとしたが故の警鐘だ。オレは来望みたいに未来を視ることはできない。でも未来を視なくても分かることはある。
来望の負担の原因を取り除くこと、それがオレたちにとって最良の選択なのだから。
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