Race5. 無垢なる衝撃

 オレの部屋にはそこそこ大きめのモニターが置かれている。これはゲームをするときに役に立つのはもちろんのこと、グリーンチャンネル(*1)を見る際にも大いに役立つ。スマホの小さい画面で見るよりも、やはり大きめの画面のほうが臨場感があっていい。


 時計はちょうど15時。休日であればこれからメインレースに向けて徐々にボルテージが上がっていくというタイミングであるが、今日は平日。中央競馬はお休みである。そう、中央競馬は。


「ちょうど大井(*2)の9Rやるとこじゃん」

「……?」

「あれは地方競馬だよ。地方自治体でやってるローカルな競馬だね」


 地方競馬。基本的にはダートがメイン(*3)になる上、中央と比較すると馬質は低い。しかし、平日でも競馬ができるとあって一定数の需要があるのだ。


 来望はぼんやりと画面を見ている。そして徐に眼帯を取ると、まるでレーザーでも照射するかのように紅の視線を画面に注いでいた。


「……あの馬」


 指を差した馬は1番人気と6番人気の馬だった。正直半信半疑であるものの、レースに注視する。ファンファーレが鳴り響き、サラブレッド達がゲートの中に収められる。そしてゲートが開くと、来望が指名した馬がどんどんと前に行く。


「ちょっとハイペースすぎじゃない? こんなことしてたら前潰れちゃうよ」


 悠里さんの指摘はごもっともである。最初からエンジン全開で飛ばしていれば最終的にはガス欠でズルズルと後ろに下がってしまうのはよくあることだ。故にハイペースは先行馬不利(*4)と言われている。


 しかしレースは結局先団でレースを引っ張っていた2頭のワンツーで終わった。それはつまり、来望が指名した馬が勝つ、あるいは馬券に絡むということを明確に示したのだ。


「んー……確かに当たってはいるけど安パイすぎない? これならアタシでもいけるわ」

「まぁまぁ……まだ2レースありますから」


 画面では既に今日のメインレースのパドック(*5)が始まっていた。


「颯馬、馬券買いたい」

「オレ地方は買わない(*6)んだけどなぁ……悠里さんいけますか?」

「いけるよー? これでアタシが儲かったら未来視様々ってところね」


 かくして未来視の真贋は悠里さんの馬券に委ねられた。オレはその内容を知らず、来望が悠里さんに耳打ちする形で馬券の購入を指示する。悠里さんは少し驚いた顔をするも、


「外れたらお金払うから」

「ならデカいの当たったらパーッと焼肉でも行きますかねぇ!」

「やった」


 そこからレースが発走するまで、二人は焼肉の話で盛り上がっていた。どこそこの肉はメチャクチャ美味しいだの、新しくできた超高級焼肉の食べ放題の予約をしておかなくちゃなぁだの。一般的な競馬ファンの取らぬ狸の皮算用である。


「……ていうかさ。ラムちゃんはいいの? その……悠里さんと一緒でさ」

「……? ユーリ、いい人。それに……二人で焼肉はこれからでもいける」

「キャー! 何この子可愛くない!? 天使!? 天使でしょこんなん!」

「もぎゅもぎゅ」


 来望は感極まった悠里さんにまるで抱き枕のようにハグされていた。だが無表情。その光景を横目に見つつ、オレはなんとも言えない感情が渦巻いていた。喜びを前面に出しているわけでは無いが、それでも男っぽい格好をしている悠里さんとイチャイチャしているのを見せつけられているようで。


「ってかさ、颯馬ちゃんも余計な意地張らずにさっさとオーケーしちゃいなよ」

「意地を張りたくないからこそです」


 その言葉に反応してか、無表情のまま来望が上目遣いでこちらを見てくる。

 

「……? 颯馬、私のこと嫌い?」

「嫌いじゃないよ。嫌いじゃないからちゃんと考えたいんだ」

「……好き」

「なんだこれ百合漫画か?」


 悠里さんのツッコミはごもっともだと思う。今の見た目こそ百合っぽく見えるものの、オレたちの関係は端から見れば問題ないと思われる。でも、『趣味の齟齬』という、これから一緒になるにおいてはトラブルの地雷とでも言うべきものが既にバラマキされているからだ。


 その為には『オレが競馬を妥協する』か、『来望が競馬を受け入れる』かのどちらかしかない。そして両者が引き下がれないというのであれば、それは永遠に埋まらない溝である。


「っと、もう発走しますね」

「アタシが買ったのはこんな感じだね」


 悠里さんがスクショを見せる。それは3連単3頭ボックス買い。上位人気馬2頭と穴馬1頭。悠里さんが好きそうな買い方だ。


「これで合ってるの?」

「うん」


 来望はコクりと頷いた。こんな買い方で当たるわけがないとオレは思っていた。だが、その予想は数分後には覆ることになる。


「……嘘だろ」

「これ配当ヤバいやつじゃん!」


 ゴール板を横切っていく馬たち。レースはハイペースで進行するが、前のレースのように前の馬がそのままゴールすることなく、後方待機組が馬券に絡む結果になった。そしてその中には穴馬が2着で入線(*7)していたのだ!


 その穴馬とは当然、来望が指名していた馬。悠里さんが買っていた馬券は大当たりである。オレたちは畏怖すら感じられるような眼差しで来望を見た。


 その姿はまさに神そのもの。否、神すら超越してみせたのかもしれない。神話に描かれる話とは眉唾ものであり、それが実際に起きた現場を見なければ嘘だと言いたくなるようなもの。だが、オレは神話に直面してしまった。36回の結果よりも1回の現実である。


 ……それは余りにも可愛らしい天孫降臨。その力が呼び覚ますものを、来望はまだ自覚していない。


「颯馬、焼肉行こ?」


 当の本人は今日の夜が高級焼肉になることを楽しみにしている。子供っぽいと思いつつも、その子供っぽさが異質な瞳をより異質なものへと変化させていた。


 ■


*1 競馬専門のチャンネル。投稿日現在、BSが映るテレビであれば入場制限下の全レースを無料で見ることができる。他にも調教映像や芸能人の馬券購入番組、過去の名馬にまつわる番組など、競馬ファンであれば契約して損はない。グリーンチャンネルの実況はラジオNIKKEIが担当しており、競馬場で聞こえる実況と全く同じ実況を聞くことができる。

*2 大井競馬場。東京駅から最も近い競馬場である。浦和、川崎、船橋競馬場とともに南関東公営競馬として運営されており、地方競馬の中では盛り上がりが高い。大井競馬場の特徴として、トゥインクルレースと呼ばれる夜間に行われる競馬が挙げられる。

*3 競馬のコースには芝とダートが存在するが、芝は管理が大変であり、コストがかかる。そのため、運営費の少ない地方競馬では基本的にダートコースのみだが、唯一盛岡競馬場のみ芝コースが存在する。

*4 逆にスローペースの場合は前の馬が有利になる。序盤に力を使わずに済むため、最後の直線に入っても脚が止まらないからである。その象徴とも言えるのが2009年のエリザベス女王杯。一見の価値があるので是非見てほしい。また馬券を予想することにおいて、どのようなペースでレースが進むかはファクターとして大事だと考える予想師は少なくない。

*5 レース前に競走馬が周回する場所のこと。ここで馬体や馬の様子を確認して馬券の購入の参考にする。パドックの目的は馬券的な意味だけでなく、馬そのものにも重要である。パドックを周回することで馬の気持ちを落ち着かせるのだ。また、馬はデリケートな生き物なのでカメラのフラッシュにすら驚いてしまう。そのため、パドックでのフラッシュ撮影は厳禁である。

*6 中央と地方ではネット投票の基盤が異なる。中央競馬では『即PAT』や『A-PAT』と呼ばれるサービスを利用するが、地方競馬の場合は『SPAT4』や『オッズパーク』といったサービスである。そもそものサービスが異なるため、即PATは登録しているがSPAT4は登録していないといったことは往々にしてあるのだ。例外的に、交流重賞(JRAの馬と地方競馬の馬が走るレース)では即PATでも購入可能になる。

*7 競馬における順位の決め方は、『ゴール板に鼻先が到達した順』である。その際に決勝線に到達したかを見るため、馬がゴールすることを入線と呼ぶ。

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