第28話 飛躍


『D組、四番、鮫島昇君。曲目は、ヘンデルのクーランテ』


「……」


 いよいよ鮫島の出番がやってきた。やっぱりこの曲か。あいつが特に気に入っててよく練習してたからな。


 これは第六弦をドロップチューニングした華やかな調子の曲であり、かなり速いテンポを要求される上、ハイからローにかけてのフレット移動も忙しい難曲の一つだ。でもその分単調で繰り返しが多いため、コツさえ掴めば流れるように演奏できるので爽快ではあるんだ。


 さあ、始まった。失敗するたびに頭を掻きむしって悔しがる姿を何度も見てるだけに、あれからどれくらい成長したか見せてもらうぞ、鮫島……。


 ――お、いい出だしだ。開き直ったのかスムーズに入り込めてるし、トリルも無難にこなした。まるで鮫島が鮫島じゃないみたいな、別人を見ているような気さえしたが、所々の力の入れ具合でやっぱり本物の鮫島なんだとわかった。なるほど、俺が見てない間にあいつも猛練習してたってわけだ。


「鮫島さん、上手ですね……!」


「わたくしもそう思います……」


「いーや、まだまだだ」


「師匠ったら、素直じゃないんですからぁ」


「ですねえ」


「「ププッ……」」


「……」


 泉と漆原さんにとって、俺は素直になれないツンデレ師匠に見えるのかもしれないが、やっぱり師匠としては安易に誉めずに、最後まで高い壁でありたいと思っている。


 それからほどなくして、鮫島の初舞台が終わった。口には絶対出さないが、圧巻の演奏だった。よくやったぞ、鮫島……。




「――はー、緊張しまくったぜ……」


 お、鮫島が早速戻ってきたが、思ったより元気そうで余力も残ってる感じだったし、何より表情に充実感が漂っていた。


「おつかれ、鮫島」


「「おつかれさまっ!」」


「へへっ、おつありっ。はー、マジ足が震えてヤバかった……」


「でも、挑戦してよかっただろ?」


「そ、そりゃなっ! なんか途中からさ、緊張より気持ちよさのほうが勝ってきて癖になりそうだったぜ……!」


「……」


 鮫島のやつ、一皮剥けた感じはあるな。


 一人一人、弟子が成長していく姿を見るのは楽しいものの、まるで自分のことのようにハラハラさせられるから心臓に悪い……って、まだ一人残ってたか。漆原さんが。でも彼女の場合、表情も落ち着いてるし心配はいらなそうだが……。


「――前田」


「……」


「おい、前田あぁぁっ!」


「はっ!?」


 耳元で鮫島が叫んできた。こいつ、すぐ元通りの生意気な鮫島に戻りやがって。


「い、いきなり何すんだよ」


「前田……何ボケッとしてんだよ。もうすぐ漆原さんの出番が来るんだから、お前が何か声をかけてやるべきだろっ!」


「え……鮫島、今さっきお前の出番が来たばっかりじゃ……? だから次はE組で、漆原さんはその次のF組だろ?」


「はあ? 何寝ぼけたこと言ってんだよ。もうE組の最後の奏者が舞台に上がってるっていうのに……」


「な、なんだって……?」


 どうやらいつの間にか意識が飛んでいたらしい。


「――それでは、行ってまいります……」


「あっ……」


 漆原さんが立ち上がってすぐに行こうとするのを、俺は追いかけていった。もしかしたら余計なお世話かもしれないが、それでも一言くらいはあったほうがいいと思って。


「漆原さん!」


「……」


「君なら大丈夫だとは思うけど――」


「――どうしてそう思われるんでしょうか……?」


「……う、漆原さん……?」


 俺の声で立ち止まった漆原さんは、いつもとは明らかに様子が違っていた。


「わたくしも、泉さんや鮫島さんと同じです」


「……」


「怖くて怖くて、ここから逃げ出したくて仕方ありません……」


「……そうだったのか。漆原さんっていつも落ち着いてるし、しっかり者に見えるからちょっと誤解してたかもしれない……」


「昔から、周りにはそういう風に思われてました。だからなのでしょうか、わたくしは弱さというものを人に見せられる人が羨ましいのです……」


「漆原さん……だったら、もう見せたじゃないか」


「……」


「こういう風に俺に打ち明けることができたんだから、弱さを見せたってことなんだよ」


「……わたくし、前田さんが泉さんに抱き付くのを見ました」


「えっ……?」


「必ず前田さんを振り向かせてみせます。わたくし、こう見えて結構負けず嫌いなのでっ……」


「……」


 まさか、これが本当の意味での弱さ……? 体調さえよければ素直に喜べたんだろうか? でもそれはそれで悩んだかもしれないし、こういう展開があったかどうかすらもわからないが……。

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