第26話 震え
「……」
いよいよ舞台上で一番弟子の泉の演奏が始まろうとしていた。自分の体調は凄まじく悪いが、これを見届けられないなら師匠として失格だ。
『B組、一番、泉小夜さん、曲目は、バリオスの紡ぎ歌』
「なっ……?」
これは驚いた。あいつ、トレモロ曲を俺の前ではあまり弾かなかったのに、大丈夫なのか……? しかも、よりによってこんなところで……。
泉が舞台中央に用意された足置き台付きの椅子に座り、会場が恐ろしいくらい静まり返る。なんだか自分まであそこにいるみたいな心境になってくるな。
「泉ちゃん……心配しなくても大丈夫だ、落選しても俺たちは仲間だ……!」
「おいおい鮫島、仲間を増やそうとするな……っていうか、まだお前も落選って決まったわけじゃ……ぐぁっ――!?」
「――落選に決まってんだろ! なんせ相手の桧山ってやつはよ、グランプリを取ったこともあるっていう超エリートだぞ!?」
「……あ、あぁ……」
痛みのあまり声を出してしまって、危うく体の状態が悪いってことがバレるところだったが、ちょうど鮫島の興奮した声と被ったのでごまかすことができた。この流れで、たるんだ弟子に喝を入れておくか……。
「でもな、鮫島、確かに相手は強敵だけどな、戦ってみて初めてわかることもあるんじゃないのか……?」
「そうですよ、鮫島さん……。前田さんの仰る通りです。ここでやれるということを、もっと前向きに捉えるべきかと……」
「うう……お、俺、漆原さんのおかげで大分元気が出てきた気がする……」
「おい……鮫島、俺はスルーか……」
「ま、前田の言ってることも聴いてるって。てか、お前はいいよなあ……。俺だってさ、トーナメントの予選を突破できないにしても、夢くらいは見てえんだよ。なのによ、それすらも厳しいような状況だろ……」
「……」
鮫島の気持ちはよくわかるが、勝負の世界だからな。こればっかりは仕方ない……って、泉のやつ、凄いな。ここまでトレモロが上手くなってるとは。俺に隠れて相当練習してたってことなんだろう。
この曲は第六弦のドロップチューニングで、素人がやると流れが途絶えるような継ぎ目が特に目立ちやすいんだが、今のところまったくそういうところを感じさせなかった。
個人的には、トレモロ曲としては森に夢見る、最後のトレモロに次いで難しい曲だと思っている。
あっという間に演奏が終わり、少し経って割れんばかりの拍手が沸き起こる。それは泉が立ち上がってお辞儀をしても続いた。立派なものだ。よくぞここまで成長した、泉……。
「――師匠っ……!」
あいつが涙目で駆け寄ってきたので、俺はそれを受け止めると頭を軽くポンポンと叩いてやった。
「よく頑張ったな、泉……」
「はい……師匠、とても怖かったです……足も震えちゃって……」
「ははっ……この雰囲気だから仕方ない。でも、その割りに堂々としたものだったじゃないか」
「本当、すげーよ、泉ちゃんは……」
「ですね。ご立派でしたよ、泉さん……」
「あ、ありがとうです、鮫島さん、漆原さん……」
「……って、まさか泉、もしかして、緊張して震えるってところまで計算してトレモロ曲だったのか……?」
「……バ、バレちゃいましたか。さすがは師匠……。絶対、指だって震えちゃうって思ったので、ピッタリかなって……」
「……まさに怪我の功名ってわけだ」
「てへへっ」
泉のやつ、本当に俺に似てきたと感じる。こいつはいずれ物凄いギタリストになるかもしれない。本人にそんなことを言ったら調子に乗りそうだから言わないが……。
「ま、まだまだ俺には及ばんよ。俺を越えてみせろ、泉……!」
「はいっ、師匠!」
「……」
あれ……? 今、頭の中が真っ白になったような。というか、視野が極端に狭くなってると感じる。まずいな、これは……。
「って、泉ちゃんの次は俺なのかよっ……!?」
「鮫島さん、ガンバッ!」
「鮫島さん……ファイトですよっ」
「はあぁ……いつもならこんな風に応援されたらすげー嬉しいのに、今は絶望のほうが勝ってやがるうぅぅっ!」
すぐ近くにいるはずの鮫島の台詞が、やたらと遠くから聞こえてくるかのようだった。これは、かなりまずいことになってきたな。俺の体が着実に壊れ始めているんだとわかる……。
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