第22話 不協和音


『優勝者は……鮫島昇君です!』


「「「「「ワーッ!」」」」」


「うおおおぉっ! やったぜええぇぇっ――!」


「――うっ……!?」


 飛び起きると、そこは狭くて仄暗い自室だった。


「ははっ……」


 夢の中とはいえ、まさかあの鮫島が優勝するなんてなあ。それでも、桧山ってやつが勝つ夢を見るよりはよっぽどマシか。


「……」


 やがて、薄暗さに慣れてきたこともあってカレンダーに目をやる。いよいよ本日、待ちに待ったコンクールが始まる。


 確か予選が始まるのは午前8時からだったか。本当にここまであっという間だったな……って、まだ朝の5時前だしもうちょっと寝てから準備するか。7時に近くのバス停でみんなと待ち合わせだから余裕があるしな。




「――はっ……」


 次に時計を見て、俺は飛び起きることになる。もう7時をとっくに過ぎていたからだ。しまった、油断して寝過ごした。急いで準備しないと……。


 それから慌ててスーツに着替えたのち、飯も食わずに部屋を飛び出す。


 大丈夫、まだ時間はある……そう思うことで自分を落ち着かせる。実際は予定より大分遅れてしまったとはいえ、バス停はすぐ近くだからこのまま順調に行けばなんとか間に合うはずだ。


 どうしても遅刻したくないのは、泉が起こしにきますと言ってきたのを断った以上、やっぱりそこは師匠として決めるところはビシッと決めておきたいわけだからな。


「――はぁ、はぁ……」


 無我夢中で走り、十字路の中央に差し掛かったので一旦足を止めたときだった。前方から車が走ってきて、左手前にもう一台の車が停車しているという状況があった。


 このタイミングだと、前方から来る車が通りすぎるまでは左の車は発進できないはず。身を乗り出すようにして停車していることから、前方から車が来るところもちゃんと見えているだろう。


 向こうは止まる気配がないし、左手前の車がもしこれ以上出れば衝突するのは丸わかりだから俺は横切ってもいいはず。そう思ったものの、念のためにと思って運転席の爺さんに向かって手を上げて歩き始めた矢先だった。


「――かはっ……!?」


 気が付いたとき、俺の体はボンネットの上に乗り上げていて、まもなく道路上に叩き落とされた。


「ぐぐっ……」


 まさか、轢かれてしまうとは……。しかもあの車、通り過ぎやがった。轢き逃げだ。目眩がするとともに、ズキッと頭が痛む。どうやら乗り上げた際、フロントガラスで強打してしまったみたいだ。


「……」


 吐き気までするし、これは絶対に病院へ行ったほうがいいと思うんだが……それじゃコンクールの予選に間に合わなくなってしまう。


 泉たちの成長をこの目で見届けるためにも、それに、桧山と勝負をするためにも、絶対にコンクールに出場しなくてはいけない……。


 大丈夫、大丈夫だ。痛みはあるが、歩けるし大したことはない。病は気からっていうしな……。実際、なんともないと思い込むことで幾分楽になった気がした。




「――ま、待たせたな……」


「師匠ー! 遅いですよー!?」


「おおい、前田、何やってんだよおぉっ!」


 よかった、みんなまだバス停で待っててくれた。腕時計を見ると7時30分を過ぎちゃってるし、もう先に行っててもおかしくなかったのに……。


「はぁ、はぁ……わ、悪い、みんな……」


「ったくよー、ルーズな前田らしいっちゃらしいけどよ、こんなときくらいしっかりしろって」


「前田さん、大丈夫ですよ。少しだけ遅れちゃいましたけど、次のバスでも充分間に合うかと思います」


「もー、師匠ったら。そろそろ私だけで起こしにいって、タクシーを使う、なんてことも言い合ってたんですよ……?」


「あ、ああ、本当に悪かったよ……」


 あれ……泉が二人に見える……と思ったら治った。気のせいか……。


「師匠? 顔色悪いですよ……?」


「……」


 そりゃ車に轢かれたわけだしな。ただ、重傷だと思われたらまずい。みんなコンクールどころじゃなくなってしまうからだ。なんとかごまかさないと……。


「……は、腹の具合が悪くってな……。漏らしたら悪いな……」


「お、おいおーい! 前田、俺の席からはなるべく離れろよっ!?」


「お、俺の隣は鮫島……お前じゃないと安心できない……」


「ちょっ!?」


「ププッ……」


 俺と鮫島のやり取りに対して、泉だけでなく漆原さんも口を押さえておかしそうに笑ってるし、上手くはぐらかすことができたんじゃないかな。


「ふふっ……あ、みなさん、バスが見えてきましたよ」


「……」


 俺の前で時計を見ながら漆原さんがそう言ったわけだが、何故だか台詞と行動が一致してなくて、微妙にずれてる感じだったのでなんとも奇妙だった。




「――し、師匠、凄い汗ですよ。本当に大丈夫ですか……?」


「あ、ああ、もう少しなら辛抱できるから、大丈夫……」


 バスの中、隣に座った泉からハンカチで額を拭われる。ずきずきと頭部が痛むし吐き気もするしで本当は大丈夫なわけがないんだが、仕方ない。今日だけは俺の体が持ってくれと願うばかりだ。


「どうせ、なんか悪いもんでも食ったんだろ?」


「そ、そうかもな……うっ……」


「お、おい、吐くなよ。絶対吐くなよ……!?」


「あの、前田さん……これ、酔い止めですけど、よかったら……」


「……あ、ありがとう……」


 漆原さんから薬を貰った。これで治るはずもないんだが、確かこういうのって目眩とかにも効果があるはずだからないよりはずっとマシだと思うし、これを痛み止めの薬だと思い込んで飲むとしよう。偽薬プラシーボ効果も期待できそうだから……。

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