第21話 気付き


 あれから、あれよあれよという間に時間が経過し、クラシックギターのコンクールまでとうとうあと一週間というところまで迫っていた。


 ということで、俺の部屋に弟子たち――泉、鮫島、漆原さん――の三人が勢揃いしてるわけだが、やはりというかみんな今まで以上に真剣そのもので、気合の入り様がまったく違っていた。


 もちろん師匠とはいえ俺もその一人で、楽譜とにらめっこしながら、ここではきっちりミュートをするとか、活き活きと表現するとかいった具合に、とにかく正確さにこだわって演奏するということを繰り返していた。


 今まで独学で好きなようにやってきたものの、やはりそこはクラシック的なものを求められるだろうということで、考えを改めて挑んでるってわけだ。


「……」


 しかし、俺としては指定された通りにやるっていうのはどうにも窮屈で、慣れてないっていうのもあるんだろうが、弾くたびに肩が凝るし精神が削れていくような感じだった。


「へへっ、前田あ、苦労してそうじゃねーか! こりゃいよいよ年貢の納め時だなあ」


「こいつ、未熟者の癖に一丁前に……」


 俺は鮫島にそう返したが、こいつの成長も著しいと感じていて、今じゃ簡単な曲なら楽譜を見ながらではあるものの、堂々と人前でも弾きこなせるようになっていたので感心していた。


 鮫島の場合、漆原さんにいい格好をしたいとか、師匠の俺を倒そうとか邪念ばかりだが、それでもここまで来られたのは大したものだ。


 コンクールで優勝するのはさすがに無理だとして、どこまでやれるのか見物だし、師匠としてはできるだけ上に行ってほしいと思う。もちろん本人の前でそんなことを言ったら図に乗るから絶対に言わないつもりだが。


「――あっ……」


 漆原さんが演奏を始めた途端、俺は自分のボロ部屋が高級マンションの一室に早変わりしたんじゃないかと錯覚してしまうほどだった。彼女が今弾いてる曲は、サグレラスのマリア・ルイサだ。この曲を完全に自分のものにしているだけでなく、彼女自身の色までしっかり出している。


「うおおぉっ、すげえっ。漆原さんなら優勝もありえそうじゃね……!?」


「そ、そんなっ。わたくしなんて、まだまだ……」


 漆原さんは謙遜してるが、鮫島の言う通りになってもおかしくない。俺がそんなことを言ったらプレッシャーになりそうだから黙っておくが、ここまで頑張ったんだから、師匠として優しい言葉くらいはかけたほうがいいだろう。


「漆原さん、順調そのものだね」


「ど、どうもです、前田さん……」


 俺に向けられた、少し照れたような漆原さんの笑顔と、鮫島の口元を歪ませた渋い顔はまさに両極端だった。


「「「――あっ……」」」


 泉がタレガのマリーアを弾き始めて早々、俺たちの上擦った声が重なるのも納得で、それくらい卓越した演奏だったんだ。俺の弟子になってから1年数カ月ほど経ったわけだが、もう10年くらいやってるように見える。


 コンクールでもこの出来なら、冗談とか抜きで優勝してもおかしくないな……。もちろん、天狗にならないためにも絶賛だけは意地でもしないが。まもなく弾き終わって、今日一番の拍手が起こる。


「もうさ、泉ちゃんって前田より上手いんじゃね!?」


「泉さん、素晴らしかったです……」


「ど、どうもですっ。さあ、師匠のご意見はどうでしょうか……?」


「んー……まあ、少しは上達したかな?」


「おおっ、嬉しいです! ……あ、そうだ、師匠、ちょっとあとでお話が……」


「ん?」


 泉が近付いてきたと思ったら、小声でそうつぶやいてきた。なんの話だろう……?




「――で、なんの話だ? みんなの前じゃ言えないようなことなのか……?」


 鮫島と漆原さんが帰ったあと、俺は一人残った泉と向き合っていた。


「いえ、別にそういうわけではないですけど……こういう話は、二人きりじゃないと上手く伝わらないような気がして……」


「……」


 どういうことだろう。泉のやつ、いつになく表情が真剣で、見ていてこっちが気圧されるレベルだった。


「はっきり言います。今の師匠は、輝きを失ってます……」


「えっ……?」


「譜面にこだわるあまり、窮屈な感じになってて、ある意味自由奔放だった師匠の良さが消えてしまってて……なんていうか、平凡になっちゃってるんです……」


「……」


 なるほど、それは目から鱗だった。俺は見栄を張るかのような、虚飾に満ちた演奏をしてしまっていたのかもしれない。俺の傍らで、ずっと弟子として演奏に耳を傾けていた泉だからこそ気付けたことなんだろうな。


「俺も、何か違うんじゃないかって薄々感じてたけど、指摘されたことで自分らしくやる決心がついたよ。ありがとう、泉……」


「いえいえっ。師匠には勝ってもらわなきゃ困りますから。今後も精進するように!」


「ははあっ……って、おいおい。どっちが師匠だ」


「てへへっ……あ、それともう一つ、が……」


「ん?」


「でも、それはコンクールが終わってからにします」


「……」


 なんだ? 泉のやつ、やたらと顔が赤かったな……。大事な話ってのがなんなのか気になるけど、大会が迫ってるわけだから今は目の前のことに集中するとしよう。頼むから余計なことは考えるな、俺……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る