第16話 板挟み


「前田っ!」


「……」


「前田ああぁぁっ!」


「……」


「おい、前田ああああぁぁっ!」


「なんだよ、鮫島。騒がしいな……」


「お前が無視すっからだろ! もっとしゃんとしろ、しゃんと!」


 バイトの休憩時間ってことで、ぼんやりしてたら鮫島が大声で話しかけてきて耳が痛くなる。


「そりゃ、休憩時間だからだろ……」


「なあ、それより聞いてくれよ。俺さ、指先が痛いんだよ、ギター弾きすぎたっぽい。これって一体どうすりゃ治るんだ!?」


「あぁ、それならしばらく休むしかないな」


「お、おい、折角上達し始めてるってところでやめるわけにはいかねーって! チックショー、この指の痛みさえなきゃ、俺は最強のギタリストになれそうだってのに……!」


「痛むのはここか?」


「そうそう、そこ――って、いってえええぇっ!」


 血相を変えて左手の指先を押さえる鮫島。腫れてもいないのに大袈裟だな……。


「鮫島……お前の根性だけは認めるけど、本当に神経を痛めてしまう前にしばらく休んだほうがいいだろうな」


「……お、お前と漆原さんのマンツーマンの授業だけは、絶対に受けさせねええぇっ……!」


「……」


 頭の中が邪念だらけだな、こいつは……。


「「――あっ……」」


 鮫島が彼女の名前を出した途端、本人が裏口から店に入ってきた。


「前田さん、鮫島さん、どうもこんにちは。お二人とも、本当に仲がよろしいですね」


 漆原さんには悪いが、それは全力で否定したくなる。


「そうそう、なあ、前田、俺たち親友同士だもんな!」


「っていうより師弟関係だろ! それも腐れ縁の!」


「まあいいじゃねえか!」


 さっきまで目の上のたん瘤みたいな扱いしといて、本当に都合のいいやつだ……。


「ふふ……あ、そうそう、お二人にこれを……」


「「これは……?」」


 俺たちは漆原さんに、チラシとともにチケットのようなものを渡された。チケットに関しては鮫島が一枚のみで、俺だけ二枚だ。これは一体……?


「実は、あと三カ月も先の話なんですけど、クラシックギターのコンクールがあるみたいで、わたくしも参加してみないかとお父様に……」


「「ええっ……!?」」


 何々――14歳以上から参加可能で、優勝者には賞金100万円とトロフィーが贈呈され、プロになれるチャンスもあります、か……。まさに登竜門ってわけだな。


「ちなみに、前田さんにお渡ししたもう一枚は泉さんの分です。もしよろしかったらご一緒に、と。この際、わたくしも挑戦してみようかと思いまして。無謀なのは承知の上で……」


「な、なるほど……」


「う、うおおおおぉぉっ! 俺はやるぜえええぇぇぇっ!」


「……」


 鮫島は早速出る気満々だな。優勝に関してはハードルが高いだろうけど、10位までの入賞者にも賞金が出るみたいだし、今はギターを弾くのが楽しい時期だろうからなんとなくわかる。


「前田さんはどうですか?」


「んー……」


 この話は、俺としては微妙だった。まず、俺は弾きたいものを弾きたいからギターを始めたのであって、誰かに評価されたいからではなかったから、こういうコンクールにはまったくといっていいほど興味が湧かなかったんだ。とはいえ、万が一気が変わるかもしれないしな……。


「俺はまだ結論が出ないし、考えとくよ」


「そうですか……。前田さんなら優勝できると思うんですけど……」


 漆原さんが残念そうに言うが、さすがに買いかぶりすぎだ。ひたすら独学でやってきた人間がコンクールで優勝できるほど、クラシックギターの世界は甘くはないだろう。


「いやいや、さすがに厳しいよ」


「おい前田、さては怖気づいて逃げるのか!?」


「鮫島……痛めた指のマッサージをしてやろうか?」


「お、おいやめろっ!」


「快諾できたらよかったんだけど、なんか悪いね」


「いえ……こればかりは個人の自由ですから。でも、まだ諦めません。エントリーの期限は今から一カ月後ということなので、良いお返事をお待ちしてますね」


「りょ、了解」




「……」


 帰宅中、例のチケットを取り出してぼんやりと眺めてみる。泉のやつにはもちろん渡すつもりだが、やっぱり何度考えても自分が出場するイメージは浮かんでこなかった。


「――師匠おおぉぉっ!」


「……」


 え、なんで泉がこんな時間に――と思ったら、今日は土曜だったか。


「はぁ、はぁ……こ、これは奇遇ですね……!」


「そ、そうだな」


 苦しそうに膝に手を置く泉の姿に苦笑しつつ、例のチケットを手渡す。


「え、これは? ま、まさかデートのお誘い……!?」


「残念ながら、泉一人で行くことになりそうだけどな」


「え、えぇっ!?」


 チラシを渡すと、泉は興味深そうにしばらく目を通していた。


「師匠――」


「――泉、いくらお前の頼みでも、俺は行くつもりなんてないから」


「わかってます!」


「え……?」


「だって私、師匠と一年以上も一緒にいるんですよ……? だから、なんとなくわかりますよ。私は……正直言うと興味はありますけど、師匠が行かないというのなら行きません!」


「……蛙の子は蛙か」


「えっ!?」


 ただ、泉は興味があるって言ってるし、出場したいはずなんだよな。師匠の俺に考え方を合わせようと気を遣ってるんだろうけど、それが嬉しい反面、複雑ではあった。


 まだ若いからこそ、そういうクラシックに詳しい人たちが集まるようなところで演奏して、しっかり聴いてもらったほうが成長できると思うだけに、俺は自分の中にある迷いがこれからどんどん膨らんでいきそうだと感じていた……。

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