第15話 劣等感
あれから、約一年の月日があっという間に流れた。
当初は、一カ月どころか二週間も持たないと思われた一番弟子の泉小夜が未だに通ってきてるし、最近じゃコツを掴んだらしくメキメキと上達していて、それに比例して学業の成績まで上がっているとのこと。
まあ、指を刺激すると脳にいいというのは前々から言われていることだからな。ほとんどの子供はピアノ教室とかに通わされるんだろうけど。
――お、チャイムが鳴った。来た来た……。
「師匠ー、ただいまですっ」
「おいおい、ここはお前の家か」
「そうですよ? 正確には、私と師匠の部屋ですけど……!」
「はあ……」
こういう風に、歳が離れてるからって言いたい放題なんだ。小悪魔らしく、思わせぶりな態度を取りまくってくることもあって、割りと耐性はついたからもう平気だが。
「それじゃ、課題の曲をやってもらおうか」
「はいっ!」
泉がトレモロ曲の、タレガのアルハンブラの思い出を弾き始めた。いずれは俺みたいに森に夢見るを弾けるようになりたいとのことで、その手始めとしてお手軽ということでやり始めたわけだが、たった一年で驚くほど上手に弾きこなしていた。
この曲はいかに継ぎ目を感じさせないように弾くかにかかってるんだが、ちょっと引っ掛かりがある程度だった。才能っていうのは本当に恐ろしいな。素直になんでも吸収しようという気持ちがあるからこそここまで来られたんだろう。
「――ど、どうでしたか……?」
「んー、まあまあってところかな。トレモロはちゃんと粒が揃ってたし、アポヤンドも上手に取り入れていた。ただ……」
「た、ただ……?」
「ちょっと力み過ぎてるな。失敗してもいいくらいの気持ちが欲しい」
「わかりましたっ!」
本当はもっと褒めてやりたいんだが、そうすることで弟子の成長を止めたくないからな。どうしようか……。そうだ、言い方を変えれば問題ないかもしれない。
「今はまだまだだが、泉の成長速度は凄い。この調子でいけば、将来的には俺を越えるかもしれないな」
「またまたー。師匠を越えるなんて無理ですよー……」
「ん……どうしてそう思うんだ?」
「だって、師匠は雰囲気からして違います。音楽の神様が乗り移ってるかのような……」
「神様……? 俺は紛れもなく人間だよ。泉、どうせ手の小ささに劣等感を覚えてるんだろ?」
「うっ……」
やはり図星か。確かに俺の手は大きいほうかもしれない。ピアノで言うと、親指と小指で12度まで掴めるレベルだ。
「けど泉、お前の手は俺のごつごつした手よりも細くてしなやかだし、スピードもあるじゃないか」
「でも……師匠が以前に演奏してた、バリオスさんの郷愁のショーロとかいう曲って、手が大きくないと弾くのは厳しい感じですよね。師匠の大きな手でもギリギリで届くレベルでしたし……」
「あぁ、あれは、そりゃな……」
泉のやつ、よく観察してるな。あれは曲中、ほかの指で5~6フレットを押さえつつ人差し指をぐいっと伸ばして第六弦の1フレットを弾くという箇所があるわけだが、俺の手でも苦しいところだからな。
「ああいうのを見ちゃうと、私にはバリオスさんの曲を師匠みたいに弾きこなせる自信は湧いてこないです……」
「泉……お前は俺の弟子なんだろ? だったらそこは工夫でなんとでもなる」
「工夫……?」
「あぁ、どうしても人差し指が届かないなら、アポヤンドで下からのアタックを強めにしたあとで1フレットまでつなげるとか、いくらでもやりようはある」
「な、なるほど……」
「泉の手は、もちろん小さいという欠点はあるが、その分小回りもきく。俺が思うに、クラシックギターの良いところっていうのは、
「そうなんですねえ」
「ああ、難しく考えすぎないほうがいい。そんなもんなんだよ。ギターに合わせることも大事だと思うけど、指の形も長さも人それぞれなんだし、自分に合わせる……寄せていくって作業も重要なんじゃないかな」
「なるほど……凄く勉強になりました……!」
うん、泉らしい笑顔だ。こいつはこうでなくっちゃな。
「あ、そうだ、師匠」
「ん?」
「あの……今度、クラシックギター部に一年生が入ってくることになったんですよー」
「おお、そういや泉ももう二年生で先輩だしな」
「はいっ! それで、なんか物凄い人が入ってくるみたいで……」
「……物凄い人?」
「はい。なんでも、クラシックギター界の超エリートらしいです……!」
「へえ……」
超エリート、か。やってることは同じでも、独学でやってきた俺とは正反対の存在なわけだ。そういうのを聞くと、正直引け目を感じてしまう自分がいる。
――俺はこのとき、夢にも思わなかった。そいつの存在が、近い将来に自分たちの運命を大きく変えていくことになろうとは……。
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