第14話 変貌


「くくくっ……ふはっ、ふはははははっ……!」


「「……」」


 自宅にて、俺は漆原さんと驚いた顔を見合わせる。


 なんせ鮫島の変貌ぶりはすさまじく、目元に隈が出来てるだけじゃなくて目は血走ってるし、ギターはアコギからクラギに変わってるしで、かなり気合が入ってるのが目に見えてわかったんだ。


 というのも、今日は課題の曲を一人ずつ演奏させるようにしてて、鮫島にはドナウ河のさざ波という曲を弾かせることにしている。簡単な曲ではあるが、その異様なテンションから、かなり緊張していることが窺えるので心配だった。


「鮫島、練習したことは嘘をつかない。だから自信を持て!」


「そうですよ、鮫島さん、頑張ってください」


「お、おうっ……! 漆原さん、俺頑張るっ……!」


「……」


 師匠の激励はスルーなのか、そうか。さすがだな、鮫島は。まあこれくらいの図太いメンタルがあるなら大丈夫だろう。


「じゃあ、初めっ!」


「うおおおおおぉっ!」


 鮫島が譜面に触れるほど顔を近付け、満を持して弾き始めたわけだが、すぐに脱力することになってしまった。それもそのはずで、なんせ音が全然合ってないんだ。


「あっ、あれあれっ……!?」


 まもなく、鮫島が信じられないといった顔で演奏をストップさせる。すぐ気づけたなら致命傷にならずに済んだな。バンドマンを目指していたという話に偽りはないんだろう。これでまともだと思って弾き続けるようなら、救いようがないほどの音痴ってことだからいくら頑張っても厳しいわけで。


「おっかしいなあ、家じゃチューニングはちゃんと合ってたのに……!」


「はあ……鮫島、さては弦を張り替えたばっかりだな?」


「えっ、そうだけど?」


「よく寝かせないとすぐ狂うんだよ、クラシックギターの弦は。なんせスティールと違ってナイロンだからな、よく伸びる」


「そっ、そうだったのか! ち……ちっくしょう! 折角徹夜してまで練習してたってのによ……!」


「……」


 ってことは、おそらくそれまで既存の弦でやってて、今日こうして人前で演奏するってことで初めて張り替えたってわけか。なるほど、ここまで見事に狂うわけだ。気の毒ではあるが、チューニングもまた演奏するうえでは大事なことの一つだからな。しばらく大人しく反省してもらおう。


「それじゃ気を取り直して、次は漆原さんの番ね」


「あ、は、はい……」


 それまで落ち着いた表情でいた漆原さんも、鮫島の慌てように引き摺られたのかさすがに緊張の色が見えたので心配したものの、彼女が弾き始めてすぐに杞憂だったとわかった。課題曲はグリーンリーブスという誰もが知る曲なんだが、最後までミスすることなく見事に弾き切ってみせたんだ。


 難しい曲じゃないとはいえ、人前で完璧に演奏してみせるというのは決して簡単なことじゃないからな。いやあ、大したもんだ。それでも褒めすぎるとよくないので、俺は拍手するんじゃなくてうなずいてみせた。


「漆原さん、まあまあよかったよ」


「うおおおおっ! 漆原さんサイコー!」


「そ、そんな……照れます……」


 それにしても鮫島の立ち直りの早いこと。これも一種の才能なのか――


 ――ピンポーン。


「あ……」


 誰だろう……って、まさか……。俺は慌てて玄関へと走っていく。すると、やっぱりあいつだった。


「やっぱり泉か……またサボリか?」


「いーえ? 今日は早めに授業が終わったんです。それで、師匠が浮気してないかどうか、確認しにきましたっ!」


「う、浮気って――」


「――お邪魔しますっ!」


「お、おいっ……!」


 泉のやつ、今回はまったく遠慮なしとか極端すぎるだろ。漆原さんだけじゃなくてよかった……。


「ま、前田あぁぁっ! また若い子をたぶらかしてんのか!?」


「たぶらかすって、お前なああ……」


「あら……。あなたは確か、以前にも来ましたよね?」


「あ、はいっ! 私、泉小夜っていいますっ! 師匠の一番弟子なんです!」


「ふふっ、そういうことだろうと思ってました。わたくしは漆原雫と申しまして、バイト先の同僚でして、前田さんにギターを指導してもらうことになったんですよ」


「そうなんですねえ」


「あ、泉ちゃんっていうのか。俺は鮫島昇といってな、前田とは古い付き合いで、まあこいつが一人で寂しいからってことで、無理矢理弟子にされちまったってわけ!」


「……」


 鮫島のやつ、適当なことを……。


「漆原さんも鮫島さんも、どうもよろしくです! 私の師匠兼恋人の前田さんと仲良くしてあげてくださいな!」


「お、おい泉――」


「――ま、前田あぁぁっ! いくらなんでも犯罪者すぎるぞ!?」


「前田さんの恋人なんです……?」


「い、いやっ、師匠っていうのだけ本当なのであって、決してそういうことは……!」


「それじゃ、わたくしも前田さんの愛人宣言しちゃいましょうか……」


「ちょっ……」


 な、なんだよ、遊ばれてただけか、俺……。


「ふふっ。お姉さんには絶対負けませんから……!」


「望むところですよ……?」


「お、お、おいいぃっ! 前田、頼みがあるんだが一発ぶん殴ってもいいか!?」


「い、いやっ! なんで俺がお前にぶん殴られなきゃならないんだよっ!?」


 まさか、この部屋がギター以外でこれほどうるさくなるとはな。ちょっと前までは夢にも思わなかった……。

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