第13話 嘘
昨日も今日も夕方が近くなると、俺の部屋にいつものように天真爛漫な女子高生――泉小夜――がやってきて、楽しそうにクラシックギターを弾き始める。
以前までは違和感しかなかったのに、今ではこの光景が当たり前になってきて、師匠としてやり甲斐のようなものを感じる反面、なんだか少し怖くなってきているのも事実だ。いつかはここから卒業してしまうことを想像するからだろうか……。
でも、師匠がそんなヤワなメンタルじゃ困るからな。弟子の前では虚勢であってもしっかりしないといけない。
「――師匠、今の演奏、どうでしたか……?」
泉がタレガのアデリータを弾き終わった。
「ああ、上手くなってきたな……」
「ほ、本当ですかっ!?」
「あぁ、ほんのちょっとな」
「が、がくっ……!」
「わはは……」
実際はかなりよかったんだが、あんまり褒めてしまうとそこで満足してしまって、成長が止まってしまうことを危惧したんだ。
「あのぅ、そういえば、師匠にお尋ねしたいことがっ……」
「ん?」
「師匠の出す音って、前々から思ってたんですけど独特なんですよね。音が太いっていうか、同じギターなのに、出てる音がまるで違うように聞こえることがあるんですけど、もしかしてクラシックギターの中でも種類が微妙に違うんですか……?」
「……」
なるほど……いいところに興味を持ったものだ。そこに気が付いた時点でもう才能があるということだろう。
「ああ、実を言うとな、ギターの種類がまったく違うんだ」
「え、ええぇっ!?」
「俺が使ってるギターはなあ、百万を超えるビンテージものでな……」
「す、凄いんですね、それ……」
「というのはもちろん冗談でな、奏法が違うだけなんだ」
「なっ、なーんだ……師匠の意地悪っ。まるで、好きな子にちょっかいを出す子供みたいですね!」
「なんか言ったか?」
「いいえっ! それより、奏法について聞かせてくださいよ!」
「要するに、アポヤンド奏法なんだ、これは」
「アホヤン?」
「わざと間違えてないか?」
「い、いえっ」
「こうして、第六弦を親指で爪弾くだろ?」
「はい」
「その弾いた親指をな、次の五弦に引っ掛ける。五弦を弾くんじゃなくて、そこで止める、これがアポヤンド奏法だ」
「へぇー! それであんなに響きが良かったんですね! じゃあ、それ以外の奏法はアルペジオ奏法なんでしょうか?」
「いや、アポヤンドと比較するならアルアイレ奏法ってやつで、これは引っ掛けない弾き方で、今のクラシックギターの世界では主流の弾き方なんだ」
「へー……でも私、アポヤンドがしたいです、師匠!」
「……」
どうしようか。アポヤンド奏法なんかやっちゃうと、素人はほぼ間違いなくバランスを崩す。いわゆる指のから回り現象が起きる。簡単で弾きやすい上、速度や安定感を維持しやすいからこそアルアイレは主流になっていったんだ。なのに、折角上達しかけているところで負荷をかけてしまっていいものだろうか……。
「師匠、お願いします……!」
「……うーん……」
今ダメだと突き放したところでいずれはやるだろうし、このやり方に慣れきってしまうより、早い段階から取り入れていったほうがいいかもしれないな。
「よし、わかった」
「あ、ありがとうございます、師匠! あ、そうだ……」
「ん……?」
「実は、師匠に大事な報告が……」
「な、なんだ? 急にそんなに改まって」
「……その、もしかしたら、師匠がショックを受けちゃうかもです……」
「……ほ、ほお……」
さては、恋人ができたとかか。いい年頃だからな。
っていうか、もしかしたら彼氏も一緒にクラシックギターを学びたいとかじゃないだろうな……。恋人を作る分はもちろん構わないというか俺がとやかく言うような問題じゃないと思うんだが、そこまでやられると、いくらなんでも気まずくて教えるどころじゃなくなりそうだ。目の前でいちゃつくようなことはさすがにしないだろうけど、色んな意味で肩身が狭くなりそうなんだよ。
「あのなあ、泉。彼氏ができたからって、ここに連れてくるんじゃないぞ……? なんせ、そうなると指導するにもいちいち気を遣うわけだからな」
「師匠……彼氏ってなんのことですか?」
「え……?」
「あ、なるほどぉ……私に彼氏ができることが、師匠にとっては相当にショックなわけなんですね!」
「……あ、い、いや、そうじゃなくて――」
「――はいはい、大丈夫ですよ。私の心と体も、全部師匠のものですから……」
「……お、おいおい、いい加減にしろって、モテない大人をからかうな……」
まったく、正真正銘の小悪魔だな泉は……って、大事な報告ってなんだったんだ?
「それより泉、報告っていうのは……?」
「それはですね、私がギターを布教したおかげで、クラシックギター部ができることになったというものです!」
「え、ええ……?」
「もちろん私が部長でして、今のところ、お試しの意味合いが強くて月末に一度だけ演奏し合うだけの部ですが……」
「なるほど……って、それは俺がショックを受けるようなことなのか?」
「ふふっ。さっき師匠がついた嘘で驚かされたので、そのお返しですっ」
「……」
ビンテージのお返しか、なるほどなあ。俺としたことが、弟子にしてやられてしまったわけだ……。
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