第12話 漫才


「前田さんっ……」


「あ……」


 仕事場に漆原さんが入ってきたかと思うと、爽やかな微笑を浮かべつつ俺のほうに歩み寄ってきた。


 彼女はとにかく華のある子なんだが、それだけじゃなくて周りの人間を和ませる力があって、そこにいるだけで職場の雰囲気が良い意味で一転するほどなんだ。この人がここで働き始めてから客足が増えたのはおそらく偶然じゃないだろう。


「昨日の演奏、本当に素晴らしかったです……」


「そ、そりゃどうも……」


「あの、もしよろしければ、月一万くらいでご指導してはもらえませんか……?」


「えっ……」


 月一万って、ピアノ教室並だな。


「いやいや、同僚からお金は受け取れないし、別にタダでもいいんだけど……」


「えぇ……? い、いけません、そんな、タダだなんて……。月一万は最低限の礼儀として言っただけで、本当はこれでも全然足りないと思っているくらいです……」


「ははは……」


 毎日教えるわけでもないだろうに、お嬢様はやっぱり言うことが違うな。


「それなら、もっとしっかりしたところに通ったほうがいいんじゃないかな? 一応基礎くらいは教えてあげられると思うけど、俺はこれでもずっと独学でやってきたんでね。それに、賞とか取ってるわけでもないし……」


「ど、独学であそこまでやられてるなんて、凄いとしか言いようがないです。わたくし、ますます前田さんにご指導を賜りたくなってまいりました……」


「……」


 うーん、どうしようか。こっちがあんまりタダにこだわるのもなあ……なんか下心があるように思われたら嫌だし、かといって金なんて受け取ったら泉だけ特別扱いすることになるわけで……。


 でもあいつの場合、俺のために部屋を片付けてくれたり、弁当を作ってくれたりと、結構面倒見てもらってるんだよな。それに泉はまだ学生の身分だし、今までの貢献でチャラってことにしといて、ここはありがたく受け取っておこうか。


「わかりました、引き受けましょう」


「ほ、本当によろしいのですか? 嬉しいです……」


「はい、漆原さん。大したことは教えられないかもしれませんが、自分でよければ……」


 敬語は苦手だが、せめてこういうときくらいは先生っぽくしないとな。


「いえ、全然構いません。よろしくお願いしますねっ」


「こちらこそよろしく」


 これで正式に弟子がまた一人増えてしまったけど、漆原さんなら全然構わない――


「――おいっ、前田ああぁぁっ!」


 タイミング悪く、鮫島のやつが割り込んできた。


「聞いたぞ、おい! 俺も弟子にしてくれるんだろうなあ!?」


「……」


 聞こえてたのか。結構遠くにいたように見えたのに、地獄耳だな……。


「よし、それなら鮫島だけは特別に月2万にしておくか」


「お、おいっ! 何が特別だよ前田っ! 漆原さんより1万も高いじゃねえか!」


「鮫島は俺の同僚として長いからな。それくらい丁寧に教えてやるってことだよ」


「いや、別に丁寧じゃなくていいしだったら普通でいいって! 前田、頼むよおおぉ!」


「前田……? そこは先生、どうか教えてください、だろ?」


「ま……前田先生っ! どうか教えてくれえぇ!」


「鮫島……まず今までの非礼を詫びて、それから土下座するのが先だろ?」


「お、おいいっ!」


「ふふっ。お二人とも仲がよろしいですね」


「「……」」


 このやり取りが漆原さんに受けたみたいで、俺は鮫島となんとも苦い顔を見合わせる。仲がいいっていうか、こいつと喋ってると何故か面白くもない漫才みたいな流れになるんだ。


「じゃあ、鮫島は弟子は弟子でもムード役で」


「お、おうっ……って、ムード役って、なんだよそりゃ……!?」


 実際、鮫島みたいなやつもいたほうが場が盛り上がりそうだしな。正直、男としては漆原さんと二人きりでいるほうがいいんだが、それだと凄く緊張してしまいそうだ……。




「はあ……」


 帰路に就いたわけだが、溜め息は尽きそうになかった。


 今日だけで、新たに弟子を二人も抱えることになってしまったからな。お金が入るとはいえ、その分泉とはまた違った重圧も感じる。ただ、教える時間帯はあいつとは被らないので、その点では気楽かもしれない。以前みたいに気を遣われるというのもこちらとしては精神的に疲れるんだ。


「――師匠おぉぉっ!」


「あっ……」


 振り返ると、泉が物凄い勢いで駆け寄ってくるところだった。


「あ、あのなあ、外で師匠呼ばわりは目立つから、せめて先生とかにしてくれよ……」


「えーっ、先生だと担任の人を連想しちゃうのでダメですっ!」


「師匠の命令を聞けないとは、生意気な弟子だなあ」


「てへへっ」


 泉が笑いつつ俺と腕を組んできたので慌てる。


「お、おいっ、こんなところ誰かに見られたらどうするんだ。まだ明るいんだぞ……」


「師弟関係なので大丈夫です!」


「ど、どういうことだよ。これじゃ師弟っていうよりカップル……い、いや、親子に見えるかもしれないだろ……」


「師弟関係というのは、カップルや親子よりも上ですよ、師匠?」


「どんな新解釈だよ……」


「ふふっ……さあ、我が家へレッツゴーですよっ!」


「か、勝手に俺の部屋をお前の我が家にするな! っていうか腕を引っ張るなって……!」


「師匠、たまには体も鍛えなきゃダメですよ……!?」


「ちょおぉっ……!」


 俺は死ぬような思いで坂道を駆けおりていったわけだが、不思議と悪い気分じゃなかった……。

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