第11話 共同作業


 あれからほどなくして、漆原さんと鮫島が帰宅したわけなんだが、室内の雰囲気が驚くほどにガラリと変わってしまった。


 二人がやたらとうるさいのと穏やかなのとで対照的なためか、その中間にいる俺を含めて独特のハーモニーが生まれてたんだろうな。ちょっとだけ寂しくなるけど、やっぱり一人に慣れてるせいかこのほうが落ち着く。


「……」


 それでも頭の中はすっきりしてるかっていうとそこまではいかなくて、俺はのことが気になって仕方がなかった。


 あんな早い時間帯にここへ来たのも謎だし、知らない人が出てきたからって、俺がいるかどうかも確認せずに帰るなんてなあ。まさか気を遣われた……? 自堕落な俺に恋人なんているはずもないって、普通に考えればわかりそうなもんだがなあ――


「――あっ……」


 泉のやつだ。チャイムなんてみんなおんなじ音だっていうのに、何故かあいつだと確信してしまった。


「……師匠、さっきの人は……?」


 中腰になった泉が恐る恐るといった様子で、俺の部屋の中を覗き込んでくる。


「安心しろ、あの人はバイト先の同僚で遊びに来てただけだし、もういないよ……ってか、なんで一回来たときに帰ったんだ……?」


「も、もしかしたら師匠の奥さんかもって思って……それで迷惑というか、誤解されたらいけないって……」


「はあ、なるほどなあ……」


「でも、私あれから考えたんです。もし師匠に奥さんがいるならいつもあんなに部屋が散らかってないはずだし、違うのかなって思い直して……!」


「……名推理だな、泉」


「てへへっ。師匠には、もっとこう、なんていうか……しっかりとした人が似合うのかなと……!」


「そうか。それなら、良さそうな人がいたら是非紹介してくれよ」


「ふふっ。私なんてどうですかぁ? こう見えてしっかり者ですよぉ……?」


「……」


 泉のやつ、いつもの上目遣いだけじゃなく、わざとらしく体をくねらせてウィンクしてきやがった。


「おいおい……泉がそんな大人びたことするなよ。死ぬほど似合ってないぞ」


「えーっ!? ひっどーい……師匠に愛想が尽きたので、もう帰ります!」


「あ、いや、冗談だよ冗談――」


「――嘘でーす!」


「くっ、こ、こいつめ……」


 まずいな、このままじゃ舐められてしまう。そういうのは師弟関係としては望ましくない。流れを変えなくては……あ、そうだ。について聞くのをすっかり忘れていた。


「そういや泉、どうして今日はこんなに早かったんだ?」


「あ……そ、それは……」


「……」


 なんだ? よっぽど言いにくいことなのか、泉が目を泳がせながらもじもじしてる。


「まさか、あの変なあだ名をつけた連中にまたいじめられてるとか……?」


「い、いえっ……! そ、その、急に具合が悪くなっちゃいまして……」


「風邪か……?」


 泉の顔が赤いので額に手をやるが、そんなに熱いわけでもないような……。


「もしかして、恋の病でしょうか……」


「なるほど、そうか、とうとう好きな人ができたのか。青春してんなあ、相手はどんなイケメンなんだ?」


「ふふっ、師匠に早く会いたいからって早退してきたのに、そんなこと言っちゃうんですね……」


「おいおい、大人をからかうなって……。まあ要するにギター上手くなりたいからさぼったってことだな。それなら練習に付き合ってやるからとっとと入れ」


「はぁーい!」


 本日、泉にやらせた曲は、クラシックギターの曲では最も有名かもしれない、ナルシソ・イエペスの禁じられた遊びである。


 初歩中の初歩と思われがちなこの曲は、確かに簡単な部類ではあるが、実はごまかすことなく綺麗に弾こうとすると結構難しい。多分……いやほぼ間違いなく、自称ギタリストにこれを弾かせて、完璧に弾きこなせる人はほとんどいないんじゃないかな。


 この曲の肝となるのが、親指でベースとともに弾く三連アルペジオの部分なんだけども、この動きをしっかりやることで後々トレモロの習得にもつながっていくんじゃないかと思う。トレモロは親指以外は同じ弦を弾くので当然違いはあるものの、常に一定のリズムなので良いヒントになるんじゃないか。


「――弾けましたっ!」


「んー……転調したあとのアルペジオがちょっと弱いな。最初からやり直し!」


「は、はいっ!」


 泉は大分上手くなってきてるんだが、それでも俺の容赦ないダメ出しに対して文句一つ言わずにやってくれてる。譜面とにらめっこしながらも、テンポが少し遅れてしまってもしっかり言うことを守っていた。


 もう自分は上達しているから、次だ次、こういう考えが一番怖い。ギターは生ものだ。おごりがそのまま旋律に乗っかってしまう。自分はおごり高ぶっていると大々的に宣言するようなものだ。それじゃギターは言うことを聞いてくれなくなる。二人の共同作業。お互いの信頼関係がなければ、人の心には響かないんだ。


「そうそう、今はゆっくり、確実にでいいんだ。ミュートだの強弱の具合だの、小手先の技術とかスピードにはまだそこまでこだわらなくていい。そういうのは徐々にやれればいいんだ。詰め込み過ぎても続かない。とにかく肩の力を抜いてリラックスして、感情を込めて弾こう」


「はい……!」


「いいぞ……いい感じだ、伝わる、伝わってくる……」


 それにしても、女子高生が奏でる禁じられた遊びを、俺みたいなおじさんがこんな間近で聴くことになるとは。下手したら本当の意味で禁じられそうだな。

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