第10話 音楽室


「うおおおおおぉぉっ! 漲ってきたああぁぁぁっ!」


「ふふ、楽しみですねえ……」


「……」


 仕事先から俺のアパートに向かう途中、ご覧の通りみっともなく吠えているのは鮫島で、対照的に可愛らしく微笑んでるのは漆原さんだ。


 休憩時間に体験で俺がギターを一日だけ教えるって話になってから、鮫島のやつが何故か俺に対してライバル心剥き出しになってるって構図なんだ。この自信が一体どこから来るのやら……。


「俺はなあ、前田っ! ギターの腕じゃお前に負けてるかもしれねえが、だからって舐めるんじゃねえぞ!? こう見えても昔はバンドマンを目指してたんだからよっ! ま、Fコードの壁を前に、見事に挫折しちまったけど……」


「Fコードって……」


「でも、簡単なコードなら今でも弾けるぜええぇっ!」


「……」


 たかがFコードで挫折してしまうなら、人差し指で複数の弦を押さえるセーハを多用するクラシックギターなんて到底無理だと言おうとしたが、最初にハードルを上げ過ぎないほうがいいと思って言うのをやめた。漆原さんもいるしな。


「そういえば、漆原さんはどうしてギターをやりたいって思ったのかな?」


「あ、はい、実はわたくし、学生の頃は吹奏楽部にいたんですけど、当時から弦楽器に対して憧れがあって……」


「「へえ……」」


「でも、いきなり楽器屋さんには行き辛くって、ちょっと触ってみようと思ったら前田さんがおられたんです」


「「なるほど……」」


 鮫島のやつといちいち声が被る結果になってしまった。しかも話しかけた途端間に入ってくるし、俺が教える立場だっていうのを完全に忘れてるだろ……。


「というかだな、鮫島、お前が持ってきてるやつってアコースティックギターだろ。クラシックギターを学びたいんじゃないのか?」


 ケースにも入れてないからまんまなんだよな。


「こ、これでいいんだよ! あれだあれ! 弘法筆を選ばずってやつだ! なははっ!」


「「……」」


 俺は漆原さんと苦い笑みを浮かべ合う。ちなみに彼女はというと、ちらっと見せてもらったからわかるがちゃんとしたクラシックギターを持参していて、上等そうなケースに入れていたのでさすがだと思った。


 お、アパートが見えてきた。教えるのが漆原さんだけだったら緊張するが、鮫島も一緒だからな。そういう意味じゃいてくれてほんの少しは助かる。


「――さ、どうぞ入って」


「「お邪魔しまーす!」」


 こういうこともあろうかと、今回はちゃんと事前に綺麗にしておいたので安心だ。俺が部屋を掃除するなんて珍しいことで、かなり疲れたわけだが。


「なんか男くせえ部屋だなあ」


「はあ? そりゃそうだろ、鮫島。俺が一人で住んでんだから」


「マ、マジかよ。前田が一人で住んでる部屋なんて、想像しただけで吐き気を催してきたぜ……」


「そうかそうか、よし、んじゃ鮫島だけ帰るか?」


「ちょっ!?」


「ふふっ……」


 漆原さんの笑い声のおかげで、鮫島のせいで淀んだ部屋の空気も少しは澄んだような気がする。


「……」


 そこでふと、泉のことが脳裏に浮かんできた。あいつが今この場に来たら気まずくなりそうだが、今日は平日で、しかもバイトが午前中までってことでまだ昼前だし大丈夫なはずだ。


「鮫島、自信満々そうだったし、よかったらそのアコギで何か弾いてみてくれよ」


「お、おうっ……!」


 鮫島のやつ、いざとなると青ざめてやがる。


「……い……いっくぜえええぇぇっ……!」


「「……」」


 ようやく演奏し始めたと思ったら、ジャジャーンとローコードをストロークで弾くだけに終始している。C→Am→Dm→G7→Cといった具合に循環コードを延々と弾く感じだ。これじゃソロギターではなくただの伴奏のようなもので、歌がなければ成立しないというか物足りない。


 たまにコードをジャカジャカ弾くだけで一流のギタリストと自称する、または勘違いする輩がいるが、まだその程度ではギタリストとしては半人前だといっていいだろう。かつては俺もその一人で、コードを弾きながら流行りの歌を歌うことはあったが、ギタリストだと自称することさえなかった。


「鮫島、それちょっと貸してみてくれ」


「お、おう」


 俺がこのアコギで弾いてみせたのは、ゴンチチの放課後の音楽室という割りと有名な曲。これはクラシックギターでもたまに弾いていた曲で、もちろんこれ自体はクラシック音楽ではないんだがそこそこ気に入っているんだ。


「――す、すげえ……」


「す、凄いです、前田さん……」


「そ、そうかな?」


 そういえば人前でこの曲を弾くのは初めてのことだった。


「譜面なしで、しかもギターの種類も違うのに、なんでそんな難しそうなのを弾けるんだよ、前田……」


「本当に鮫島さんの仰る通りです。というか、一人で弾いていらっしゃるのに、二人で合奏しているかのように聞こえました……」


 漆原さんの言ってることが核心を突いていた。


「あぁ、それこそがソロギターなんだ。クラシックギターではこういうのが前提になる。リズム、伴奏、旋律……一人で何役もこなさなきゃいけないのがクラシックギタリストなんだよ」


 もちろん、クラシックギターだけが難しくてほかの楽器は簡単なんてことを言うつもりはまったくない。アコースティックギターもエレキギターも極めるとなると途轍もなく難しいが、クラシックギターはその中でも異次元の難易度ってことなんだ。


「お、おい前田……お前、そんなに格好いいやつだったか……!?」


「おいおい鮫島、今までダサかったみたいに言うなよ……」


「前田さん、遅ればせながら、とっても素敵な演奏でした……」


「いやいや、俺なんてまだまだ……」


 こうして褒められると当然嬉しいんだが、今まで呼吸をするように当たり前にやってきたことだからか、正直照れ臭いという感覚のほうが強かった。それに、ここで満足するようだと終わりだからな。


 ――ピンポーン。


 ん、チャイムが鳴った。こんな時間に誰だろう……? 何か頼んでたわけでもないしなあ。


「あ、わたくしが出ますね」


 漆原さんが玄関のほうへ行ってしまった。


「どなた様でしょうか?」


「え、え、えっと……! ご、ごめんなさいっ……!」


「っ……!?」


 い、今の、確か泉の声だったよな。なんであいつがこんな時間に――って、鮫島のやつがなんかげっそりしちゃってるんだが、一体どうしたんだ……。


「お、おい、今の可愛い子はなんなんだよ、前田ぁ……」


「で、弟子だが……?」


「……お、俺はよお、なんかすげーギリギリ、かろうじてだけど、男として前田に負けちまったような気がするぜ……」


「……」


 あくまでも僅差で負けたって言い張るのか。鮫島って相変わらず自己評価が高いな……。

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