第8話 曲


「――と、こういうわけなんです……」


「なるほどなあ……」


 泉の話を聞き終わり、俺はうなずく。


 大雑把に言うと、彼女が普段から積極的に色んなことを先生に質問したり、知らない人にも話しかけたりすることが原因となったのか、三人組の意地悪な女子たちに目をつけられていじめられているのだという。


 厚顔無恥子、とかいう無理矢理なあだ名をつけられた挙句、あたしたちが綺麗にしてあげるという文言とともに汚れた雑巾で顔や制服を拭かれたのだそうだ。


「俺の弟子に随分と酷いことをしてくれたもんだな……って……」


 俺はその三人組に怒りを覚えつつはっとなる。いじめのやり口としては手慣れているように感じるし、前々からやられてるんじゃないかって思ったんだ。


「泉……やられたのは今回だけじゃないんだろう? もしかして、今までいじめられたことを俺に隠してたのか?」


「……」


「早退ばかりしてたのはいじめが原因なんじゃないか? 正直に話してくれ」


「……はい……」


「やっぱりな……」


 泉の天真爛漫さはある意味目立つだろうから、いじめのターゲットにされてもおかしくないとはいえ、高校生にもなってそんな幼稚な真似をするなんてなあ……聞いてて恥ずかしくなるほどだ。どっちが厚顔無恥なのかと小一時間問いただしたくなる……。


「転校してきて、新しい学校生活になるということで、私、無理をしてでも馴染もう馴染もうと思って……それではりきりすぎちゃったかもです……」


「あんまり気にしないほうがいい。いじめるやつっていうのは大抵日常生活でストレスを溜め込んでて、自分より弱い相手を血眼で探してるから、些細なことからでも糸口を見つけ出してくる。それこそ人間なんて欠点ばかりなのにな、自分のことは平気で棚に上げるんだ」


「……あのっ……師匠、学校って、どうしても行かなきゃいけないんでしょうか……?」


「……んー……泉がどうしても行きたくない、辛いっていうなら逃げてもいいよ。でも、俺は中退してる身だから言わせてもらうけど、その分苦労することになるし行ったほうがいいんじゃないかな?」


「え、えぇっ……?」


「俺は当時付き合ってた子を寝取られちゃってなあ、それが余りにもショックだったもんだから、そのままやる気を失って学校に行かなくなって辞めちゃったんだよ。まあ、今となっちゃバカみたいな話なんだけどな……」


「うわぁ……」


 しかも、あとから彼女から誘った格好だってことが発覚してショックが倍増したんだ。そうそう、あれが原因で女の子に対して苦手意識を持つようになってしまったんだったな。はあ、途轍もなく嫌なことを思い出してしまった……。


「それから大検を通して、地元の大学に行ったまではよかったけど、またそこでも中退しちゃって、ピエロも真っ青な中途半端人生の始まりだ」


「……」


「だからこそ、クラシックギターだけは諦めたくないから毎日やってるってわけだ」


「そうだったんですね……」


「そうだ、泉のために一曲弾いてやろう」


「わあっ」


 俺が選んだのは大聖堂Ⅰだ。テンポが速いわけでもなく、至って単純に見えて実は結構難しい不思議な曲。楽譜を見ればわかるように、前半のほうが15フレットまで伸びるので複雑に見えるが、実際は後半になってポジションが低くなるにつれて難易度が上がっていくという、俺の苦手な曲の一つなんだが、どうしても今この曲を弾きたかった。苦しんでいる弟子のためにも。


「――うぅ、いい曲ですけど、なんだか物悲しくなってきました。玉ねぎ2号ですねっ……」


「ははっ……気分がさらに沈むような感覚になるだろ? だからあえて暗い曲にしたんだ」


「えぇっ……?」


「別に意地悪したわけじゃなくて、心意気を見せたかったんだよ」


「心意気、ですか……?」


「あぁ、曲っていうのは文字通り曲がるって書く。だけど折れないんだ。こんなに悲しい曲でも絶対に折れないし、最後まで続いていく」


「……」


「折れなければ、辛い思いをしたとしてもそれは曲なんだ。続いてるんだよ。もちろん真っすぐに行くよりも苦労はするだろうけどね」


「……」


「もうちょっと我慢してみて、それでもダメなら辞めてしまったらいい。親や兄さんに相談するのもいいけど、辛いときはいつでもここに来て話を聞かせてほしい。何があっても俺だけは味方だから」


「……はい。ぐすっ……」


 泉の嗚咽する声が室内を支配する。ちょっと彼女のために玉ねぎを一杯用意し過ぎちゃったかもなあ。


「ただ一つ言えるのは、泉に泣き顔は似合わないってことだな」


「そ、そうでしょうか。でも、厚顔無恥とか……」


「だったらそれを突き詰めるっていうか、極めていけばいいんだよ」


「うぇっ……?」


 俺の台詞に泉が素っ頓狂な声を上げる。


「し、師匠、極めるって……?」


「もう失うものはないくらいの気持ちで、ギターを教室に持っていってさ、みんなの前でソロギターでもやってみたら?」


「え、えぇっ……?」


「まだ不安なら、コードを押さえて流行りの歌を歌うとかでもいいしさ。きっと周りの見る目も変わると思う。音楽っていうのはどんなに曲げられても折れないくらい強い。俺が学生の頃、ギターに出会えてたらなって思ったくらいだよ」


「折れない心、ですね……!」


「そうそう。クラシックギターってやつはな、ただの楽器じゃない。一人の人間なんだ。その音色は魂で、人の心を変える力を持っている」


「……な、なんだか元気が出てきました。よーし、やるぞおおおぉっ!」


「はっはっは。それでこそ、曲がっても折れない、俺の立派な弟子だ」


「で、でも、確か師弟関係って、一カ月限定でしたよね……?」


「んー、じゃあ延長するか?」


「はいっ、それでは延長お願いします、師匠!」


「よし、わかった!」


「おぉっ!」


 こうしてあっさりと俺たちは再び師弟関係となり、笑い合った。


 偉そうに言ったが、俺もいつまでも過去を引き摺らずに前に進まないとな。泣いても笑っても人生なんてほとんど変わらないけど、どうせなら笑っていたいから。大きく曲がりくねった道の向こう側に光が射し込んでいると信じて、ひたすら前進あるのみ……。

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