第7話 変調
『――最後に……今まで本当にありがとうございました。たった一カ月の間でしたけど、私にとっては最高の思い出ばかりです。だらしないけど、とっても偉大な師匠のこと、一生忘れません!』
「……」
昨日、師弟関係の一カ月がちょうど経過したってことで、俺は泉から受け取った手紙をバイト先で読んでいるところだった。ちょっとウルッときちゃったのは内緒だ。何故か、だらしないっていう箇所に余計に涙腺を刺激されてしまった。
これから彼女が長い人生の中でクラシックギターとどういう関係になっていくのかはわからないが、俺のように長続きさせるためにも、つかず離れずのパートナーのような関係であってほしいと願っている。俺も彼女と過ごした日々のことは生涯忘れないだろう……。
「おい前田、何読んでんだ!?」
「ちょっ……!」
急に現れた同僚の鮫島に手紙を取られかけたが、ギリギリのところで回避できた。本当に心臓に悪いやつだ……。
「なんだよそんなに必死になって。まさか……ラブレターか!?」
「ま、まさか、そんなわけないだろ……」
「ププッ……冗談だっての。違うなんてのは言われなくてもわかってるって! どうせ客からのクレームかなんかだろ? そもそも無趣味の前田がモテるわけねえし!」
「余計なお世話だっての!」
「それよりよ、前田、お前にも一応教えといてやる」
「ん?」
「昨日さ、新しくバイトの子が入ってきたんだけど、これがものすげー美人でなあ」
「へえ」
「しかもよ、大金持ちのお嬢様だとか……」
「そりゃ凄い……って、なんでそんな人がバイトなんかに来るんだ!?」
「前田ぁ、お前ってホントいい歳こいて世間知らずだよなあ」
「はあ?」
「金稼ぎっていうより、社会勉強みたいなもんだろ。そういう経験をしてこいみたいな」
「あー、なるほど――」
「――っと、噂をすれば早速いらっしゃったぜえええ……!」
「えっ……」
店の中に姿を現わした長髪の女性を見て、俺は正直彼女が入ってくる場所を間違えたんじゃないかと思った。それくらい場違いに美人だったし、スタイルも抜群にいいしで、モデルさんかなんかが撮影で入ってきたんじゃないかと疑うほどだったのだ。
「な? すげーだろ、前田。いいよなあ、どーせイケメン様の彼氏持ちなんだろうけど……」
「ま、まあ、そりゃそうだろうな」
「おい、悔しくねえのかよ、前田あぁぁ!」
「いや、別に……っていうか鮫島、お前が悔しがり過ぎなんだって!」
今の俺はああいう綺麗な女性を見ても、空に浮かんだお月様を見るような感じで、正直他人事でしか見られないんだ。そういや泉だって彼氏がいてもおかしくないくらい可愛いんだが、何故だかそういうのがいるイメージが湧かない。俺自身、あの子を女としてというより、自分の娘を見るような感覚だったからかもしれないな。
「はー、イケメン様のおこぼれでもいいから貰いてえや。こんな無気力なおじさんと一緒にいたら、俺まで同類だと思われて避けられそうだぜ……」
「おいおい、自分から寄ってきておいてそりゃない――」
「――あ、あなたは……」
「「えっ……?」」
俺と鮫島の上擦った声が被った。なんと、例の超美人の新人がはっとした顔でこっちに近付いてきたんだ。それで鮫島が発奮したらしく、俺の前に立ち塞がってしまった。
「ど、どーもどーも! 俺、鮫島昇っていって、ここじゃ君の先輩にあたるんだけど、わからないことがあったら是非、遠慮せずになんでも――」
「――あのリサイクルショップにいた方ですよね……?」
「あ……」
あの店にいて、なおかつ俺のことを知ってるってことは……つまり、演奏を聴いてた人たちの中に彼女もいたってことだよな……。
「そ、そうだけど……」
「やっぱり……。クラシックギター、凄くお上手でしたよね」
「い、いやいや、お恥ずかしいところを見られてしまったもんで……」
「そんなことはありませんよ。圧巻の演奏力に聞き惚れました。本当に尊敬します……あ、わたくし、
「あ、お、俺は前田進っていう者でね。よ、よろしく……」
何故か握手まですることになってしまって、隣にいるやつから抉るような視線を感じるが、思わぬ出来事で気分が高揚してるためかそこまで気にならなかった。
「それでは、これから研修がありますのでまたのちほど……」
「あ、ああ、また……」
ついに独身の俺にもモテ期が来たのか……? まあそれとこれとは別だろうけどな。
「おい、前田……」
「……」
「お、おい、前田あああぁっ……!」
「ん?」
なんか鮫島の顔が急にやつれてゾンビみたいになってるんだが、なんでだろう。
「前田あぁぁ……お、お前、ギターってなんなんだ? どういうことだってばよ、おいいいっ!」
「あぁ……」
鮫島にギターについて話すつもりはなかったが仕方ない。ここで無理矢理隠してもどうせいずれはバレることだろうしなあ……。
「はあ……」
帰り際、しゃっくりのように溜め息が止まらなくなった。
あれから、研修が終わった漆原さんも混じってクラシックギターについて話すことになったんだが、彼女も最近ギターを始めてるとかで俺に教わりたいのだという。彼女だけならまだしも、鮫島まで俺も俺もと加わってきたもんだからややこしくなってしまったってわけだ。
とりあえず考えさせてほしいといってその場を取り繕ってきたが、いずれは結論を出さなきゃいけないわけで、正直気が重かった。泉との契約期間が終わったと思った矢先、また弟子を二人も抱えなきゃいけないのはきついよなあ。
「――あっ……」
アパートに戻ってきて、扉の前で誰かがうずくまってると思ったら泉だった。しかも顔や制服がやたらと汚れてる。
「い、泉、一体何が……?」
「……し……師匠……!」
「……」
抱き付いた泉を受け止めると、彼女は泣きじゃくり始めた。
「こ、このままじゃなんだから、中へ入るぞ」
「ぐすっ……はい……」
「――すぐ乾くから」
「はい……ありがとうございます……」
汚れた制服を洗濯して、泉には俺の服を貸してやった。
「落ち着いたらでいいから、そのときが来たらゆっくり話してくれ」
「……いえ、今話します……!」
「おいおい、無理しなくていいんだぞ……?」
「いえ、私は師匠の弟子ですから……!」
「……」
さすが俺の弟子だ、立ち直りが早い。
「じゃあ事情を聴かせてもらうぞ。何があった……?」
「じ……実は――」
泉は目元に涙を浮かべつつも、しっかり前を向いておもむろに語り始めた。
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