第5話 超一流


 ――チャイムが鳴った。あれ……確か今日って日曜だよな。泉には土日は教えないって言ってあるし、何か注文してるわけでもない。一体誰だろう?


「……」


 って、まさか警察じゃないだろうな。女子高生を自宅に連れ込んだ怪しい人物がいるとかで通報されててもおかしくないしな……。恐る恐る玄関のドアアイから外を窺うと、あの子だった。もちろん制服姿じゃない。


「おいおい、泉、今日は日曜だから授業はないぞ――?」


「――わかってます。ジャジャーン!」


「えっ……」


 いきなり独身男性の部屋に入ってくるなり、一万円札を見せびらかしてくる女子高生って一体……。


「あ、それってもしかしてギターの授業料か? ありがたく受け取るぞ」


「違いまーす!」


「じゃ、じゃあ一体……?」


 俺が掴みかけた諭吉は寸前で逃げてしまった。


「お兄ちゃんがこれでギター買ってこいって!」


「……あぁ、それでか。よかったな、泉」


 彼女の兄からしてみたら、エレキギターを没収されたのが余程こたえたんだろうな。


「というわけでぇ、ついてきてくれますよね!」


「ん、どこに?」


「もちろん、ギターを売ってるお店にです!」




 そういうわけで、俺たちは最寄りのリサイクルショップへ行くことにした。楽器屋でもよかったが、予算が1万なら新品より安く買える分、そのほうがいいだろうと二人で三分ほど話し合った結果だ。


 早速店に入り、二人でギター展示エリアの前に立つ。


「わー、これいいですね、これもっ!」


「お、おいおい、ベタベタ触らないように!」


「うう……」


 まあ泉の気持ちはわからんでもない。色んなギターが並んでいるのでいつまでも眺めていたい気分になるんだ。俺は毎日狂ったようにクラシックギターばかり弾いてるわけだが、ほかのギターに興味がないわけじゃない。ゲイリー・ムーアとかニール・ショーンとか個人的に好きなギタリストもいるし。


 お、これなんて良さそうだなあ。クラシックギターのうちの一つを手に取り、ざっと弾いてみたらチューニングが合っているのがわかった。ちょっと弾いてみようかな。周りに人がいないことを確認して奏で始める。椅子もない状況で座って弾くというなんとも不利な状況がまたチャレンジ精神を刺激してくる。


 さて、始めるか……。第五弦の2フレットからスタートするこの曲は俺が一番得意とするもので、指を動かす練習にも持って来いの難曲の一つだ。とにかくスピーディーな演奏が要求されるため、前のめりになりがちなところをアポヤンド奏法、すなわち弾いた指を次の弦に引っ掛けるテクニックを織り交ぜてバランスを取りながら奏でる。


「「「「「……」」」」」


 なんかやたらと視線を感じるのでおかしいと思ったら、周りに人が集まっているのがわかった。


「な、なんだよあのスピード!」


「すげー!」


「プロの犯行だ……」


「なんだか素敵な曲よね、なんて曲かしら?」


「しらねー……っていうか、ありえねー……」


「……」


 こうしてべた褒めされるというのは決して悪い気分じゃないんだが、まさかこんなことになるとは。これじゃ、自分の腕をひけらかしてるみたいなので正直後悔している。


 この反応からもわかるように、初めて聞いた人間からすればこのテンポで弾くのは不可能に感じるほどの曲だと思うが、実際はワンパターンなため慣れてくればそこまで苦にはならない。目を瞑っても弾ける自信があるほどで、つまりはその程度ということ。


「「「「「――わーっ!」」」」」


 弾き終わると店員や客から拍手が起こったので、俺は頭を下げつつギターを元に戻し、逃げるようにその場をあとにした。いくらなんでも照れ臭すぎる……。


「し、師匠っ、さっきの演奏、物凄かったです! あれはなんていう曲なんですか……!?」


「バリオスの大聖堂Ⅲだよ」


「へえぇっ! バリオスさんのフリアフロリダとは、イメージが大分違いますねえ」


「むしろこの曲が彼の代表曲みたいなもんでな。クラシックギターの巨匠のセゴビアも認めたほどで、ちなみにⅠからⅢまであるんだ」


「なるほどー。壮大なシリーズ曲なんですね。荘厳すぎて、リサイクルショップが大聖堂みたいになってましたもん」


「あははっ、上手いこと言うな、泉は……」


「えへへっ、みんな師匠のこと凄いって褒めてましたよ。弟子として鼻高々です!」


「そ、そうか。それならよかった……」


 とはいえ、もうあんな思いは二度とごめんだけどな。ギタリストとして、調子に乗ってこんなところで演奏してしまったことを深く反省しないと。


「それより、ギター買いにきたんだろ? 早く買えって」


「さっき師匠が弾いてたやつにします!」


「え……」


 値段見てなかったけど、1万切ってたんだな。


 そういうわけで、ギターケースと一緒にあのギターを購入した弟子とともにリサイクルショップをあとにしたわけだが、そこを出るまでとにかく絡みつくような視線を感じて困った。


「師匠、どうしてそんなに早歩きなんですかっ!?」


「黒歴史だから、なるべく早く遠ざかりたくてな」


「そんなこと言わず、もっと弾けばよかったのに……」


「いやいや、違う意味で俺のメンタルが壊れるから」


「はー、これが自虐風自慢ってやつですね! 私もいつかああいう凄い曲を人前で弾いてみたいですっ……!」


「泉、お前なあ……あんなところで弾くよりも、どうせならもっと大きいところで披露するべきだろ?」


「大きいところ……?」


 俺の言葉に、泉はしばらくぽかんとした顔で置き去りになって、まもなくはっとした顔で追いかけてきた。彼女は体が小さいだけにギターケースがやたらと重そうだ。


「そ、それってどこなんですか?」


「そりゃ、もちろんあれだ。コンサートホールとか……」


「お、おおぉっ! いいですね……!」


「俺の弟子ならそういうところを目指すべきだな」


「はいっ、頑張ります、師匠っ!」


 泉のやつ、のぼせてるな。ここは一つ、師匠からの愛の鞭として冷水を浴びせておこう。


「まあ、今のところ泉は俺のアパートで弾くのが一番似合ってるけどな」


「ですねっ!」


「……」


 全然効いてる感じじゃない。意味が上手く伝わってなだけかもしれないが、手強い……。


「ただ、泉の情熱だけは超一流だからなんとかなるはず」


「おおっ!」


「鉄は熱いうちに打てっていうだろ? これからさらにスパルタ教育を施してやるから、覚悟しておくんだな」


「は、はいっ! どんどん熱いのを打ってください、師匠っ!」


「目指せ、コンサートホールッ!」


「おーっ!」


 威勢のいい泉の声が響き渡った。ギターケースに冷やかされたのか、ちょっとバランスを崩しかけたが……。

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