第2話 弟子


「……」


 狭くて暗い自室にて、俺の荒い息遣いとマウスのカチカチ音だけが響く。


 今、美人局つつもたせについてパソコンで調べてたんだが、それこそ色んなタイプがいて、中には昨日みたいに独り暮らしの男の家に乗り込んできた女子高生の話もあった。


 そのケースでは、あとで彼氏がやってきて多額の金を要求されたらしい。しかもその子は制服を着ていただけで実際は会社員だったそうだ。怖すぎる……。


 仮にそうでなくても、泉が友達とか親とかに話して、何故か俺が家に招き入れた不審者ってことにされる可能性だってあるんだ。というのも、あのあと弟子なんて取らないって拒否したらあの子、見るからに肩を落としてがっかりしてただけに、逆恨みされる恐れも充分にあるわけだしな。


 しかも、折角の休日だっていうのにこんな恐ろしい話を朝から延々と見てしまった以上、カーテンも開ける気は起きないし、ギターだって弾く気も起きない――


「――はっ……」


 インターホンが鳴った。来た来た、どうしよう……。この前頼んだ商品はもう朝に受け取ったし、この時間に来るということはやっぱり……。


 昨日、迂闊にもあの子を家に上げてしまったことを後悔している。下心なんてなかったけど、世間的にはそういう目で見られてしまう可能性が極めて高いように思う。


「うっ……?」


 思わず声が出てしまったのは、インターホンに加えてドンドンと扉を強く叩く音まで聞こえてきたからだ。これはさすがにあの子の仕業じゃないだろうし、彼氏パターンかあるいは警察か……。


 ピンポンパンポーンドドドンドンドンという、借金取りが奏でてるとしか思えない騒々しい音とリズムがしばらく続いた。


 俺はただクラシックギターを弾いていただけなのに、どうしてこんなことに……。とにかく、このまま黙っていたらますます誤解されそうだし、とりあえずしっかり応対して、それから弁護士を呼ぶことにするか……。


「……」


 玄関の扉の覗き穴ドアアイから恐る恐る外を窺うと、あの泉小夜という女子高生のほかに、茶髪のいかにも悪そうな男がいた。やっぱり彼氏パターンか……。


 本当に面倒なことに巻き込まれちゃったもんだ。い、いや、弱気になるな。こっちは別に何も悪いことはしてないんだし、毅然とした態度で臨んでやろうじゃないか……。


「すうぅぅ、はああぁぁ……」


 まずは深呼吸して、ゆっくりとドアを開ける。


「うっす。前田さんっすよね?」


「……あ、そ、そ、そうだがっ……!?」


 しょっぱなから噛んでしまった。これじゃますます舐められてしまうぞ。俺ってやつは、まったくもう……。


「実は昨日、俺の妹の小夜がお世話になったってことで来たっす!」


「……い、妹……?」


 兄パターンか。それでもピンチであることに変わりはないわけだが……。


「そ、そ、それで……?」


「是非、小夜を前田さんの弟子にしてやってくんねえかなって!」


「へ……?」


 弟子ってことは、ギターのことだよな。それってつまり、美人局じゃなかったってことか……。


「もー、お兄ちゃんは引っ込んでてって!」


 呆然としてたら、例の女子高生が慌てた様子で間に割り込んできた。


「ご、ごめんなさい、前田さん! 一人で来るつもりだったのに、お兄ちゃんに話したらでしゃばってきちゃって……!」


「はあ? 小夜、俺はよー、お前のためにわざわざこうして頼みにきてやったんだろーが!」


「……」


 なんか、心配した感じのことはなさそうだな。でもそれは油断させて下心を引き出させるための作戦かもしれないし、まだまだ気を緩めてはいけない。心を鬼にして一喝してやるんだ……。


「あのなあ、お前たち――!」


「――とにかくお兄ちゃんは帰った帰った!」


「ちょっ……!?」


 俺はこの子と一緒に部屋に取り残される形になってしまった。


「なんだよ、仲いいじゃねえか。んじゃ前田さん、よろしく頼んます、俺の愚妹をっ! へへっ」


「お兄ちゃん、バイバーイ!」


「え……」


 しかもこの子、勝手に扉を閉めただけじゃなくて鍵までかけちゃってるし……。


「あ、あのな、泉。いくらなんでもちょっと強引すぎるぞ……?」


「ご、ごめんなさい! でも、昨日の前田さんのギターテクニックを見たら、どうしても弟子になりたくて……いけませんかぁ……?」


「……」


 相変わらずこの子の上目遣いの視線はあざとい。狙ってやってるんじゃないなら天性のもんだな。うーん、どうしようか? 彼女が本心から俺の弟子になりたいとしても面倒すぎるし……。


「お願いしますっ」


「だから抱き付かんでよろしい!」


「ううっ。では、例の座り込みを開始いたします……!」


「おいおい……」


 今度は玄関で座り込みやがった。


「私も前田さんみたいにクラシックギターを華麗に弾いてみたいです……」


 エアギターまで始めてしまった。それにしたってギターの持ち方が逆だし、ピアノの初心者みたいに左手と右手の動きがまったく同じだし……ほかにも色々と突っ込みどころ満載だ。


「まずなあ、泉。クラシックギター学びたいんだったら左手の爪をとにかく短く切ることだ。そのままじゃ押さえにくいぞ」


「あ、はい! って、それって……?」


「ん、あぁ、で、弟子にしてやってもいいけど、一カ月だけだからな!?」


 一カ月もギターを教えるのはしんどそうだが、クラシックギターは旋律と伴奏を兼ねるソロギター前提だし、大体の人は途中で挫折してしまうだろう。持って二週間ってところか。


「お、おおぉっ! 師匠っ、ありがたき幸せっ! 至らぬ弟子ですが、よろしくお願いいたしますぞっ!」


「……ん、いたしますぞ? なんか偉そうな弟子だなあ?」


「ぐへへっ」


「はあ……って、だから抱き付くなって!」


「うふふっ。だって前田さん……いえ、師匠のこと、離したくないから……!」


「……」


 ホント、人懐っこいのはいいけど心配になる。一カ月だけとはいえこれからどうなるのやら、先が思いやられるな……。

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