俺とクラシックギターと女子高生

名無し

第1話 突拍子


 仕事が終わって、夕陽の射すアパートの一室に戻ってきた俺が、ポールハンガーに吊るしていたギターのネックを掴む。自分の趣味といえばギターを弾くことくらいで、しかもこれはギターはギターでもクラシックギターなんだ。


 椅子に腰かけ、何度か分散和音奏法アルペジオで右手の小指以外の指を慣らしたあと、おもむろに親指を六弦に置いて旋律を奏で始める。


 俺が今回弾くのはアグスティン・バリオスの作曲したフリアフロリダ。フリアという女性へ贈ったというこの曲は、舟歌のリズムで奏でられる物悲しくも美しい旋律で知られている。


 従来の調弦チューニングではなく、ミからレにドロップチューニングした第六弦からスタートするこの曲は、途中で何度か小さい失敗はあったがそこそこ上手く弾けたと思う。


「……」


 ん、なんだか窓のほうから視線を感じて、俺は立ち上がった。誰かいる。まさか泥棒か……?


「――っ!?」


 一気に窓を開けて周囲を窺ってみると、制服を着た少女が座り込んでるのがわかった。


「……あ、あんた、そんなところで何してるんだ?」


「……あ、あのっ……私、泥棒ではないですっ……!」


「……そ、それは……まあ多分そうだとは思うけど……」


「「……」」


 俺たちの間になんとも重い沈黙が来訪する。


 見た感じただの学生さんだし、悪い人間ってわけでもなさそうだ。このままじゃ気まずいし適当に会話して終わらせるか。何よりこういう若い女の子は苦手なんだ。


「もしかして俺の演奏聴いてた?」


「あ、は、はいっ! あれってあなたの演奏だったんですね……!」


「あ、ああ。気に入ってくれたならよかったよ。それじゃ――」


「――ま、待ってください!」


「えっ……」


 窓を閉めようとして女の子に制止されてしまう。


「あの……迷惑かもですけど、おうちの中で聴かせてゆっくりもらってもいいですか……?」


「……」


 な、なんなんだこの子、知らない男の住む部屋に一人で入ろうとするなんて、いくらなんでも警戒心が薄すぎる。それとも何か裏でもあるんだろうか……?


「そ、その気持ちは嬉しいけど、あいにく部屋が散らかってるんでね、それじゃ」


 俺は返答を待たずに一方的に窓を閉めると、鍵を掛けてカーテンで覆った。そもそも制服を着た少女なんて部屋に入れちゃったら通報されてもおかしくないからな。


 ――ピンポーン。


「え……」


 ま、まさか、あの子……? そう思って恐る恐る玄関の扉の覗き穴から外を窺うと、宅配のおじさんだった。はあ、びっくりした。そういや鯖の缶詰とか米とかネットで注文してたんだった。


 荷物を受け取り、部屋に戻ってまもなくまたインターホンが鳴る。あれ……もう一つ頼んだやつは明日来る予定のはずだったんだけど――


「――あ、あのっ……」


「……」


 例の女の子だった。照れ臭そうに俺を見上げて笑みを浮かべるところなんて、本当にあざとい、あざとすぎる。


「ギター、聴かせてもらってもいいですか……?」


「あのなあ……素性が知れない人を部屋に入れるのはちょっと……」


「あっ、私は決して怪しいものではございません。泉小夜いずみさやといって、近くの谷ケ原高校に転校してきた一年生ですっ。それで、学校帰りにギターの曲が聞こえてきて興味を持ちました!」


「なるほど、俺はフリーターの前田進まえだすすむ……って、それじゃ余計にダメだろ!」


「うぅ……ノリが良かったから期待したのに! それでは、抗議の座り込みを開始いたします!」


「おいおい……」


 本当に座り込んでしまった。こんなところを近隣の住民に見られたらなんて言われるか。とりあえず一曲聴かせて、それで満足して帰ってもらったほうがよさそうだな。


「すぐ帰るなら」


「はいっ!」


 なんか行動力のありそうな子だし、下手に追い返して逆恨みされるのも怖い。下心さえ持たなければ大丈夫なはずだ。まあ俺に限ってそういう感情を抱くようなことはないとは思うんだが……。




「――んじゃ、その辺に座って」


「はぁい! わくわくっ……」


「……」


 この泉っていう子の目の輝きを見て、俺は学生の頃をぼんやりと思い出していた。もう遠い昔のことのようだが。それにしても、最近の子は積極的すぎるのかな。男の住む家にこうも簡単に乗り込んでくるなんて……。


「で、どんなのが聴きたい?」


「さっきみたいなのがいいです!」


「……そうか。それならこれはどうかな……」


 俺が弾き始めたのは、フリアフロリダと同じ六弦ドロップチューニングのバリオスの曲、ワルツ四番だ。この曲は明るい曲調で、テンポがかなり速めなため結構難しいが、その分嵌ると楽しい曲でもある。


 あっという間に弾き終わると、少女からパチパチと拍手された。なんていうか新鮮すぎる。いつもこの部屋は俺とギターだけの空間だったから。


「凄いですっ、凄く良かったです、それっ!」


「そ、そうか。そりゃよかったな。それじゃ、そろそろ――」


「――前田さん、もう一曲お願いしますっ!」


「……あのなあ、一曲だけって言っただろ……?」


「そ……それはそうですけど、もっと聴きたくてっ……」


「動画とかでも聴けるだろ? わざわざこんなところで聴かなくても……」


「それは……やっぱり生がいいです。生がっ!」


「……」


 聞いててヒヤヒヤする。生がどうの、隣人に聞かれたらどうするんだと。


「とにかくもう帰ってくれ。女子高生を部屋に入れてたとかで変な噂が立ったら困るんだからさ」


「あ、じゃあ制服を着替えて――」


「――あのなあ……あんたは女子高生、俺はおじさん。それでもう理解できるな?」


「……はい」


「よし、それなら早く――」


「――ギターの上手な素敵なおじさんですっ!」


「ちょっ!?」


 抱き付かれたので慌てて突き放す。


「あ、あのなあ……! いいから帰ってくれ!」


「……め、迷惑でしたか……?」


「迷惑っていうか……若い子がクラシックギターをそんな風に好きでいてくれるのは嬉しいけど、お互いの立場ってもんがあるだろ……?」


「……ごめんなさい……」


「あぁ、気にするな。それじゃ、元気で――」


「――それじゃ、私を前田さんの弟子にしてくださいっ!」


「……はあ?」


 なんていうか、この泉小夜という少女は色んな意味で並外れていた。でもそういう子だからこそ、ここまで来ることができたのかもしれないな……。

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