第22話 夜を駆ける
「三つ目のお願いは………………私の余生に寄り添って欲しいの!」
「ふぇっ……? はい?」
黒の着物につつまれた彼女は、俺の目を真っ直ぐに見つめながら口にした。さっきまで、離れ離れになってしまうようなお願いを想像していただけに、拍子抜けで、思わず間抜けな声が出た。そして、脳が理解していくとともに、頬が焦げるように熱くなっていく。
「えっ? ええっ? それって…………」
「そうよ。要するにこれからの人生に寄り添って欲しいの…………つまりは、結婚して欲しいの!」
「は? はいっ? ちょ、ちょっとミルシアさん、何言っているの?」
はっきりとその二文字を耳にした時、途端に恥ずかしさが押し寄せてきた。だんだん頭がぼんやりしてきて、言葉が震えてくる。
「私は本気よ? 最初からずっと一緒にいたいと思っているし、これからを捧げる覚悟はあるわ」
「で、でも、一目惚れって言ってたよね! ミルシアさんは、結婚相手も直感なの???」
「もちろん出会いのきっかけなんて直感でしかないわ。だけど、それからの一週間で私はいろんなユートを見てきたわ。そして、もっと好きになったし、ずっと一緒にいたいと思っているわ」
「だ、だとしても、まずはお付き合いからでも…………いきなり結婚だなんて……」
俺は彼女のまっすぐな視線に耐えきれず、思わず目を逸らした。俺自身、結婚とか、恋愛とか、まるで無縁すぎて、全く頭が追いついていない。とにかく思い浮かぶ声を出すのが精一杯。さっきの異世界の話より、理解が追いついていなかった。
「ユートは、嫌?」
そのしょんぼりとした声に、視線を戻すと彼女はとても不安げな瞳をしていた。
「嫌じゃない……」
その言葉は、その場しのぎの言葉ではなく、本心だった。彼女と一緒になるのが嫌だとは一切思ってない。ただ……
「けど、気が早すぎない? お付き合いとかいろいろしてからの方がいいと思う……」
あまりにも急な話で、とにかく時間が欲しかった。心の準備がまだ全然だったからだ。
だけど、そんな俺の返事を聞いて、ミルシアさんはより暗い表情で俯いてしまった……
「あ、あの別に嫌なわけじゃなくて……」
もしかしたら、言葉が『お断り』の意味で伝わってしまったのかもしれない。不安になった俺は、思いついた順から弁明してみるけど、彼女の悲しさまじりの声に遮られる。
「あのね、ユート…………」
その声はまるで何か、致し用のない悲しい現実を告白するような声音で、涙声のようにも聞こえる。
「私には時間がないの。だからワガママかもしれないけれど、結婚するなら早くしたい…………」
彼女は時間がないと焦った。
異世界絡みであれば、もうすぐ帰らなければいけないとか? だから、
俺はそれが間違いであることを、確認するかのように尋ねた。
「それって、もうすぐその世界に帰らないといけないってことだよね? だから、記念に結婚したいんだよね? 絶対そうだよね??」
その問いに対して、ミルシアさんは首を縦には振らなかった。
そして、彼女は俯くと、その金髪が下に流れた。その瞬間、全てをはっきりと悟ってしまった。
「ねえ! それって…………どれくらいなの?」
思った以上に、強くて大きな声が出てしまった。この時、俺はわずかに苛立っていたのかもしれない。そんなくだらない冗談を早く撤回して欲しかったのかもしれない。でも、彼女は俯いたまま、顔を上げることはしない。
「もう僅かにしかないわ…………」
彼女が力なく呟いてから、二人の間に言葉がなくなった。
部屋の中は異様に静かだった。もちろん二人しかいないこの部屋が、喋らなければ静かになるのは当然のことだった。だけど、まるで時間が止まったかのような静寂を感じたのは俺だけだろうか。
蛍光灯のチカチカとした灯りは、全然光量が足りてなくて、部屋を薄暗く照らしている。そのはっきりとしない部屋は無機質なものに見えて、抜け出せない世界の狭間に迷い込んだような気分になる。
その部屋では時間も止まって、息も止まる。そして、頭では状況はが全く飲み込めないのに、胸のあたりだけがぎゅーっと絞られるように苦しくなっていく。
その息苦しさから逃げるように、俺はミルシアさんに当たった。
「そ、それって、何とかならないの!!! 決まってるって、おかしくない???? だって、そんなのわからないものじゃん!!」
「それは…………私たちの世界では、決まっているの…………」
俺の少し尖った声も、優しく受け止めてしまう。こんな時でもミルシアさんはミルシアさんだった。
顔上げた彼女は、穏やかな優しい表情をしていた。そして、俺を宥めるようにゆっくりと口にした。
だけど、その表情は4ヶ月前に目にした表情と同じような表情で……
「でも、ユート、これだけは言わせて。別にユートが気に病む必要はないの。ただ私がどこかに行っちゃうだけ」
「無理…………」
「だから3つ目のお願いは、それまで相手をして欲しいっていうのがお願い、めんどくさいかも知れないけど……」
「無理ぃ! 絶対に無理だぁっ!!!!」
俺は立ち上がり、ミルシアさんを怒鳴りつけた。彼女は驚きのあまり目を見開き唖然とする。そして……
「ちょっと、ユートっ????」
俺は、襖を乱暴に開け、裸足のまま玄関を飛び出した!!
ミルシアさんはもうすぐいなくなる、もうすぐ捨てられる、また別れてしまう、また椅子を見つめなきゃならない、また寂しさに苦しめられなければならない、また……また……
俺の心は限界だった。だから、俺は現実から逃げた。
僅かに街頭が照らすアスファルトは、俺の足を引っ掻いて、進めば進むほど、足の裏に激痛が走る。暗くてよく見えないけれど、たぶん足裏は血だらけになっていることだろう。それでも俺の心は、足を止めなかった。
だって、そんな痛みよりも、何度も何度も、四ヶ月前の記憶が思い浮かぶから。
何も当たり前のことのはずなのに、全く受け入れられないあの、光景が、現実が。
そして、ミルシアさんもうすぐ、そうなる。
その事実に、俺は耐えきれなかった。もういっそ死んで、消えてしまいたいとも思ったが、俺にはその方法がわからない。だから、ひたすら走った。
足裏の感覚は麻痺して来て、心臓を吐き出しそうなほど、吐き気が催す。そもそも、足が早くない方で、さらに言えば、彼女に最初にあった日、逃げきれないと知っている。
でも、俺には彼女から、この現実から逃げることしか選択肢になかった。
* * *
どれだけの時間走っただろう。
後は振り返らずただひたすら走って来たけど、心臓がもう限界を告げていた。もう呼吸が間に合っていなくて、頭がふらっとして、しゃがみ混んでから、もう体が動かなかった。
来ていたパジャマや下着は、蒸し暑い夜のせいで、汗でびしゃびしゃになっていて、これじゃあ風呂に入った意味がない。
空を見上げると、雲ひとつない真っ黒の中に、月だけが眩しく輝いていた。
ミルシアさんは想像もできないくらい遠い世界の果てから来てるらしい。たぶん、今見えている月よりももっと遠くから来ていてもおかしくない。そして、何があったのか、俺の家で余生を楽しんでいる。
いまだに理解できないし、よくわからないお話だ。
お願いは別に断ってもいいんだから、俺はその場で断ればよかったのだと思う。逃げ出さずに、無理なものは無理と言えばよかった。
だけど、それすらもできなかった。
たぶん俺は、ミルシアさんが好きだったんだと思う。あの、全てを抱擁してくれる優しい温もりが好きだった。出会った時に警戒していた、その温もりに甘えて、もう引き返せないところまで沼にハマってしまったんだ。でも……
「ユートっ!」
ミルシアさんは息を切らしながら、俺の目の前に立った。その着物の下の方は、地面と擦ったのか随分汚れていた。ただ、彼女は汗一つかいていない。
彼女の目は赤く腫れていて、逼迫した表情を見せる。まるで俺を失ったら死も同然のような逼迫感。彼女はしゃがむと俺を抱きしめ、首の後ろで泣きながら叫んだ。
「やっぱりこんな異世界人が怪しいのっ?? どうやったらユートに信じてもらえる? なんだってするわ! お願い、教えて欲しいの!!」
「あれだけのお金を持っているのが怖いの? だったら、一銭残らずユートにあげるわ。私は着の身着のまま、それでユートに殺されるなら私は無抵抗で死ぬ覚悟さえある!」
「本当に私のことは好きにして! だから、お願い! そばに居させて!」
そして、彼女はさらに強く俺を抱きしめた。それは、もう二度と離さないと、強い意志のこもったものだった。
だけど、俺は、彼女を突き放す。
肩のあたりを強く押すと、彼女は少し尻餅をついた体勢になる。彼女の目は大きく見開かれていて、瞳の色を失っていた。顔をひどく歪ませ、絶望の二文字をつよく滲み出していた。。
「俺は怖いんだ!!」
「俺は四ヶ月前、ばあちゃんを亡くした」
ミルシアさんは俯いていて、表情がうかがえない。
「でも、それはあまりにも早く死んだとか、交通事故で不幸にも死んだとかじゃなくて、持病の悪化で死んだんだ。でも、祖母は九十まで生きたんだから、平均より長生きした方だよ……でも!!」
「俺には信じられんかったんだ。あの元気で生意気で、豪快で、小さな頃から母代わりで唯一信じられる存在が、なくなるなんて思っても居なかった。これからもずっと一緒にあるものだと思ってたから、死んだ今なお受け入れられてないんだ!!」
「だから、怖いんだ!!」
「わずかな寿命ってことは居なくなるってことじゃん! 俺は両替に行ったあの日、四時間でも居なくなったと感じただけで、体は動かなかった。惨めにもその空席を眺めるばっかりだった」
「それが永遠となるなら、俺の心はもう無理だ!!!!」
「ミルシアさんは本当に優しくて、温かくて、ひとりぼっちの人生で一人じゃ無いと思えたんだ!!」
「だから……俺はミルシアさんを失うことが怖い。もう俺はこれ以上傷つきたく無いんだ!!!!」
「だから、ごめん…………一緒にはいられない…………」
最後の一言を濁した時、彼女は顔を手で覆った。そして、声を上げることもなく、大粒の涙を流し続けた。
俺はただひたすらに、彼女の弱々しい姿を見つめることしか出来無かった。
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