第18話 赤とピンク

「ユート! これ似合うかしら!」


 試着室から出てきた彼女は、赤い半袖Tシャツに、ジーンズのハーフパンツを穿いていた。膝まで覆うジーンズ生地からは、白くて細い脚が伸びていて思わず目をそらした。


 二人は朝食を済ますと、近所のアパレルショップに向かった。と言っても全国どこにでもある有名チェーン店で、しかも安いことで有名な店に向かった。

 

 あれだけのお金を持っているのだから、高いところに行った方がいいと思ったんだけど、彼女がこんなものにお金を使っても仕方ないと聞かなかった。あの額のお金は使い切る方が難しいのに、なんでそんなに倹約しているか俺にはよくわからなかった。


 彼女は店内に入るや否や、たくさんの服に目を輝かせ、ハイテンションに店内を駆け巡った。


 その光景を見て、ミルシアさんはやっぱり相変わらずだと思った。もちろん、初めて会った日からまだ二日しか経っていないから、人が変わってしまうような期間ではない。


 でも、不思議出会った日が遠い昔に感じるくらい、この二日間を長く感じていた。そして、この二日間という短い期間で変わったこともあった。

 

「ユートは何色が好き?」


「ユートはスカートとズボンどっちかが好き?」


「ユートは……」


 今回彼女はさまざまなことを俺に聞いてくる。初めて会った日は、「似合っている?」との確認はあったけど、基本は彼女が勝手にやっていた。だけど、今回はやたらと俺の好みを聞いてくる。


 俺も途中までは真剣に答えていたけど、人の服装を操作しているように感じて、「どっちも」だったり「なんでも似合う」と誤魔化した。すると、彼女は不満げな顔になって、怒ってますと言わんばかりに、左手が強く握ぎられる。


 そして、もう一つ大きく変わった点といえば、この左手だ。家から出た瞬間に優しく握られて、それから彼女は離す気配が一向にない。例え試着とかで離したとしても、終わった瞬間には繋がれていた。店員さんや近所の方から、生暖かい目で見られて妙に気恥ずかしい。でも、この左手はどういう意味なんだろうか。


 俺には繋いだ手のなす意味がよくわからずに、彼女の国ではこのようなスキンシップが当たり前なのだろうと理解していた。いや、そうやって色々と考えないようにしていたのかもしれない。


 彼女は今回上下ともに五着づつ欲しいと言っていて、多くの時間がかかるものかと思っていた。でも、四着は即決だった。というのも、彼女が試着した時に「似合ってる?」と聞かれて、「似合っている」と答えると、そのままカゴに入るからだ。


 「もうちょっと考えたほうがいいんじゃない?」って聞いても、「ちゃんと考えているから大丈夫」と相手にしてもらえず、四着目まで来てしまった。彼女は素材が良さすぎて何を着ても似合うし、センスも凄く良くて似合ってないってことはない。だから、俺は似合うとしか言いようがない。


 そこで俺は少し悪いことを思いついてしまった。


 彼女に似合ってないって言ったらどうなるのだろうか?


 彼女はこれまでと同じように、試着室から出てきた。白いレース生地の半袖に、ふわりとした淡い黄色のスカート。フレッシュな配色に、美しい金髪も合わさって、最高に似合っていると思った。

 

「ユート! これ似合うかしら!」


 俺はミルシアさんの笑顔に、心の底で緊張していることがわかった。たった一つの嘘をつくことが、とてもはばかられるようなことに感じられたからだ。でも、このままだと五着とも彼女の意思なしに決まってしまうのではないか、俺は拳を握りしめて、言葉を絞り出した。


「あ、あんまり似合ってない、かな……」


「そ、そっか……」


 彼女は、期待に満ちた表情を一転、とても暗い表情に変え、明らかにシュンっとする。握る手も力なく、トボトボとした足取りで試着室に戻り、黒と白の服に戻す。そして、彼女は、白と黄色の上下をカゴに入れずに、と元ある場所へ向かおうとした。


 だけど、彼女の左手は引っかかり、不思議な顔をして振り向いた。


「ユート、どうしたの?」


 動こうとしない俺を見て、彼女は首を傾げた。その瞳の奥には不安げな表情も覗かせていた。


「ミルシアさんは、なんで俺の意見で服を選んでるの?」


「えっ? ………………だって、ユートの家で着る服だし。ユートの意見が一番かなって……」


 その疑問に対してミルシアさんは、表情を崩さずに小さな声でつぶやいた。だけど、その表情は不自然で、何かを偽っているように見えた。


「…………お、俺はミルシアさんが自分で考えた、ミルシアさんらしい服が見たい!!」


 彼女一瞬、驚いたような目で俺を見ると、とたんに表情が曇った。


「私らしい…………? 街の人がみんな着てる、ユート好みの服じゃなくて?」


「そう! だって、服装だってその人の個性だし。俺の意見なんて気にせずに、自分の好みで服を選んだ方がいいと思うよ」


 俺は彼女が悲しい顔をしていたから、余計に励まそうとしていたのかもしれない。彼女はスカートの裾を握りしめ、暗く俯いてしまった。


「私…………昔からセンスが悪くて、何もできなかったのよ。だから、周りを真似ることでこれまで生きてきたの。だから全部、他の真似。そんなこと言われても無理なの。私には不可能だわ!」


 ミルシアさんはその『不可能』を、決めつけたような声音で口にする。意地にもなっていて、彼女の握る手にも力がこもっていた。あまり踏み込まない方がいいような領域に思えたけど、その意地は、悲しい表情をはらんでいて、どうしても引き返すことができなかった。


「で、でも、あれだけ楽しそうに見ているなら、着てみたいていう服くらいあるんじゃないの?」


 俺は碧い瞳を真剣に見つめた。彼女はその視線から逃げるように、さらに俯いた。


「あるけど、その着合わせは、街のどこを探しても居なくて…………またおかしい服装をしたら、ユートの隣を歩けなくなっちゃうから……」

 

 彼女は地面を見つめながら、か細い声を落とした。俺は、彼女は実はかなり繊細なのだと思った。あれだけ堂々と、ルーズソックスにミニスカを着ていたから、度胸があるのかと思っていたけど、実際そんなことはなくて、ひどく傷を負っていた。


 それなら傷口を庇うために、無難な服でおさめたがるのは当然の結果だった。だけど、やっぱり俺好みになんて染まってほしくない。ちゃんと、独立した個人として服を着てほしい。


「それでもいいよ! お、俺はどんな服を着ていても一緒に歩いてあげるから」


「ほ、ほんと……?」


 俺は返事の代わりに、首をゆっくり縦に振った。その同意には、ミルシアさんの個性を尊重してほしいという思いもある。だけど、これまでのファッションを見ても多分そこまで外れた装いにはならないという、打算もあった。


 その時突然、急に左手が下に引っ張られた。


 俺は突然の重力によろけつつも、引っ張られた方に振り向いてみると、ミルシアさんが崩れ込んでいた。


「み、ミルシアさんっ??」


 汚れることも気にせずに、地べたにぺたんと座り込む。項垂うなだれるように地面を見つめ、右手で必死に目を拭っていた。俺がしゃがんでみると、真っ赤に腫らした目と目があった。


「な、泣いてなんかいないから!!」


 彼女は溢れる雫を抑えきれずに、目を拭っているのに泣いていることを否定した。ハンカチでも出せれば良かったんだろうけど、突然の涙に、俺も動揺していた。


「ど、どうしたの??」


「…………どうもしてないわ。私もこんな単純なことで泣くような大人じゃないわ。なのに、また自然と涙してしまって」


 繋がれた左手は微かに震えていて、それでも離れないようにぎゅっと握っていた。


「単純なことよ。ただ、嬉しかったのよ。私は私のままで良いと言ってくれたことが……」


 もしかしたら彼女は、ずっと自分を殺して働いていたのかもしれない。そうすれば会社では大活躍で、お金も溜まっていくけど、自分を持ってない彼女は自分の楽しことさえわからないかった……そう考えれば今まで行動に辻褄が合う。

 

 だけれど、それも彼女の泣き姿をみて想像しただけにすぎない。本当の彼女なんてわかるはずないし、今の気持ちだって何を考えているかもわからない。俺は泣いている彼女をただ眺めることしかできなかった。


 彼女は一通り泣き止むと、スカートを払い立ち上がった。そして、気を取り直したように、元気よく手を振って歩き始めた。


「ちゃんと、私を見せるから受け止めてね!」


 ミルシアさんは、俺に向かってとびっきりの笑顔を見せた。やっぱり見惚れてしまうほど、眩しくて照れくさかった。でも、この笑顔をしてくれるなら、おかしな格好だったとしても一緒に歩くのも悪くないなと思った。



 彼女の五着目は、原色に近い赤の半袖Tシャツに、眩しいくらい高い明度のピンクのロングスカートだった。

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