第16話 ミルシアさんの部屋

 見飽きたドアを開けると、いつも通りの暗い玄関が見える。

 

 ATMを使うためにコンビニに行った後、ミルシアさんの居候を認めてそのまま帰ってきたのだけど……


「ミルシアさんそろそろ離してもらえない?」


 繋いだ左手も、そのまま繋がれっぱなしだった。さらには玄関をくぐってからも、手を離してくれる気配もなくて、ミルシアさんに困ったような視線を送る。それでも彼女はなんてことない顔をしている。


「同じ家なんだから、いいんじゃないかしら?」


 相変わらずの謎理論を振りかざして、離す気配がなかった。確かに外様から見られることはないから、恥ずかしくはないのかもしれない。でも、家の中でさえ、近すぎるその距離感では、俺の心臓が持ちそうにない。それが、毎日だったらいつ失神してもおかしくない。


 これから一緒暮らしていくなら、なお一層線引きをハッキリさせないといけない。


 だから俺は、早々と部屋を案内することにした。俺は手が繋がれているのをいいことに、彼女を二階へと引っ張った。

 

 この家は一階にリビング含めて3部屋あり、2階にも3部屋ある。そのうち一部屋は俺の部屋だけど、その他は今は誰も使っていない。その中でも、祖母の部屋は一番何もない。


 というのも、祖母は足が悪くて、2階にあがることも一苦労だったため、必要なものは全て一階の仏間のある和室に置いていた。だから、祖母の部屋には生活感がなく、残されたものは持って降りることが困難な立派なドレッサーとか、机とか、家具ぐらいのものだった。


「ここが今日からミルシアさんに貸す部屋だから、自由に使って?」


 ミルシアさんは部屋に入れば、目を輝かせながら、あちこちを興味津々にみるものだと勝手に決め込んでいた。これまでもそうだったし、特に自分の部屋となるとワクワクするような気がしていた。

 

 だけど、ミルシアさんはぎゅっと手を強く握ると、少し潤んだ目で俺を見つめる。


「ユートは? ユートの部屋は?」


「あー、ちゃんと俺の部屋はあるから大丈夫! とっても今は居間で暮らしているけど、明日からは自分の部屋を使うようにするよ」


 そう言うとミルシアさんは、深く俯いてしまった。俺と彼女の手、その繋ぎ目をじっと見つめながら、少し悲しげな顔をしている。


「あと、足りないものは……ベットか! ちょっと待ってね、後で運ぶ……」


「ねぇっ!」


 彼女は突然顔を上げると、真剣な目で俺を見つめた。見つめたというより少し不満げに睨んだ。俺はその視線を冷静に受け止める。


「寂しいよ! だって、ここ一人じゃん!」


「そうだよ。だって、ミルシアさんの部屋だから」


 できるだけ感情を込めずに、なんでもないように言葉にする。


「でも、一人だよ? だったら部屋はいらないから、一緒の部屋に居させてよ!!」

 

 彼女の握る手は少し痛いぐらいにぎゅっと握っていて、心までもぎゅっと締められるような感覚に陥った。


 それでも俺は彼女と距離を取らなければならない。じゃないとその温もり溺れてしまって、彼女がいなくなったら多分死んでしまう。だから、俺は心の痛みを庇うことなく、思い切って言葉にした。


「確かにミルシアさんの住んでいた国ではそれが常識だったかもしれない。でもここは日本なんだ! 俺はそんなに近くにいたら、もたないんだ! 色々と!! だから、イヤでも距離をとって欲しい……」


 ちょっと酷いことを言ったかもしれない。拒絶にもとれる言葉を発したかもしれない。それに彼女はどう反応するのか想像がつかないし、下を向く彼女からは表情がうかがえない。俺は手に汗を握りながら待っていると、汗が気持ち悪かったのか、手から温もりが離れた。そして一言……


「ごめん……」


 これまでの彼女から聞いたことのないような、謝罪の声。これまでの甘えようが嘘だったような、大人びた謝罪の声。


「言い訳にしか聞こえないかもしれないし、実際言い訳なのだけれど、最近の私やっぱりおかしいの……ブレーキが効かないっていうか……」


 彼女はいつものように戯言を吐いた。でも、さっきの「ごめん」のイントネーションは間違いなく異質なもので、本物に聞こえた。ならば本当に悩んでいることなのだろうか。


 でも、俺には彼女がおかしい理由を突き止めることなんてできない。何も知らないし、教えてくれないから。だから、今の俺にできることなんて限られていて、優しくすることしかできなかった。


「べ、別に、部屋が別れたからといって、ご飯とかは一緒に食べるから……離れ離れじゃないから……」

 

 俺がそうつぶやくと、彼女は途端に顔を上げて「そうよね! 一緒に食べるんだよね!」と笑顔で言った。だけど、目は真っ赤に腫れたままだった。


 それでも、部屋を分ける作業を止める訳には行かないから、とりあえず足を動かす。


「じゃあ、ベット運ぶから」


 ベットを取りに部屋から出ようとした時、Tシャツの裾が引っかかった。


「これは…………別に大切なお願いじゃないから、叶える道理はなんでないのだけど、一つだけ。…………寝るときは一緒に寝てほしいの」


 俺にとっての、一番の問題点を突かれた。答えなんて決まりきっていて、俺が重い口を開こうとしたとき、彼女の方が先に口を開いた。


「私、これまで長い間一人だったから……今からくらいは誰かと寝たいの……」


 彼女の声音はやっぱり本物で、聞いた途端に、一人寂しかったというのがひしひしと伝わってくる。でも、彼女は虚言癖がある。だから、完璧にそれを信じたわけじゃない。だけど……


「……わかった。じゃあ、寝るときは一緒の部屋で。ただ、その他の時間はキッパリと区切らせてもらうから。俺の部屋に許可なく入ったら、家を出て行ってもらうから」


「わかった、ありがとう……」

 

 彼女は嬉々とした様子ではなく、噛み締めるように口にした。それはまるで必要なことの許しが降りたような雰囲気で、喜びよりも安心を前面に出していた。


 俺はどうしても、彼女の寂しそうな顔を放っておけなかった。どうしても自分と重ねてしまって、突き放すことは自分を突き放しているように思えて仕方なかったからだ。


「もし……俺が寝ぼけて襲ったりとかしたら、殴ったりしていいから!」


「大丈夫、その時は受け止めるわ」


「それと! 俺のベットには侵入しないこと!!」


「ぜ、ぜ、善処するわ……」


 俺はミルシアさんを真剣な目で睨みつけた。でも、一向に彼女と目が合うことはなくて、「善処します」と言うばかりだった。その態度に一抹の不安しか覚えなかった。




 結局二日目の朝も、いつの間にかミルシアさんは俺のすぐ隣でぐっすり寝ていた。

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