第15話 5Gよりも多くて……

 

 その部屋には、テレビから流れる面白い可笑しい笑い声と、白い皿と銀色のスプーンが奏でるカツカツとした音だけが響く。


 さっきの今であって、居間は恐ろしいほど静かで、お互いの気まずさから、無言のままが続いていた。


 窓の方を向くと、さっきまで散々まぶしかった陽は落ちきっていて、その暗さを隠すようにカーテンを閉めた。


 流れるテレビも対して面白くなく、ご飯を食べる気にならない俺はただひたすら彼女を眺めていた。ミルシアさんは少し冷房の効きが悪いのか、頬を赤く染めながら、オムライスを一口づつ大切に口に運ぶ。


 まるで昨日初めて使ったとは思えないスプーン捌きで、ていねいに黄色くて赤い山を崩す。そして、キレイに平げて手を合わせたところで、俺は重い口を開いた。


「さっきはごめん! その……ちょっと、驚いちゃって……」


「そ、そ、そうよね……いきなり抱きついたら驚くわよね」


 彼女の声音はよそよそしくて、言葉の隅に恥ずかしさをはらんでいる。


「でも、本当に寂しそうな顔をしていたから……本当にユートは大丈夫?」


 彼女は真剣な顔で見つめるから、俺は「うん、大丈夫だよ」と少し微笑んで見せた。


「なら良かった……」


 彼女は空になった皿を見つめながら、安堵の息をつく。そして、顔を上げた。


「ところで、遅くなった原因なんだけど。両替の人にこっぴどく叱られてたの」


「叱られた?」


「そう、あなたもうちょっと考えて動きなさいって…………ってなんでユートも頷いてるのよ」


「だって、野宿なんていうんだから、計画性はないでしょ」


「信じてもらえないかもしれないけど、本当に野宿は得意だったのよ。役職柄、野宿の方が多かったし」


 野宿が多い役職って、自衛隊とか兵士とか……その類なのだろうか。ただ彼女はこれまでの経験上、若干の虚言癖があるみたいだから、これも鵜呑みにはしないほうがいいように感じた。


「それで、『こんな大金すぐすぐ換金できるわけないだろ。ふざけんな。今からやるから待ってろ』言うから一旦帰ろうとしたら、『ちょっと待て、あんたをこの世界に放つには無知すぎんだよ! みっちり教えてやるから覚悟しなって』脅されたのよ?」


「ずいぶんファンキーな両替の人だね……」


「旧友なのよ。ほんっと合うのは久しぶりで、懐かしい話でも花咲かせようと思ったら、お説教だったのよ」


 彼女は嬉しそうに語っていたから、きっと仲の良いお友達なんだろうと思った。ただ、俺の頭の中のイメージとしては鬼軍曹しか思いつかないのが難点だ。


 なんて考えていると、彼女はふとスクールバックを机の上に載せてガサガサと中を探りはじめた。そして、縦長のメモ帳みたいなものを取り出した。通帳とカード? 


「はい、これがお金。その人には『つうちょう?』をそのまま渡したら腰抜かすから、『おとして少しづつ渡せ』って言われたんだけど。私途中からユートのことしか頭になくてATMの使い方聞いてなかったから、そのまま渡すね」


 俺はその通帳とカードを手にして若干の違和感を覚えた。両替で通帳になる? その通帳には超有名な銀行名が書いてあって、ミルシアさんの母国の銀行でもなさそうだ。でもATMさえ使えない彼女が、大金を持っているように思えないし、それだったら現金両替でいいような気がするけど……


 なんて思いつつそのページを開くと、作りたてなのか三行くらいしか記帳されていなくて、残高は……


 いち、じゅう、ひゃく…………せんまん、いっ、いちおく??? じゅ、じゅう……


「はぁああああああああ??」


 俺は思わず声をあげて驚いていた。ミルシアさんは首を傾げながら俺のことを見て、


「足りないかしら、あと四冊分あるらしいけど、『まずそれを使えるもんなら使い切ってみろ』って言われたんだけど」


「でしょうね!!!」


 彼女は以前お金持ちと言っていたけど、それは本当でむしろ億万長者どころの話じゃなかった。これなら、月謝も余裕で払えるどころか、家を一個買っても有り余るレベルだった。これならお金の心配はない…………


 

 でも、それはこの通帳が本物であればの話だ。


 さすがにこのレベルの金額をこんな若い女性が持っているとは思えない。どちらかというと偽装の可能性の方が現実的である。通帳は偽装でキャッシュカードを通してみたらあんまり入っていないとか? じゃあ、また彼女は嘘をついたのか……


 俺はミルシアさんを軽くにらんだ。すると、目線があって、想いが顔に現れていたのか、途端に悲しい顔をした。


「やっぱり信じられない? それともお金が足りない?」


「別に俺はお金を求めているわけじゃない。もちろん、我が家は貧乏だからお金は欲しいけど、別に無くたって住ませてあげることくらいできる。だから、俺はミルシアさんに嘘ついて欲しくないんだ……」


 俺はミルシアさんにその通帳とカードを突き返した。でも彼女は受け取ることなく、突き出された通帳を悲しそうに見る。


「まだ信頼されてないのね、私………………わかったわ。でも、ATMも使い方教えて欲しいから、ATMまで案内してくれないかしら」


 でもその偽装やカードが偽装だった場合、それらを通すって犯罪のような気がして気は進まなかった。しかも、通ってもどうせエラーが出て終わりだと思う。でも、彼女は真剣に見つめるから、暗くなったそこを横目に。渋々近くコンビニまで出かけた。



* * *


 正直、俺は現実が信じられなかった。


 俺の頭脳では、あれが偽装だと想像することが精一杯で、もう一つの可能性が存在するなんて脳の処理が追いつかない…………


 ATMに通してみた結果としては、何の問題もなくATMは通帳の額面通りを表示して、彼女は上限いっぱいの30万円を引き出した。


 その冗談みたいな額面の一部は封筒の中に間違い無くあって、あのカードも通帳も本物だった。彼女は本当に何十億持っていたのだ。


 彼女に渡された封筒の厚みにふれ、俺は途端にミルシアさんのことが怖くなった。限りなく純粋で、嘘なのか本当なのかわからない表情の狭間に、異質な状況ばかりが明らかになる。


 それでも彼女は相変わらずで、コンビニでも目を輝かせている。その少女のような目は、くすみが一つもない。俺の目に映る彼女はすごく純粋な女性だ。だけど、そのバックグラウンドは、グレーに塗りつぶされている。俺の頭はこんがらがっていくばっかりだった。


 お金を引き出してからは少しコンビニ店内を回った。そして、アイスのコーナーでミルシアさんが「何このゴツゴツしたやつ」と一番興味を示したから、連れられるままにロックアイスを買ってから、コンビニを後にした。


 辺りはさっきに比べてだいぶ暗くなっていたように思えた。街頭の光がぼんやりと照らす住宅街を、二人並んで歩いていると、彼女は突然立ち止まった。俺はつられるように立ち止まり、少し後になった彼女に向き合った。薄暗くはっきりとしない視界の中、彼女の真剣な表情だけくっきりと見える。


「一緒に住む件……どうかしら? ダメなら私このままどこか野宿するところ探すけど?」


 こんなに純粋で怪しい人と、一緒に暮らしていいのだろうか。俺の本能は警鐘けいしょうを鳴らしていた。だけど、そのミルシアさんの真剣な表情は、やっぱり疑いの余地がないくらい本物に見えるから、すごく断りづらい。それに、彼女のその言い方では俺に選択肢なんてなかった。


 俺は、あくまでも彼女に迫られたから、今朝いいよって言ってしまったから、いくつも自分に言い訳をしてから、彼女を受け入れた。


「そのお願いは今朝も受け入れたし……それに別にお金がなくても大丈夫だったから……気がすむまで居ていいよ」


 俺は遠慮がちに「はい」と言葉にせずに、誤魔化すように俯いた。


「やった! ありがとう!!」


 彼女は嬉しそうにつぶやいて、朱く染まる頬を綻ばせると、俺の両手をとって二つの温かい手のひらでぎゅーっと握った。あまりの気恥ずかしに、俺はすぐにそっぽを向いた。


「も、もう暗いから、さっさと帰るよ」


 彼女の両手から俺の手を解いて、足早に歩き出そうとすると、包んでいた両手は片手になって、手のひらと柔らかい手のひらがぎゅっとくっついた。


「えっ……ちょっ……な、何してるの?」


「何って、手を繋いでいるだけだけど?」


 俺の左手は柔らかく温かい何かで全てを包まれていて、テンポよく振り子のように振られている。


「そ、そんな、恥ずかしいよ?」

 

 彼女の手から伝わってくる温もりに、自分自身のテンポの早い鼓動。人の体温を共有していることが、もどかしくてすごく恥ずかしかった。でも、彼女は気にすることなく、さらにぎゅーっと握ってくる。


「あら、いいじゃない? だって同居よ? ほぼ家族でしょ?」


「それは飛躍しすぎ!」


「そう? ユートは厳しいわね?」


 一緒に住めば家族だなんて、どんな理論なんだ。もしかしたらミルシアさんの住んでいた国では、それくらいの近さのコミュニティだったのかもしれない。でも、日本は違う。俺は反発するつもりで手を振り解こうとするが、ぜんっぜん離してくれる気配はなかった。だから、俺は諦めて、その手の温もりを、その優しさを、甘んじて受け入れた。


 家までの、たった数百メートルの距離が、なんだかとても遠くに感じた。

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