第10話 もしかして、もしかすると

 目を開けると、目と鼻の先には、なぜか美しい寝顔があって……


「えっ!!! ミルシアさん!?」


 俺は驚きのあまり、思わず声を出してしまった。ぼんやりしていた脳は一気に覚めて、起こしてしまったと、とっさに口に手を当てた。でも、ミルシアさんは目を閉じたままで、起きた様子はなくて少しほっとした。


 俺はベットに横向きに寝そべったまま、ミルシアさんを見た。


 薄い生地の寝間着をまとったミルシアさんは、深い呼吸とともに、ピンク色の布を大きく上下に揺らしていた。そして、ピンク生地の丈を辿った先には、白い素肌がちらりのぞいていて……


 俺は思わず目を逸らした!


 だけど、寝息のリズムが崩れることなく、ゆったりとした呼吸音を確認すると、再びミルシアさんを見た。


 手を伸ばせば触れてしまいそうな程、近くにいるミルシアさん。ぐっすり眠る彼女は、なんだか小さく見えた。それはまるで、すごくか弱で、一人ぼっちの少女のような、小ささ。

 

 案外強気なことを言いつつも、本当の彼女は寂しがりやなのかもしれない……


 でも、メンタルは間違いなく強いと思う。いまだって、よく知らない男性のベットに潜り込んで、熟睡しているのだから。


「日本人はそんなフレンドリーじゃないし、優しくないよ……そんな男の前で腹出していたら、襲われても知らないよ……」


 そう小さな声でつぶやくと、俺の使っていたタオルケット彼女の素肌を隠すようにかける。すると、少しくすぐったそうにスンッと呼吸が乱れた。その姿はほのかに背徳的で、俺は慌てて目を逸らした。


 となりにミルシアさんが寝ているせいで、心臓は朝からフル稼働で、このままだと身が持ちそうにない。早めに離れようと仰向けになってから、ゆっくり体を起こそうとした時、ミルシアさんが俺のパジャマを軽く掴む。


 どうしたんだろうと振り向くと、ミルシアさんは寝返りを打った。それも、あろうことか俺にかぶさる方向に。そして、大きく柔らかい何かが俺の腕に触れて……

 

 俺は慌てて起き上がり、すぐさまベットから降りた。


 寝返りって、普通背中が下になるように重力に沿って打つもんじゃないの? 向きおかしくない??

 

 でも、ミルシアさんはそんな俺のジタバタにびくともせずに、まだ寝息を立ててすやすやと寝ている。


 俺はその美しい寝顔を見下ろすとホッと胸を撫で下ろす。そして、部屋を出るためにベットに背を向けると、ぼんやりとした、寝言のような声が聞こえてきた。


「ユート、気持ちいいわ……」


 血の気が引くのがハッキリと分かった。体の全身という全身からから冷や汗がだらだらとあふれ出し、背筋からゾクゾクと震え出す。


 も、も、も、も、も、もしかして、俺、ね、ねね眠って意識のないうちに勝手に!?


 いやそんなことはない、ありえない! 俺は夢遊病だと診断されたことなんてないし、昨夜の記憶なんて残ってないから、絶対にあり得ない…………


 と、信じたい! でも、こういう時に限って疑心暗鬼になるもので、俺の心は焦りに焦って、していないという証拠が欲しかった。


 でも、色々集めたところで安心できわけがない。だって、してない証明なんてほとんど無理に等しいのだから。


 もし、してしまっていたとしたら、俺はどうすればいいのか。彼女になんと言われるのだろうか。確かに彼女はしていいよと言っていたけど、結局あれもベットに誘えるかの勝負であって、本気にはしていなかっただろう。


 だから、彼女は失望しているはずだ。それに何か請求されるかもしれない。多額の賠償金とか……

 

 もしかしてこれが彼女の本当の目的?


 俺の頭はぐちゃぐちゃにこんがらがって、居ても立っても居られない。どうすればいいかすら、わからない俺はただ部屋をウロウロとおどおどと歩き回る…………


「ストップ!!」 


 突然背後からミルシアさんの声が聞こえて、温かい手がふたつの肩を押さえた。その瞬間体から冷や汗が吹き出し、頭の中が真っ白になった。その白い頭で考えること二秒間、俺は地面に頭をつけることを選択した。


「ごめんなさい!! 本当にごめんなさい!!」


「いや、ユート違うの……だから立って!!」


「寝たら大丈夫だと思っていました。まさかこんなことになるなんて……」


「ユート!! 落ち着いて!!」


 ミルシアさんは「少し止まって」と言わんばかりに、俺の声を遮ると、彼女もしゃがみこんだ。そして、ミルシアさんまで正座をして、頭を下げてしまった。


「こちらこそごめんなさい! 私がユートをからかったの」


「えっ?? じ、じゃあ、同じベットにいたのは?」


「私からユートのベットに入り込んだの。……ちょっと寂しくなっちゃって」


 ミルシアさんは目を逸らしながら少し恥ずかしそうに話す。


「じ、じゃあ『ユート、気持ちいいわ……』って言う寝言は?」


「あの時私はもう起きていたわ。そもそも、ユートが『えっ!!』って驚いた時に目が覚めたの。だから、寝返りもワザとよ」


 俺は体全身の力が抜けて、横に倒れ込む。


「大丈夫、ユート?」


「大丈夫じゃないです、全然大丈夫じゃない……」


「立てる?」


「立てないです……」


 ミルシアさんは「じゃあ仕方ないわね」と言うと、俺の下に手を入れる。そして……


「えっ、ちょっと?」


 俺の体はふわっと宙に浮き。ミルシアさんによるお姫様抱っこで、軽々とリビングに運ばれる。でも、やっぱりその体勢になると、柔らかいものにあたるわけで……


「じ、自分で歩けますから、大丈夫です!」


「あら、寝室に着替えを忘れたのかしら。でも、動けないのよね。仕方ないわ、私が着替えさせてあげる……」


「いや、いいですって! とにかく下ろしてださい!!」


 俺は子供のように足をバタバタさせて、下ろして貰うことを懇願した。


 しばらく格闘し、やっとのことで地面に足をつけた俺は、トイレに立て篭もった。ドアをバタンッと閉めて、鍵も閉める。そして持ち込んだ服に、着替えた後、ドアの前に立っていた彼女を無視して、そそくさと台所に立った。


 冷蔵庫をのぞき、ミルシアサンに納豆でも食わしてやろうかと思ったが、それはやめて、パン2枚にバターを塗ってからトースターにセットした。


 俺が朝食の準備中も、ミルシアさんはずっと俺の後ろに立っていた。彼女はいつの間にか、昨日と同じ、黒と白の服に着替えていた。


「ごめんなさい。ちょっと暴走しすぎたわ」


「これを誰にでもやるような痴女じゃないから! お願いだから信じて!」


「何か手伝うことはあるかしら。なんでもするするから」


 彼女は後ろから言い訳を必死に並べていた。正直に言うと、そんなに怒ってなかったから許しても良かったんだけど、仕返しとばかりに冷たくあしらう。


「じゃあ、何もしなくていいので、テーブルについてて下さい」


 ミルシアさん一瞬黙り込むと、寂しそうに「分かったわ」とつぶやいた。そして、さすがに諦めたのか、とぼとぼと机に向かった。だけど、背中越しにかすかなささやきが耳に触れる。


「…………でもユートがあまりに可愛いからつい。でも本当に私にもわからないのよ、なんでこうなっちゃうのかしら」


 トースターのカチカチというタイマー音で、彼女のささやきはよく聞こえなかった。

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