第9話 どのみちそうなることは決まっていた


「絶対負けるなよ!」 


 おばあちゃんの言葉の意味は、字面通りの意味じゃない。たぶん人に流されるなよ、自分の意思で動けよと言う意味が近い。それは彼女の生き様を、その背中を見ればすぐわかる。


 祖母は戦争中も、国に絶対負けずに生き抜くと誓い、おじいさんと結婚するときも散々反対されたのに、絶対負けないと家を捨て、たった一人で嫁いだ。そして、その歳で絶対無理だと言われても、俺を育てあげると豪語して、現にたった一人で俺を育て上げたおばあちゃんだ。


 世間を一切気にせずに、自分の意思を通せという祖母の「負けるなよ!」。この場面でその言葉が聞こえたのは、本当に自らが強烈に望んだ物ではない、ただの棚ぼたに流されるな、ということだったのだろう。


 俺は、たまたま機会があるからってだけで、本心から望んでないものに身を委ねるところだった。それは、人に流されたも同然で、その経験に価値なんてない。だから、俺にはこの機会は必要ない。必要ないはずだ! 必要なんてない……………………


 確かに必要ないんだけれど、そんな強気なことを言っても、俺は一向に寝れる気がしなかった。


 だって、隣ではこれまで見た中で一番の美女が無防備で寝ているんだもん!! 普通、寝られるわけがない。俺は必死に深呼吸を重ねて、心臓を落ち着かせるように努力をした。



 ————そして、針が一回りも二回りもして、努力も虚しく眠れない夜が更けていった時。



「ユート、起きてる?」


 ふと、ミルシアさんの優しい声が聞こえた。


 俺はつい口元まで返事が出かかったが、ここで反応したら、意識して眠れなかったのがバレてしまう。だから、返事をすることなく、静けさに耳を傾けた。しばらくして、その静寂には彼女の小さなささやきが混じる。



「私、ユートに完敗だわ…………」



「ずっと、ユートのことを、心の底では疑っていたのよ…………」


 ミルシアさんの小さな声は、はっきりと聞き取れないまま、暗闇にスッと溶けるように消えていく。


「だから、試していたの。本当にごめんなさい……」


「側から見れば、痴女でお金もなくて、サイテイな女だったわよね……」


「でも、もう決めたの。私は、もう疑わないわ……」


 彼女の声は、口先にしか届かないような、微かな声。


 たぶん俺に当てたものじゃなくてただの独り言。ほとんど聞き取ることができなかった。でも、聞こえなくても、すごく安心できる、心地よい音だった。




「私に来て本当によかった……」




「これから、ずっと添い遂げてほしいな…………」


 彼女しばらくボソボソとつぶやいていたが、俺には「完敗」としか聞こえなかった。もしかしたら、痴女っ気のあるミルシアさんは、ベットに誘えるか勝負をしていたのかもしれない。


 そう思うと、緊張していたことがバカらしくなって、高まっていた気持ちが一気冷めた。気が抜けてしまったのか、強い眠気に襲われ、目が自然と潰れていった。


 そして、徐々に遠のく意識の中で、何か温かくて大きなものに包まれていくような感覚に陥った。


 例えるなら、それはまるで母に包まれるように。


 でも、それは不思議な感覚でもあった。だって、俺に母の良い記憶なんてないはずなんだけど……


* * *


 俺の母との記憶は、小学3年生の時に途切れている。もっと正確に言うなら、小学生に上がった頃から途切れていた。


 俺の母はよくいえばいろんなものに興味を持つし、悪く言えば飽きっぽい。それは子供に対しても例外ではなかったようで、産んだ当初はすごく興味を持って育てられていたと思う。


 母はどうすれば優秀な子供になるかばかりを考えて、俺は英才教育を受けさせられていたらしい。ピアノや英語、その他もろもろ。あまり記憶にないけど、海外留学までも行っていたらしい。


 しかし、俺は母の期待に反して成果を出さなかった。何をやってもそつなくこなすけど、何か秀でた物がない。それを、母は尖った芽がないと判断したのだろう。母は急に俺への興味を失い、徐々に一緒にいる時間も減っていった。最終的にはこれあげるから勝手にやっといてと、財布を渡される始末。


 もう片方の親、父はというと、彼は母に狂気を感じるくらいゾッコンで、母との時間を奪った俺を目の敵にしていているようだった。だから、一言も話した記憶がない。


 だから、俺は小学校低学年でほとんど一人暮らしを余儀なくされた。そんな中よく通っていたのが祖母の家だった。そして、数年後ここに住むことになる……


 

 母は俺を物くらいにしか思ってなくて、逆に俺も物扱いされていると気づいていた。そんな、過去の関係は俺にとっては決して明るい過去ではなくて、暗い過去。だから、思い返したくもない温もりだった。


 でも、ぼんやりとした意識の中で感じる、このじんわりとした温もりは全然違った。全てを投げ出しても良い。そう思わせてくれるような安心感があった。


 俺はその温もりに包まれながら、眠りに落ちていった。



* * *


 カーテンの隙間から差し込む朝陽が、まぶたの裏をくすぐり、思わず目を開けた。頭元の時計を探ろうと、頭の上に手を伸ばすけど、そこには目覚ましどころか、目覚ましを置く台も手に触れなかった。


 ああ、そういえば、おばあちゃんのベットで寝たんだっけ?

 

 俺はあまりはっきりしない頭の中で、昨日のことを徐々に思い返すと…………

 

 あの状況でよく眠れたな、俺。


 もしかしたら、おばあちゃんの図太さがうつったのかもしれない。


 俺は眠気と戦いつつ、それでも起き上がりたくなくて、目をつむったまま半回転、寝返りを打ってみると……


 何か服のような物が肌を掠った。それだけじゃなくて、僅かに暖かさが伝わってきて、顔にはほんの少しの風を感じる。

 

 そして、目を開けると……


「えっ!!! ミルシアさん!?」


 目と鼻の先には、美しい寝顔をしたミルシアさんが、気持ちよさそうにすやすやと寝息を立てていた。

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