第8話 一夜限りの関係
「ベットってふかふかしていて気持ちいのね」
ミルシアさんに寝室を案内すると、すぐさまベットへとダイブしてしまった。彼女は時間が経つに連れて、遠慮がなくなっているように見える。これは泥沼に片足突っ込んでいるのだろうか。でも、今はそんなことより……
「おくつろぎのところ悪いんですけど、ミルシアさんにはそっちのベットで寝てもらいます」
俺は部屋の両端に設置されている、もう一個のベットを指さした。
「あれ? でも、そっちの方が高級そうよ? ちょっと背が高いし、手すりとかついているけど?」
「ああ、それは……」
と言いかけたところで、口を閉じた。
そっちは、腰が悪かったおばあちゃんがもらってきた、介護用に手すりがついたベットだ。もちろんおばあちゃんが寝ていた。
普通だったらこの家に残さずに、どこか必要な所に回すんだろうけど、俺にはそういうツテがなくて、未だにこの家に転がっている。そっちの方が高級で寝心地が良いから来客にはそっち……
と言うのは半ば建前で、美女が寝たベットで翌日も寝られるか心配だったから。
でも、ミルシアさんは俺を見てニヤリと笑う。
「じゃあ、こっちはユートのね!」
そういうと手を大き延ばしてゴロゴロし始めた。今日寝られるかな、これ。
それから、彼女は俺のベットを占拠してしまった。
「ミルシアさん? こっちの方が物が良くて来客用なんですけど?」
「でも、こっちの方が今すぐにでも寝られそうだわ」
こんな感じのやりとりが何度も続いて、最終的には俺が折れて、仕方なくもう一方のベットに寝そべった。
そのベットは、懐かしい匂いがした。
もちろん、この布団は綺麗に洗濯してあるから体臭とか残ってないはずだ。それなのに、ふわりと香る懐かしさと温かさ。俺は少し前のことを思い出していた。
このベットがうちに来るまで——中学生に上がる前までは、ベットは一個しかなくて、俺は床に寝ていた。もちろん、住まわせてもらってるから、ベットで寝たいとねだることはなかったけど、気を遣ってか「おいで」とベットに誘ってくれて、一緒に寝てた記憶がある………………
ってちょっと待て! なんで今このタイミングでそんなこと思い出してんの俺? 今はベット二つあるから!!
意地悪い笑顔のミルシアさんは、俺の心を見透かしたように口にする。
「そんなにこっちのベットがいいなら、一緒に寝る??」
「いやいやいや、寝ませんよ!!」
俺が全力で否定をすると、ミルシアさんに涼しい顔で
「ユート、必死ね」
と図星をつかれてしまった。今の過剰な反応は、“意識してます”と言ってるようなもので、ついつい頬が熱くなる。
「も、もう遅いので早く寝ましょう! 電気消しますから!」
俺は手早に電気の紐を引っ張ると、二回引っ張って豆電球にする。それが小さい頃からの習慣だ。でも、ほんのり赤く染まった室内にミルシアさんがぼんやり映ると、妖艶に映って危ない。だから、俺はもう一つ引っ張って、真っ暗にした。
過剰に稼働する心臓をどうにか落ち着かせようと必死に深呼吸していると、それを不意にするように後ろから吐息がかかった。
「私のところ……来る?」
心臓の鼓動がさらに早くなるのを感じながらも、返事をしなかった。
「寝ぼけて自身のベットに帰ったといえば責められないし、そこからは流れで、ね、」
彼女の妖艶な声が俺の鼓膜をくすぐり、体全体を震わせる。
「少なくともユートが問題にしない限りは、問題にならないから。おやすみ……」
彼女の声は、嘘偽りない真っ直ぐな声にも聞こえた。彼女は俺が向こうに行っても、本当に訴えないのだろうし何事にもならないのだろう。
彼女との今の関係は、いやらしい意味ではなく一夜限りの関係だ。朝にはどこか住むところだったり働くところを探すだろうし、ここは彼女の一時的な宿でしかないし、俺も一時的な宿主だ。なら、もう二度と会うことがないのなら、向こうに行ってもいいのかもしれない。
間違いなく、生涯に二度もないような奇跡的な機会だ。今を逃せば、死んでもありえないだろう。そう、死んでも。だから、一夜限りでもいいのかもしれない。だから、俺は……
ベットを軋ませて、床に足をつく。ミルシアさんの方は、それが聞こえたのか聞こえてないのか、向こう側へと寝返りを打った。もしその寝返りに意味があるとすれば、「私は見てないよ」だろう。
そして、ベットから腰を上げようとした時だった。
『絶対負けんなよ!』
突然おばあちゃんの声が聞こえた気がした。もちろん、あたりを見渡してもおばあちゃんはいない。俺には霊視するだけの霊感がない。でも、声だけは間違いなく聞こえた。だけど……
こんなときに、何言ってんの、おばあちゃん!
普通そこは戒める声じゃないの?? 確かに、あのおばあちゃんなら言いそうな言葉ではあったし、現に生きていたら、同じようなことを言いかねない。
でも俺は、おばあちゃんの声のおかげではっきり目が覚めた。だから……
俺は腰を下ろすと、そのままベットに戻り壁を向いた。すると、反対側のベットが少し——いや遠慮なしに軋む音がして、まるで「どうしたの?」と言っているようだった。
それでも、俺は振り向かずに、壁に向かって徹夜することを覚悟した。
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