第7話 当然のことながら胸囲は足りない

 タオルを肩に掛けたミルシアさんは、ドアから居間に入ってくると、「あー涼しいー」と気持ちよさそうに手を広げた。


 風呂上がりの彼女は、頬や体をほんのり赤く染めて、体からはまだ湯気のような温もりが漂っていた。背中までキレイに流れる金色は、動くたびにさらりとなびいて、ふんわりとシャンプーが香る。


 もちろん彼女が、化粧やトリートメントの類を持っているわけがなくて、使ったのは同じシャンプーなはずだ。それなのに俺とは違い、女の人のいい香りに満ちあふれていた。


 それにしても、いつの間に髪を乾かしたんだろう。あれだけ長ければ乾かすのにも時間かかりそうなのに、ドライヤーの音は少しも聞こえなかった。そんなミステリアスな金髪を見つめていると、ミルシアさんの不満顔と目があった。


「やっぱり、おばあちゃんのはイヤだな……」


 彼女は身にまとった寝衣を見ながら、不満をつぶやく。でも、祖母のパジャマでも、ミルシアさんの破壊力は十分すぎて、直視できなかった。


「しょうがないじゃないですか! お、大きいんですから!!」


「まあ、そうなのだけれど……」


 ミルシアさんは薄紅色の口を尖らせながら嘆いている。よく考えればわかる話だった。俺のパジャマじゃ圧倒的に胸囲が足りないと。


 風呂上がりに「ユート、小さいよ」と、前ボタンが全然閉まらないの見せつけられて、俺はミルシアさんに祖母のパジャマを投げつけた。そして、それをミルシアさんが渋々きて今の居間に至る。


 でも、ミルシアさんは服を買う時は全然文句言わなかったのに、なぜパジャマは異様にこだわるのだろう。気になったので直接問うてみると、ミルシアさんは恥ずかしそうにモジモジとした。


「おばあちゃんとかおばさんとか……老けてるって思われたくないから……」


 これまで大人の余裕ばかり見せていたミルシアさんが、初めて照れた瞬間でもあった。風呂上がりだったのも手伝い真っ赤に染まった頬は、恥ずかしいと主張していた。


 確かに、若い女性からすれば、おばあちゃんの服はそれだけで老けた印象があるのかもしれない。まあでも、うちのばあちゃんはファンキー婆だったら、おばちゃんくさい服ばかりで、納得して着ろと言うのも無理な話か……


 ミルシアさんの着ている服は、小さな花柄があしらわれた薄いピンク色のパジャマだ。俺が小さい頃におばあちゃんの誕生日プレゼントとして買ったもので、当時のお小遣い何ヶ月か分の圧倒的安物。こんなの着れないよと着た姿を見たことなかったから、捨てたのかと思ってた。だから、遺品整理の時に、ひのきの箱に入っていたのを見た時は驚いた。


「でもそれ、俺が選んだやつなんだ。まあ、おばあちゃんには着て貰えなかったんだけど」


「そう……」

 

 ミルシアさんは袖や裾まで、そのパジャマの隅々まで見渡してから俺の方に目を向ける。


「ユート、似合ってる?」


「似合ってるよ」


 ミルシアさんは元の素材が良さすぎて、たぶん何を着ても似合う。それにしても、ピンクの服は似合っていた。


「じゃあ、私これがいいわ」


 彼女は笑顔でそう言った。



* * *


 色々あって、あまりリラックスできなかった二番風呂を終えると、頭を濡らしたまま居間に向った。その時、少しひんやりとした風を感じ、テレビの音がここまで聞こえてくる。居間のドアが開きっぱなしになっていて、静かに覗き込むとキレイなミルシアさんが目に映る。彼女は椅子に座りテレビを見ていた。


 その後ろ姿だけでもわかる、細くて高いスタイルに、白い肌、綺麗な金髪。正面から眺めたとすれば、端正な顔立ち。  


 言葉じゃとても表現できないくらいに、美人だと思う。なんでこのウチにいるのか、なぜ俺と一緒にいるのかが分からないくらいに、美しい。


 俺は彼女の美しい顔を思い浮かべる。碧い目も大きく透き通って、見ているだけでも吸い込まれそうで、気恥ずかしくて目を合わせられない。それに唇だって、リップがいいのかほんのりとした赤色に目を惹く。千年に一人どころか一万年に一人の美女だと思うし、街を歩けばスカウトされるのは時間の問題だろう。


 彼女はこれまで限りなくちやほやされてきただろうし、正直顔だけでもお金が稼げると思う。だから、彼女の性格は歪んでいるものだと思っていた。なのに……


 俺はもう一度ミルシアさんの後ろ姿を見ると……


 

 いつの間にか、彼女の笑顔が視界いっぱいに広がっていた。


「うわっ! ミルシアさん?」


 俺は思わず一歩二歩と後ろに下がり、バランスを崩して後ろに倒れこむ……


 その前にミルシアさんが手を掴み。引っ張り起こしてくれた。


 ただ、彼女の引っ張る力が強すぎて、勢いのあまり、美しい顔に鼻と鼻が触れてしまいそうな距離まで近づいた。近さのあまり、俺の心臓は彼女に聞こえそうなほどうるさく脈を打つ。


「ユートは私がモテモテだったと思うの?」


「え……なんで……」


「なんとなく顔で、考えていることはわかるよ」


 ミルシアさんは俺の目を真っ直ぐ見てつぶやく。俺の頭はショートして、クラクラしているのに、その瞳に引き込まれ目を離せなくなっていた。


「それで?」


「やっぱり、モテモテでちやほやされて来たんだろうなって思ってました」


「他には?」


「性格が歪んでるんだろうな……とか、失礼なことを考えてました。すみません……」


 俺が謝ると「ううん」とミルシアさんはゆっくり首を振って、


「実は……私モテなかったのよ……」


 そう、吐息たっぷりのこしょこしょ声で囁いた。


 そして、俺から一歩離れると「でも、私、女性にはモテモテだったわ」と普通の声音で言った。


「女性ですか?」


「そう、女に。でも、男の人は全然だったわ。なんか戦力としか見られてないというか……」


「戦力?」


「ああ、仕事でね」


 ミルシアさんはこんな見た目の上に、仕事もできるなんて神は何物与えたんだろう。なんて下らないこと考えていると、見透かされてしまった。


「性格がどうこうって話だけど、私は歪んでいると思うわ」


 俺はその問いに否定をすることもできなければ、肯定することもできなかった。


 詐欺師だと疑っているのは間違いないし、秘密が多くて怪しすぎる。だから歪んでいる可能性だって否定できない。だけど、彼女の動きに言葉に、その表情。どれをとっても純粋で、純白で、まるで少女みたいだった。その二面性を黒か白なんて断定はできない。 


 仕方なしに俺は適当なことであり、なおかつ思っていることを口にした。


「普通だと思いますけどね」


 そう、二面性なんて誰しも持っていることで、彼女も人懐っこいところ以外は普通に見える。


「そう。それは嬉しいわ。でも……私は歪みすぎてもう歪まなくなったのかもしれないわね……」


「歪みすぎ?」


「いいえ、なんでもないわ。私はユートに普通って言ってもらえて嬉しいわ。でも、性格が歪んでいるかもしれないから気をつけたほうがいいわよ」


 彼女はそれだけ残すと、くるっと振り返り、居間に戻り椅子に座って、テレビを見始めた。そして……


「ユートも一緒に見ましょう」


 彼女が大きく手招きするから、俺は恐る恐る彼女の隣に座った。

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