第6話 ミルシアさん服ないんですか??


 ご飯を食べ終わると、皿を片付けてから一服つく。


 四人がけの机に向かいあって座り、二つの湯呑みにあったかいお茶をついだ。食後のお茶なんて、古臭いと思うかもしれないけど、四ヶ月前までずっとそうしてきたんだから、急に変えられるもんじゃない。でも、これが案外ミルシアさんにウケた。


「これ、緑色をしていて面白いわね!」


 ミルシアさんは水面を覗き込みながら、ゆっくりと口をつけた。


「不思議な味がするのね?」


 湯呑みを熱そうにすするミルシアさんに、俺は真剣な目を向けた。


「ミルシアさんはこれからどうするつもりですか?」


「どうするって?」


「今日はウチに泊まって行くとして、明日からどうするんですか? さすがに野宿ができるほど日本は自然が無いですよ?」


 彼女が想像する野宿はおそらく、密林で行うサバイバルかもしれないけど、日本ではせいぜい橋の下で段ボールを引いて寝るくらいにしかならない。


「ユート?」


「それにフラフラしていると美人なミルシアさんは襲われる危険性もありますし……」

 

 彼女が橋の下、段ボールの上で寝ているところを想像する。ただでさえ若い女性だというのに、それなのにあの美貌を持つ。だから、そこらのホームレスや悪い人たちが彼女を襲う——

 

 完全に他人事なはずなのに、想像するだけで、背筋がゾッとした。やっぱり、意地でも野宿は回避させなければならない。そんな彼女の心配をしていると、はっきり透き通った声が聞こえる。 


「ユート!!」


 その碧い瞳が俺の目をじっと見ているのに気づいて、俺は言葉を止めた。彼女は目を擦りながら口を開く。


「私、今眠くて……その話は明日にできないかしら?」


「ま、まあ、明日でいいですけど……」 

 

 俺が湯呑みを握りながら煮え切らない返事をすると、ミルシアさんは首を傾げた。


「ユート、どうしたの?」


「こんな状況なのに、全然動じませんね?」


 ミルシアさんがいくら手馴れの詐欺師だったとしても、知らない土地にたった一人できて、男性の家に二人っきりで止まるともなると、気が気で仕方ないと思う。さらに普通の女性なら余計に気にすると思う。それなのに、彼女はひょうひょうとしている。


「まあ、色々と慣れてるのよ。ユートのことは信頼しているし」


「そんな信頼されるようなことしてないですけど?」


 これまで振り返ってみても、俺は何もしてなくて、むしろミルシアさんを疑ってばかりだ。だから、彼女の信頼は嘘っぽくみえた。俺はしばらく彼女の目を窺うと、目を逸らすように、お茶に一口つけた。


「そんな目で見ないでよ。私、人を見る目はあるのよ。それに……」


 ミルシアさんは不満顔をしたかと思えば、僅かに口角をあげ、吐息混じりに微笑んだ。


「別に襲ってくれてもいいのよ?」


「ブッ!! …………ごほっ、ごほっ」


 俺は思わずお茶を吹いてしまった。その声音には妖美な響きがあって、俺の心臓はバクバク鳴り始める。


「変なこと言わないでください!!! わかりましたその話は明日でいいです! お風呂沸かしてくるんで、入る準備しててください!」


「私にここで脱げと……ってごめんなさい! からかいすぎたわ」


 さっきの妖美な碧色は無くなっていて、ミルシアさんニヤニヤと笑っているように見えた。だから、ついにらんでしまった。


 俺は雑に立ち上がり、二つの湯呑みも乱暴に台所へと運ぶと、わざとらしく足音を残してお風呂へと向かう。


「……だってユート可愛いんだもん」


 その小さなつぶやきは、足音のせいでほとんど聞こえなかった。


* * *


「それで、服がないってマジですか?」

 

 タオル数枚と、バスタオルを抱えて居間に戻ったとき、俺はご丁寧に抱えた全てをぶちまけた。


「荷物になるから持ってきてないわ」


 ミルシアさんは「あらあら」とタオルを拾いながら、彼女はさも当然のように言った。ことごとく楽観的な人だと思う。本当に野宿する気もあったのだろうか。


 彼女の荷物なんて、明らかに中身の入って無さそうな薄っぺらいスクールバックしかない。それで荷物になるなんて、どんなミニマリストなんだよ。せめてスクールバックの中に服の1枚くらいは……


 俺がスクールバックを眺めていると、視線に気づいた彼女はそれを渡さないとばかりにだき抱えた。


「スクールバックに服は入ってないわ」


「じゃあそのスクールバックは何が入っているんですか?」


「それは、秘密よ。大切なものが入っているから、絶対に見ないでね」


 絶対だめなんて言われてしまうと余計に中身が気になってしまう。だけど、聞きたい気持ちをグッと抑えて、ミルシアさんを見る。


「じゃあ、おばあちゃんのパジャマと下着を貸すのでそれを着てください」


 俺はため息をつくと、祖母のタンスへと向かおうとすると……


「えー、おばあちゃんの?」

 

 彼女は子供のように駄々をこねた。寝巻きがどんなんであっても、どうせ見るのは俺くらいのものなんだし、なんだっていいような気はするんだけど、彼女が冗談で言っているようには見えなかった。でも、ない袖は振ることができなくて……


「できるだけオバサン感ないものを選ぶので許して下さい」


 このうちはもともと、祖母と俺の二人しか暮らしていなくて、若い女性が着るようなものは存在しない。だけど、ミルシアさんの要求は……


「私、ユートのパジャマ着たいな……」

 

 彼女はぼそっと口から望みをこぼした。だけど、こぼした何かを拾うかのように口を開く。


「人に貸してもらおうとしているのに、こんなこと言うなんて私サイテイね。調子に乗りすぎだわ、ごめんなさい」


 彼女はさっきの言葉とは一転、すぐさま反省の色を示した。どういう心変わりか、不思議に思ったが、たしかに人の家に乗り込んでおいて、服まで文句をつけるなんて調子に乗りすぎているかもしれない。だから、俺はこの要求は無視してもいいのかもしれない。


 でも……うちにはパジャマは二、三枚はあるし、それらは減るもんじゃないから……


「まあ、俺ので良ければ今着てないのあるので、貸しますけど……」


「ほんと!?」


「ただ、まあ下着はおばあちゃんのですけど……」


「私下着も……おっけい! ありがとうユート!!」


 俺は、一瞬からかいかけたミルシアさんを、白い目でにらんだ。彼女はもしかしなくても、痴女っ気があるのかもしれない。もしそうなら、その際どい発言やちょっとした仕草に、俺の心臓はいくらあっても足りそうにない。


 これからしばらくの時間、同じ家にいることを考えると、俺は不安になってきて、小さなため息をついた。

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