第5話 フォークの握り方

 駅を降りる頃には、駅舎の明かりが眩しく感じるほどに、辺りは暗くなっていた。


 突然の来客に二人分の食事となったから、足りない部分をスーパーで買ってから家に向かった。街頭に照らされた住宅路をしばらく歩くと、相変わらずの古い面持ちの我が家にたどり着いた。元々は祖母との二人暮らしだったけど、四ヶ月前に祖母が亡くなってからは俺の一人暮らしだ。


 玄関の鍵を開けて、電気をつけると、ミルシアさんが目を輝かせた。


「へえ、ここがユートの家? 素敵な家ね」


 ミルシアさんはまるでリフォーム後の我が家に来たように、興味津々にあちこちを見渡した。この家に目新しいものは無いと思うけど、ミルシアさんにとっては新しく感じるのかもしれない。


「まあ、ただの古い家です。とりあえず上がってください。今エアコン入れてきますから」


 そういうと彼女は、「おじゃまします」とていねいに頭を下げから、玄関に上がった。


 そしていつも通りに廊下を突き進み、何気なくリビングのドアに手をかけると……


 俺は思いっきりドアを閉めた! その勢いでバターンと大きな音がして、ミルシアさんがビクッと目を丸くする。 


 すっかりリビングの惨状のことを忘れていて、危うくパンドラの箱の中身を見せるところだった!!


「ちょーっと、ここで待ってもらえますか。部屋の中片付けるので」


「あ、お構いなく。別に汚くてもいいのに?」

 

 そう気遣う彼女を無視して、俺はリビングの片付けに取り掛かった。元々は綺麗好きだったけど、四ヶ月前から散らかすようになった。怒られるのを待っていたんだけど、そんなことはなくて今に至る。


 投げっぱなしの洗濯物を畳んで適当な段ボール箱につめ、ゴミはゴミ袋に集め、机の上に山積みの郵便物もビニール袋に詰める。そして、ほこりっぽい室内を換気するために窓を開け、掃除機のスイッチを押す。テキパキと片付けをこなしている最中にいきなりドアが「バタン」と開いた。


「ユート、大丈夫!?」


 俺はミルシアさんの逼迫ひっぱくした表情に首をかしげると、彼女は俺の手にしている機械に指をさしながら「えっ、それって……」とまるで兵器で見るかのような目で身構えた。俺はゆっくりと掃除機について説明した。


「何かに襲われたのかと思って驚いたわ」


 彼女は、掃除機の音に驚いたらしい。俺はてっきり掃除機は全世界にあると思っていたから、ちょっとしたカルチャーショックを受けた。もしかしたら貧しい国の生まれなのかな。


 部屋の片付けがすむと、ミルシアさんには机に座ってもらい、俺は台所に向かった。冷蔵庫を開けて昨日の肉じゃがを取り出す。本来ならカレーにリメイクしようと思ったけど、和食の方がウケがいいだろうからこのままに……


「あの、ミルシアさんテレビ見てていいですよ?」


 視線を感じ、後ろに振り向いてみると、やはり彼女が立っていた。目が合うと居心地が悪そうにもじもじした。たぶん暇だったのだろう。だけど、見られてると思うと緊張するから、座ってテレビを見ていて欲しい。だけど、ミルシアさんは「てれび……」と首をかしげた。まさか……


「そこに、リモコンがあるから。ほら」


 俺はテレビにリモコンを向けて、そのディスプレイにニュースを映す。ちょうど夏休みの真っ盛りで、海水浴場が賑わっていると言うニュースをやっていた。

 だけどミルシアさんは、テレビにノーリアクションで、しばらく突っ立ったまま唖然としていた。そして、いきなり……


「あ、あなたは誰かしら?」


 やっぱり……


 俺はため息をつきながらミルシアさんにテレビを説明した。イマイチピンときてないのか、「そういうものなのね」とふんわりとした回答しか返ってこなかった。だけど、興味はあるようでかじり付くように見入っていた。

 

 まるで、テレビというものを初めて見たような反応をするミルシアさんを見て、俺は大きく首を傾げた。


 確かに今日はテレビのあるコーナーには行かなかったけど、これまでにテレビを見る機会なんていくらでもあったと思う。それこそ、日本に来るまで、空港にだって、飛行機の座席にだってあっても不思議じゃない。


 この現代において、テレビを避けることなんて不可能に近いと思う。だとしたら、彼女が嘘をついていることになるけど、その横顔はとても嘘をついているようには思えない。


 俺の心の中にはもやもやとした、引っかかりがあった。



* * *


 机に肉じゃがと冷食のサバとインスタントの味噌汁を並べた。手抜き料理だといえばそれまでだけど、味が安定するという点ではお客様に出すにはぴったりな料理だった。ミルシアさんをテレビにけしかけたあとも、なぜか後ろから視線を感じていたのは気のせいだろう。


「じゃあ、いただきます」


 そうやって手を合わせると、ミルシアさんも真似して手を合わせた。お口に合うだろうか? そればかりが気になって、ミルシアさんを見つめていると……


「そんな見つめられると、恥ずかしいわ……」


 と俯いてしまった。俺は「ごめん」とだけつぶやくと、黙々とご飯を食べることにした。俺が箸をもってご飯に差し込むと、彼女も箸を持つとご飯をつまむ……ことはできずに箸を落とす。そして、また箸を拾うと、掴もうとしてまた落とす。俺は彼女の努力に水を刺すようで申し訳ないと思いつつも、つぶやいた。


「べつに、フォーク使ってもいいからね?」


「ありがとう! でも、ユートと一緒のを使いたいから」


 箸と一緒にフォークとスプーンを並べておいたのだけど、ほか二つを見向きもせずに箸ばかり使おうとする。でも、やっぱり落としては拾うを繰り返していた。


 箸の扱いなんて、一朝一夕でどうにかなるようなものでもない。俺は立ち上がると、食器棚からスプーンとフォークを取り出して、ご飯をスプーンですくう。これで食べやすくなっただろうと、ミルシアさんを見るも、予想に反してミルシアさんの表情は曇っていた。


「ごめんなさい……」


 俺は嫌な予感がして、つい思ったことが口を突いた。


「もしかしてフォークを使えないと?」


 ミルシアさんは申し訳そうに首をゆっくり縦にふる。その表情は悲しそうに見えて、何かを追求するのははばかられたが、それでも聞かずにはいられなかった。


「本当にミルシアさんってどこから来たの??」


 でも、彼女はゆっくりと首を横に振るだけで、求めていた答えは返ってこない。


「本当にごめんなさい。どうしても言えなくて……言わなければダメだというなら私は出て行くわ」


「あっ、いや、そういうわけじゃなくて……」

 

 彼女は俯いたまま黙り込んでしまった。そんな彼女は、嘘ではなく本当に申し訳なさそうに見えて、俺も追求することはできなかった。


 そしてお互いに黙ってしまい、テレビから流れる笑い声だけがやけに大きく響いた。

 

 家に連れ込んでおいて今更だけど、俺はすごくヤバい人を連れ込んでしまったのかもしれない。すごい優しそうな人だけれども、正体がわからなさすぎる。アサシンとか? スパイとか? …………それはアニメの見過ぎか。でも、出身不詳だったり不思議なことが多すぎて、その疑惑をうまく払拭することができなかった。


「じゃあ、ミルシアさん手で食べますか? お手拭きくらいは用意しますけど……」


「その……ユートは手で食べることはあるかしら?」


「俺は……ないですね」


「じゃあ、私もフォークで食べるわ!」


 そう言うと、見様見真似で手元のスプーンを持ってご飯に突き刺す。最初のうちはうまく力が入ってならなくて、なかなか持ち上がらなかったけど、何度か重ねるうちにご飯くらいなら簡単にすくえるようになっていた。


「ユートのおかげでフォーク使えるようになったわ」


 彼女は満面の笑みで彼女はそう言った。その表情には充実感もあって、見ているこっちまでもつい嬉しくなってっしまう。確かにミルシアさんは掃除機やテレビ、しまいにはフォークやスプーンさえ知らないし、正体が一切掴めずにすごく怪しい。


 だけど、その純粋な目に、この少女のような笑顔。それだけは、どうしても偽りには見えなかった。だから、それだけでも本物であれば、正体とかそんな細かいことは気にしなくてもいいように思えた。だけど……


 

 彼女は自慢げにスプーンで白米をすくうと、俺に向かって、笑顔でこういった。


「この白いのとっても美味しいわ!」


 なんとなく予想はついていたが、彼女はお米を知らなかった。いや、お米どころか、肉も、魚も、食材の何一つも知らなかった。


 正体は気にしなくてもいいとも思ったけど、それにしても彼女は無知すぎる!!! 生活に必要な知識が全然足りてないっ!!!


 俺は大きなため息をつくと、ゆっくりと、ていねいに、片っ端から料理の解説を始めた。

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