第2話 PHS? 何それ美味しいの?

「ごめんなさいね。時間を頂いてしまって」


 金髪が優雅に揺れる彼女は、コーヒーカップを抱えて、口元へと運ぶ。そして、白く艶めくフチに、薄紅色の唇で軽く触れる——


 なんてことない動作でも、彼女の振る舞いであれば、見惚れてしまうほど美しい。まるで映画のワンシーンを演じるような彼女に、俺は夢中になっていた。ハッと気づくと、俺はイメージを振り払うように激しく首を振った。


 追いかけっこの後、路地裏の俺たちには奇異の視線が集まっていた。ルーズソックスミニスカ女が頭を下げながら、必死にお願いする光景は、まさに異様そのもの。でも、当の本人は全く気にした素振りはなく、まるで俺が肯定するまで頭をさげ続ける勢いだった。そして、視線に耐えきれなくなった俺は、近くのカフェへと逃げ込んだ。


 もちろん彼女を信じ切ったわけではないけど、場を収めるために仕方なく受け入れた形だ。


「そういえば、自己紹介がまだだったわ。私の名は、ヒメル・ミルシアよ。ミルシアと呼んで」


 彼女はコツンとカップを置くと、俺と目を合わせて丁寧に話す。


「ミルシアさんですか……俺は大島裕人です」


「そう、ユートね! よろしく!」


 彼女はニコッと向日葵ひまわりのようなまぶしい笑顔を見せると、白くて上品な左手を差し出した。彼女の国では初めましての時に握手をする習慣があるのだろう。でも、その握手をしてしまうと彼女を受け入れる意思表示みたいな気がして、その手を取るのは躊躇ためらわれた。だから、俺は握手の代わりに「よろしくお願いします……」と、頭を下げる。これが日本流だと見せつけてみる。でも、ミルシアさんは左手を下げることなく、手が出ないことに首を傾げた。だから、俺は無視して話を進める。


「と、ところでミルシアさんはどこから来たんですか?」


 彼女は空振りした手をしょんぼりと下げると、ちょっと頬を膨らませムッとしていた。そして、不満そうな表情のままボソッとつぶやく。


「それは言えないわ」


「言えない?」


「あっ、握手無視されたから隠しているわけじゃないのよ? 言えないのにはちょっと事情があるの」


 彼女はそうつぶやくと、左手でコーヒーカップの取手を撫でる。でも、俺はその言葉を偽りだと断じるかのように彼女の表情をうかがった。出身国だけで住所が割れるほど世界は狭くないし、『言えない』なんてことは普通ないと思う。おそらく、握手を無視したことを引きずっているんだと思う。まあ、でも俺には関係ないこと。適当なタイミングで逃げるつもりだし、彼女がどこから来ていようが構わない。とりあえず、脱する機会をうかがうため、話を切り替える。


「じゃあミルシアさんは、何をしにきたんですか? さっきは暮らしに来たって言ってましたけど」


 いまだにムッとしている彼女は、冷たくボソボソとつぶやいた。


「……本当にそのままの意味よ。私はここに暮らしに来たのよ。まあ、バカンスっていうやつかしら」


「バカンス?」


「そう。ここって自然が豊かで、平和って聞いたから、住んでみたいなと思って」


 自然や平和を求めるってことは、彼女が住んでいるのは紛争地帯か、息の詰まるような大都会か……おそらく、日本とは全然違う環境で暮らしていたのだと予想する。でも、それならおかしくない?

 俺は首を傾げながら、彼女につぶやく。

 

「でも、ミルシアさんって、ずいぶん日本語が上手ですよね」


「あ、えっと…………べ、勉強を頑張ったから」


 彼女は、ずいぶんとしどろもどろな反応をした。まるで、何か悪い行いを誤魔化している少女のような表情だった。


 俺はそんな彼女を見て、小さくため息をつくと、コーヒーカップに手を伸ばした。


 彼女のイントネーションは完璧に日本人そのもので、独学でその域に到達できるとは思えない。本当は日本人で、外国人ぶって介抱かいほうしてもらっているうちにお金を騙しとる。十分あり得るシチュエーションだった。彼女はさっきバカンスと言っていた。それでも、お金が無いと言おうもんなら本当に詐欺だろう。

 口をつけたコーヒーはやっぱり苦かった。

 

「ところでユート、ひとつ聞いてもいいかしら?」


 コーヒーに口をつけていたため、首を傾げて反応すると、彼女は不思議そうな顔をして。


「さっき私を助けてくれた時、なんで逃げたのかしら?」


 俺は思わず「ブッ」とコーヒを吹いて、ゴホゴホと咳をした。彼女は「大丈夫?」と心配してくれたけど、大丈夫じゃない。「服がダサくて怪しかった」なんて本人に正面切って言えるわけがない。俺は、即座に適当な理由をでっち上げる。


「えーと、怖かったからです……」

 

「本当に?」


 ミルシアさんの声音は、やんわりとした雰囲気があって、問いただされている感じは全くなかった。だけど、その大きな瞳で見つめられると、自分の本心を見透かされているようで、途端にはぐらかせなくなってしまった。俺は目を逸らしながら、小さな声でボソボソと口にした。


「えっと、格好が……」


「ああ、この服装? 日本はこんな服が主流なんでしょ? 変わった服を着るのよね」


 ミルシアさんは首を下げ、身につけているブレザーや短いスカートをみる。

 

「それっ! ふた昔前の服装なんですっ!!」


「うそ…………そんなの、嘘よっ!」

 

 ミルシアさんは慌てて手持ちのスクールバッグを探ると、ある一冊の雑誌を取り出した。

 

「ほら、これ!」


 ミルシアさんは慣れた手つきで、読み古された雑誌をめくると、あるページを俺に向けた。確かにそこには、ミルシアさんにそっくりな格好をした女の子が並んでいる。だけど雑誌の裏表紙には、アンテナのついた無線通信機PHSの広告があって、間違いなく古い雑誌だ。


「ミルシアさん、これやっぱりふた昔前のものです。今どき、こんな格好の人見ませんよ」


「そうなの……」


 彼女はうれいを帯びた表情でため息をついた。


「…………せっかく高いお金払って取り寄せたのに、飛んだ詐欺師ね」  

 

「何か言いました?」 


 彼女はため息をつくかのように、小さな声でつぶやく。でも、俺にはよく聞こえなかった。


「ううん、何も言ってないわ。じゃあこの格好で出歩くのって結構恥ずかしいってことかしら……」


 俺は言葉の代わりにゆっくりと首を縦に振る。すると、彼女は少し俯いた。


「そう……じゃあユートにも嫌な思いをさせてしまったわね。ごめんなさい」

 

 ミルシアさんは悲しそうな表情をしていた。なんだか落ち込んでいるようにも見えて、ついつい余計なことを口走ってしまう。


「いやいや、大丈夫です! 全然大丈夫ですから」


「ほんとに?」

 

 彼女は上目遣いで俺を見つめてきた。その瞳は少し潤んでいて、その破壊力はすざましい。


「ほんとです、ほんとです!」


「さっき、追いかけたのも迷惑じゃなかった?」


「はい、大丈夫です!」


「じゃあ、服装を変えれば、私と一緒にいるのも大丈夫?」


「はい、だいじょうぶ……」


 あれ、それを大丈夫は不味くない? そう思った時にはもう手遅れで、口から出ていた言葉に、ミルシアさんは目を輝かせながらこっちを見る。


「やった! じゃあ、私の服一緒に見てくれないかしら?」


「いや、ちょっと、それは……」


「着替えれば、一緒にいてもいいのよね?」


 当初のもくろみでは、会話の中で、適当に抜け出そうとしてたのに、結果としては、いつのまにか追い詰められていた。言質をとられた上にこのワクワクした瞳。もう選択肢なんて存在しなかった。


「わ、わかりました……服、見に行きましょう」

 

「やったー! ありがとう!!!」


 まんまとダマされたような気がした。多分綺麗な女性はこうやって服を買ってもらうのだろう。俺は手元で財布をぎゅっと握りしめ、せめて半額は残ってくれと強く願った。

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