愛してる

 早いものだね、愛莉。キミを授かってから、もう20年が経ってしまったよ。

 20年前、なかなか子供が出来ずに諦めかけていた我々の下にキミは来てくれたね。80億分の1、いや、もっと少ない可能性の中で、私達はキミに出会えた。無宗教論者の私でも、神様にただただ感謝したよ。

 それからの日々はまさに戦争だったよ。1時間おきに泣いてミルクをせがむキミに、私も母さんも半分眠りながら授乳をしていたものだよ。

 キミが少し大きくなると夜中に起こされることは減ったけれども、その代わり何にでも興味を持つキミは、あらゆるものを触ったり、口に入れたりしようとしたね。私はキミが何か変なものを飲み込まないかと気になって、仕事も手につかなくなったものだよ。

 キミは健やかに成長し、幼稚園ではとても楽しそうだったね。友達と喧嘩して、相手の子に怪我をさせた時には身の竦む思いだったけど、我々のそんな気持ちを知ってか知らずか、翌日にはその友達と何事もなかったように楽しそうに遊んでいたね。

 キミが幼稚園を卒業する時の母さんの顔ったら無かったな。涙で化粧が土砂を崩すようにとれていたのは滑稽ですらあったよ。その事を家に帰ってから伝えたら、恐ろしい剣幕で怒られたけどね。

 小学生になると、キミは持ち前の好奇心と負けず嫌いを発揮して、色々な事を学んでいったね。そうそう、小学2年生の時、遊びで私と九九の掛け算競争をやったね。それで負けて悔し涙を見せるキミを見て、私は複雑な気持ちになったのをよく覚えている。キミを泣かせて申し訳ないと思う一方で、自分の誇りを持ち始めたキミを嬉しく思う様な、我々の手から少しだけ飛び立とうとしているキミを離したくない様な、そんな気持ちが綯交ぜになって、私の心が少し締め付けられたのをよく覚えているよ。

 そしてキミは誰に似たのやら、小学高学年になる頃には児童会の役員になると言って、夜なべをしながら児童会選挙のたすきを作ったりして張り切っていたね。その陰ながらの頑張りをきっと他の生徒や先生方もわかっていたのだろうね。小学校生活の後半はずっと児童会の活動を任されていたのは私も誇らしかったよ。

 小学校卒業の日。なぜだろう、てっきり母さんがまた顔を崩しながら号泣すると思っていたのに、母さんは2、3粒の涙を流しただけだった。それなのに私ときたら、自分でも信じられないくらい、感情を抑えることが出来なくて、式の始まりから終わりまで、これまでのキミの事が脳裏に駆け巡って、ただひたすら涙していた。私のあまりの号泣っぷりに、周りの人も少し引いていたのはわかってはいたけれども、どうしても涙が止めることは出来なかったよ。そして、キミが卒業生代表として、答辞の言葉を読むときには、私は既に何も見えていなくて、ただキミの言葉が、私の耳を通して伝わってきて、キミのこれまでの小学校生活がとても充実したものだと、知ることが出来て、それで私はまた、涙を流してしまった。

 中学校時代は、キミにとって試練の時だったね。私も思い返すだけではらわたが煮えくり、キミの気持ちを思うと胸が苦しくなるよ。児童会長をやっていたと言う良くわからない理由で、他の小学校出身の生徒がキミに目を付け、陰湿なイジメをしてきたね。そんな連中にキミは堂々と対応してきたと思う。辛くてひとり部屋に籠って泣いている時もあった。そんな時、私はキミをイジメているヤツを殺してやろうかと思ったけれども、キミが歯をくいしばって耐えているのに、部外者の私なんかが余計なことをして、キミの人生を台無しにすることなんて出来やしなかった。陰ながら助けてくれた友達はいたけれども、キミは中学校の3年間を我慢して通さなくならなければ無かったことを、私は申し訳なく今でも思っている。

 でもキミはそんな逆境をはねのけて、我慢と努力で他の生徒が望んでも手が届かない様な高校にキミは行ったね。その底力は私や母さんには無いキミの優れた才能だと思う。

 高校生活では、本来の明るく何にでも好奇心を示すキミにまた戻れて本当に良かったと思う。美夏ちゃんと言ったっけ、良い友達に出会えたこともキミにとって人生の大きな財産になったと思う。

 そして高校生になって、キミは一気に大人に近づいたと私達は感じたよ。高校二年生の文化祭で、美夏ちゃんとふたりで私達を出迎えてくれた時、私は一瞬、誰に呼び止められたかがわからなかった。毎日顔を合わせているはずなのにね。私とも母さんとも違う、一人の女性がそこに立っていて、私は胸がとても苦しくなったんだよ。母さんも同じ事を思ったらしく、ふたりして暫くぼぅっとしていて、キミを少し戸惑わせてしまったね。ちょっと申し訳なかったかな。

 一昨年は大学受験合格おめでとう。日頃からのキミの努力が見事に実を結び、希望する第一志望の大学へ進めたのは私達も嬉しかったし、誇らしく思ったよ。

 今も忙しい大学生活を送っているようだけど、毎日楽しそうで本当に良かったと思う。


 そして、今日。いよいよキミの20歳の誕生日だ。私達にとって、あっと言う間の20年だったよ。

 私と母さんとでね、最初から決めていたことがあるんだ。

 それはね、キミが20歳になった時、キミと私達は血が繋がっていない事を伝えるって。

 子供のできなかった私達は、養子という形でキミを授かったんだ。

 ……こんな話を突然聞いたら、キミはショックを受けるだろうか。キミは私達のことを嫌うだろうか。もう私達は今まで通りの関係ではなくなってしまうだろうか。

 正直言って、私は怖い。この事を君に伝えるのが怖ろしくてたまらない。

 母さんと何度も話したが、やはり最後にはキミにこの事実を伝えたほうが良いとの結論になった。

 そして、その日がついに来てしまった。

 ただこれだけはわかって欲しい。キミは間違いなく私達の子だ。私達はキミの事を自分達の子供として本当に愛していたし、それはこれからもずっと変わらない。この事を聞いて、キミがもし私達を見る目が変わったとしても、私達はこれまでと変わらず、キミをずっと愛し続けるだろう。

 どうか、その事だけは信じて欲しい。


「……お父さん、話って何?」

 不安げな面持ちをした母さんに連れられてきた愛莉は、怪訝そうな顔をして対面のソファーに腰を掛ける。私と母さんの雰囲気が少しおかしいことに、愛莉も何かを感じているようだ。

 やはり養子である事実を愛莉に話さない方が良いのではないだろうか? 話して何か良いことがあるのだろうか? 弱気な心が鎌首をもたげ、何度も母さんと話し合ってきたことがまた頭の中を駆け巡り始める。

「あ、あぁ、ちょっと、ね……」

 話した方が良いのか? 話さなくても良いのではないか? 知らない方が愛理は幸せではないのか? 話すことは結局我々のエゴでしかないのではないか?

 迷いの消えないまま、私は口を開く。

「……愛莉、実は……」


 愛莉、愛しているよ。

 私は何度も心でそう呟いていた。

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