ヒーロー
もう10月も下旬だと言うのに、この県営の体育館は激しい熱気に包まれていた。そして体育館にはおよそ似つかわしくない、大勢のイルカが忙しなく鳴くような音と、それを応援する歓声が響きわたっていた。
その中心に僕たちはいた。
「聡、なか!」
ポイントガードの杉下は、聡に指示をすると同時に約650gのボールを放った。杉下からのパスを受け取った聡は、その体格を活かして、相手コートにドライブで切り込む。猛然と突き進む聡を、相手チームの誰も止めることが出来ず、聡はそのままシュートを決めた。
「うぉっし!!」
「よっしぁっ! あと1ゴール!」
聡の叫びに合わせて、マモルも叫ぶ。そう、マモルが言うようにあと1ゴールで僕たちは逆転できる。あと1ゴール、ポイントで言えばあとたったの2ポイントさえとれれば、僕たちはウィンターカップへと駒を進められる。でもそのたった2ポイントが大きな壁となって、僕たちの悲願を阻んでいた。
こちらが追いつこうとすれば、相手チームもまたシュートを決めて突き放して来る。先程からこのシーソーゲームが続いているのだ。
そもそもウィンターカップ予選の決勝なんて大舞台に、なんで僕なんかが選手としてバスケットコートの中で走り回っているかと言うと、それは小学生の頃まで遡る。
このチームでセンターを張っている哲っちゃんと僕は、小学生の頃からの友人だった。哲っちゃんは昔から身体が大きく、運動神経が良かった。哲っちゃんは毎年リレーの選手に選ばれていたし、体育の授業では先生にいつもお手本を頼まれていた。哲っちゃんはそれらの事を自慢する事なんて決してなかったし、むしろ運動の苦手な子達に上手にできるコツを一所懸命に教えてくれようとしていた。そんな哲っちゃんの事をみんな一目置いていた。僕は、そんな哲っちゃんと仲が良かった事をとても誇らしく思ったし、当然、僕の中でも哲っちゃんは憧れのヒーローだった。
小学4年生になった頃、クラブ活動を選択することになった。
「バスケットボール?」
僕は哲っちゃんに聞き返した。
「あぁ、そうだぜ。俺はバスケットボール選手になるからな。当然クラブ活動もバスケットボールクラブで決まりだ!」
当たり前だろ、と哲っちゃんは僕に言った。
「哲っちゃんはバスケットボールクラブかぁ……。僕はどうしようかなぁ、図工が好きだから図工クラブにでもしようかな」
例にもれず、哲っちゃんほど明確な目標など僕にはなく、クラブ活動すら満足に決めきれない普通の小学生だった。
そんな僕の様子を見て、哲っちゃんは確かにこう言ってくれた。
「卓哉も一緒にバスケやろうぜ」
内心とても嬉しかった。哲っちゃんが、僕も一緒にと誘ってくれることがとても嬉しかった。でも僕には正直言ってバスケをやる自信が無かった。
「えぇ? 僕には無理だよ。哲っちゃんみたいに背も大きくないし」
「小さくもないだろ? 卓哉、向いていると思うぜ? 遊びでバスケやってても、ドリブルで相手をうまく躱すし、離れたところからでもシュートを結構決めてるじゃん」
「うーん、そうかなぁ……?」
哲っちゃんに褒められて悪い気はしなかったけれども、僕はただ、哲っちゃんのしていることを見よう見真似でやっているだけだった。自分がバスケットに向いているとはとても思えなかった。
「そうだよ! よし、そうしようぜ! 卓哉と俺のコンビネーションで最強クラブを作ろうぜ!」
「大丈夫かなぁ……」
「大丈夫だって! よし、決まりだ!」
たっちゃんに半ば強引に誘われることになって、僕はバスケの道へと足を踏み入れたのだ。
ちょっとのつもりで始めたバスケは、僕の中でいつのまにか大きな存在を占めるようになっていた。高校生にもなると僕は本格的にバスケをやっていて、いつしか杉下、聡、マモルを加えた5人で、バスケの甲子園とも言えるウィンターカップ目指していた。
朝から晩まで毎日バスケに明け暮れ、練習がきつくて吐いたことなど数えきれないくらいあった。ヘタレな僕はその度にバスケをやめたいとか言い出したりしたけれど、哲っちゃんが何度も励ましてくれたおかげで、僕はいま、この舞台に立てているのだ。
そして僕たちの目標まで、あとひとつと言うところまでついに来た。
ついに来たと言うのに……。
「くそっ、あと1分切ったぞ!」
マモルの焦れた声が聞こえる。
くそ、あと2ポイントなのにそれが遠い。
今のオフェンスは相手チームだ。だが、相手は積極的に攻める気は無いらしい。それはそうだ。たった2ポイントでも、このまま時間切れになれば彼らの勝ちだ。リスクを冒すより、確実に勝つことを選ぶのは当然だ。僕だってそうする。
「くそ!」
焦れたマモルがドリブルをしながら動こうとしない4番の相手選手に挑みかかった。
迫るマモルに対し、4番の選手は突然ギアを上げ、マモルに向かって突進する。
「なっ!?」
一瞬不意を突かれたマモルはまんまと躱され、4番はそのまま僕たちのゴールへとドライブをかけようとする。
「させるかよ!」
すぐさま聡が4番を止めようとカバーに入った。しかし4番の選手はそれを見越していた。聡が動いたことにより、相手選手の一人がフリーになったのだ。その選手に向けて4番はパスを送った。そしてそのパスの相手はこの試合で一番ポイントを挙げている選手だ。マズイ! これ以上点差を広げられてしまったらもう追いつけない!
流れる様にと言った表現が一番しっくりくるだろう。
僕たちの司令塔である杉下は、相手の4番のその更に先を見越していた。4番がパスを出した瞬間、まさに流れる様にパスの動線に割り込み、相手チームのパスをカットしていた。
マモルや聡と違い、杉下はあまり感情を表に出さず、大きな動きもしない。でも、派手さはないけど、コート全体を見渡す能力は僕らの誰も及ぶべくもなく、いつも冷静で指示も的確だった。ポイントガードとしてこれ以上の適役はいなかった。
その杉下がボールを手にした今、ここからが僕たちの反撃のチャンスだった。残り時間はおそらく30秒も無いだろう。これが最後のチャンスに違いない。
杉下がゆっくりと動き始め、左手で相手コートを指さす。それを見た僕たちは一斉に相手コートへと走り始める。もう防御は必要無い、攻めるのみだ、そう杉下は指示したのだ。
しかし相手チームだって、そう易々と僕たちに反撃をさせるつもりは当然ない。ボールを奪い返そうと相手チームのひとりが杉下に襲い掛かった。
が、杉下は難なくそれを躱して、相手コートへと進んだ。それはそうだ。杉下はボールキープ力も半端ない。哲っちゃんですら、杉下からボールを取るには苦労させられるのだ。
杉下がセンターラインを越えた辺りで、先ほどの選手に加え、もう一人、杉下のボールを奪いに駆け寄った。
ふたりの選手を相手に、杉下はそのままドライブをかけようと身体を少し沈ませる。しかし相手選手達はその動きを予想していたらしく、杉下が抜けようとする道をふたり掛かりで塞ぎにかかっていた。だが、それこそ杉下の思うつぼだった。
ドライブをかけると見せかけて、杉下は誰もいない方向へとボールを投げた。そして、ガードの外れていた僕は、その場所に向かって既に駆け出していた。そう、相手チームに先程やられたことをそのままお返しした形だ。
ボールがサイドラインを割る寸前に僕はボールをキャッチし、ゴールをめがけてドライブをかける。でもこのままゴール下まで行けば、相手チームは死に物狂いで僕を止めようと襲い掛かってくるのは目に見えていた。僕は杉下や哲っちゃんほどボールのキープ力があるわけでもないし、マモルや聡ほどパワーで相手を抜けるわけでもない。だからこそ、相手チームは僕のガードを解いたのだ。
そして、僕が色々と策を講じようとしても、もう残された時間がないのだ。
だったら、僕に出来ることはただ一つ。僕が唯一、ほんの少しだけ、得意としていることをするだけだ。きっと杉下もそれを期待しているに違いない。
相手チームの誰かが必死で叫び、僕を止めようとする。……でも、もう遅いよ。
既に僕は、膝を曲げ、身体を少し沈めていた。そしてゴールを見据えたまま、僕は大きく伸びあがり、ボールを宙に放った。
体育館から音が消えていた。あれほど歓声に包まれていた体育館からは音が一切消えて無くなり、無音と化した。
その怖いくらいの静けさの中、僕の投げたバスケットボールだけがゆっくりと放物線を描いて、ゴールへと向かってゆく。体育館の全員の視線がバスケットボールへと注がれているのがわかる。
ボールは、ゴールまで1mまでの距離に迫っていた。
『そのまま入れ!』
僕は祈った。
みんなが固唾を飲んで見守る中、バスケットボールは、無情にも僕の願いを無視して、ほんの僅かに軌道を反らした。そのまま軌道をずらしたまま、ボールはゴールリングに衝突した。ゴールリングが空気を震わすような音を立てている中、ボールはゴールから離れて飛んで行った。
僕の一世一代のシュートは失敗に終わったのだ。
≪ウォオオオオオオオオオオ!≫
静まり返っていた体育館は、音を再び取り戻し、大歓声と、大きなため息に包まれた。
僕はと言うと、自分のしでかした事の大きさに、ただ茫然としており、今すぐここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
いつもこうだ。結局僕は詰めが甘く、こういう失敗をやらかしてしまう。
そう、いつもこうなんだ。こうしていつも失敗して、いつも自己嫌悪に陥って、僕はバスケットをやめたくなる。
でも、そんな僕がこれまでバスケを続けてこれたのは、哲っちゃんのおかげだった。
僕が落ち込む度に、哲っちゃんは僕を励まし、僕が失敗する度に、哲っちゃんは僕のフォローをしてくれた。
そう、そして今回も……。
「いけぇ! 哲っちゃん!!」
僕の声に合わせる様に、哲っちゃんはゴール目掛けて飛んでいた。僕がゴールに入れられなかったボールを手にして。
体育館に鳴り響いていた大歓声は絶叫に、そして、ため息は驚喜の声へと変わる。
そう、いつだって哲っちゃんは僕のミスをフォローしてくれる。いつだって僕にバスケを続けていて良かったと思わせてくれる。
本日最大にして、最高の大歓声が体育館を包んだ。
後から聞いた話によると、その時の大歓声は体育館の外まで響き渡っていたそうだ。道行く人々はその歓声に何事が起きたのかと思ったらしい。
え? 試合の結果がどうなったかって? それは……ご想像にお任せするよ。
……でもこれだけは言っておこうかな。やっぱり哲っちゃんは、僕のヒーローだった、ってね。
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