正義

「……と、このようにして被告人は、きわめて殺傷能力の高い道具で被害者甲を殺害しているわけであります。

 さらに、目撃者の証言からも明らかなように、被告人は加害行為に及ぶ前に『必ず殺してやる』といった趣旨の発言をしております。

 このような事からもわかるように、被告人は明らかな殺意を持って、被告人甲を殺害したと思われます!」

 舌鋒鋭く被告人を糾弾する検察官の主張が、法廷内に響きわたった。

 静まり返る中、検察官は続けた。

「さらに申し上げますと、被告人は度々このような危険行為を繰り返しており、再犯の可能性は極めて高いと言わざるを得ません。

 ……よって検察側は被告人に対し、懲役20年を求刑いたします!」

 検察側がそう断じると、法廷が騒めきに包まれた。

「静粛に! 静粛に!」

≪カン、カン!≫

 法廷に裁判官の小槌の音が鳴り響いた。


 この時代、急増する凶悪犯罪に対応するべく、司法手続きは大きく改正されていた。容疑者の逮捕、起訴、判決までの一連の流れが簡略化され、最長でも3日で判決が下る。もちろん、今回の事件も同様の手続きが進められ、犯行から2日目で既に先程の検察側の論告求刑までが完了していた。残すは弁護人、被告人の弁論だが、実質弁護人の最終弁論で大勢が決まるだろう。そしてその後、本裁判の判決宣告が行われる。


『それにしても懲役20年とは……。磯崎も吹っ掛けてくるな……』

 被告人の弁護人である相川は、鼻の頭を擦りながら考えていた。

 いまこの法廷で争われている事件は、ある意味単純明快な殺人事件であった。被害者甲のもとに突如現れた被告人が、刃渡り約100cmの長刀で白昼堂々と被害者甲を切りつけたのだ。被害者甲は即死。被告人は駆け付けた警察官によって緊急逮捕された。

 このような単純な殺人事件で懲役20年が求刑されるのは異例の事であった。普通であれば懲役10年~15年と言ったところが妥当な線である。そのため、量刑の『相場』を知っている裁判員や傍聴人達は検察側の求刑に驚いたのである。

 このような一見無謀とも思える求刑を検察側が敢えて行ったのは、社会的にも注目を浴びるこの事件で、検察側の意思を明確にする狙いがあるのだろうと相川は推察した。つまり、重大犯罪に対して検察側は断固許さじ、と言う態度を世間に知らしめることによって、類似犯罪への抑止効果を狙ったのだ。

 相川は検察席に座る検察官を見つめた。

「……磯崎、変わらんな……」

 相川は思わず、そう呟いていた。



 相川と磯崎は大学時代に同じ法学部ゼミで過ごした仲間だった。

 ゼミで行った模擬裁判の時も、相川が弁護人役で、磯崎が検察官役であった。ふたりの舌戦は苛烈を極め、教授が止めに入るほどのものであった。

 そして、相川と磯崎は司法試験の難関を潜り抜け、司法修習生となった。数年後にそれぞれが選んだのは、やはり相川が弁護士で、磯崎が検察官の道であった。

 ふたりの歩む道が異なる事が決定的になったあの夜、磯崎が言ったの言葉が今も相川の耳を離れない。

「俺は……犯罪者に虐げられた無辜の人々の力になりたい。法でしか犯罪者を裁けぬ世の中ならば、俺は人々の剣となって犯罪者を断罪する!」

 曇りのない瞳で磯崎はそう言った。純粋だと、相川は思った。その純粋さが少し危険であるとも……。



「……ふっ」

 感傷に浸ってしまった相川は自戒するように首を振った。

 相川は被告人席に視線を移した。

 被告人席では険しい表情で被告人が磯崎を睨みつけていた。その表情は明らかに検察側の求刑に納得がいっていないというものであり、下手すると今にも磯崎に掴みかからんばかりだった。

 被告人の経歴や被害者甲との関係を考えると、被告人の態度はわからなくもなかったが、今後の事を考えるとそうも言っていられない。

 相川は被告人に近づき、耳元で囁いた。

「落ち着いてください。お気持ちはお察ししますが、そのような表情をしていると裁判官達の心象が悪くなってしまいます。ここは我慢してください」

「でも先生! オレは何も悪くないぜ!? 悪いのは全部アイツだよ!」

 被告人が興奮した面持ちで相川に食って掛かる。

「しぃっ! 声が大きいです」

 相川は被告人がこれ以上声を上げようとするのを遮った。このままだと被告人が何を言い出すかわからない。

「大丈夫です、私に任せてください。なーに、あれだけの報酬を約束して頂いたのです。たとえ黒のモノでも、私が白色に変えて見せますよ」

 相川は口元を歪めて笑い、そして被告人の肩に手を置いた。

「……正義は我にあり、ですよ」



「それでは、弁護人による最終弁論を行います。弁護人……お願いします。」

 裁判官に促されて、相川は起立した。法廷中の視線が相川に注がれる。相川はゆっくりと語り始めた。

「……今回、確かに被告人は、被害者である甲を鋭利な刃物によって殺めてしまいました。……非常に残念な出来事です。まずは被害者の関係者の方々にお悔やみ申し上げます。」

 相川は傍聴人席に向かって深々と頭を垂れた。

「……被告人の行った行為は確かに重大な行為だったかもしれません……。しかし、これまでの証言にもあるように、被告人の立場を考えると止むに止まれず行った行為であることは疑いようもありません」

 相川は傍聴人、裁判員、裁判官の順に視線を移してゆく。ここにいる全員が相川の主張に耳を傾けているのがわかる。そして最後に磯崎を見つめた。磯崎が何を考えているか、その表情からは読み取れなかった。

「……検察側の主張はこうです。被告人は被害者甲を殺害する前に『必ず殺してやる』といった趣旨の発言していた事実を以って、主観的構成要件、つまり殺意の認定をしております。この事により被告人の行った行為は私怨に基づくものであり、何ら違法性を阻却するものではないとの主張です」

 磯崎の表情を確認するが、磯崎は特に表情も変えずにじっと相川の様子を伺っていた。

「……しかし、そもそもそれこそが誤りなのです! 恫喝ともとれる被告人の発言は果たして殺意の表れなのか? 答えは否です!

 被告人の発言は、被告人が属する業界では日常的に使用される用語である事がわかっております。むしろ、そうしなければならない暗黙的なルールが存在し、今回被告人はただそれに従っただけなのです!

 ……さらに、被告人と被害者甲は今回の痛ましい事件で初めて顔を合わせており、何ら私怨を抱く関係ではなかったのです!

 すなわち、今回の被告人の行動は、個人的な殺意を以ってなされた行動では決してなく、刑法35条に規定される正当業務行為であったとここで断言いたします!」

 法廷の空気は張り詰め、相川の一挙手一投足に注目していた。

 相川はそれを知りつつ、敢えてここで一呼吸を置いた。

 こうする事で聴衆の注目がさらに集まり、次に発する言葉がより効果的なものになる事を、相川はこれまでの経験から良く知っていた。

「……すなわち、被告人の行為は違法性を阻却するものと考えるのが妥当であり、懲役20年を求刑する検察側の主張は極めて荒唐無稽であると言えるでしょう。

 ……よって弁護側は、被告人の無罪を主張いたします!」

 相川が高らかにそう宣言すると、法廷は先程より大きな喧騒に包まれた。裁判員や傍聴者たちは興奮し、それぞれが思う事を話していた。

「静粛に! 静粛に! 静粛にぃ!!」

≪ガン、ガン、ガン、ガン、ガン!≫

 裁判官は何度も小槌を叩き、唾を飛ばしながら大声で叫んでいたが、その声に従う者は誰一人としていなかった。

 そんな法廷内の様子を見て、相川は口元をさらに歪めて笑みを浮かべた。



「先生! ありがとうございます!」

 被告人は泣きださんばかりの表情で相川の両手を握りしめ、礼を述べていた。

 結局あの後、被告人の最終陳述を経て、判決が下されたが、相川の弁論が終わったところで結果は見えていた。

 判決は無罪。相川たちが勝利したのだ。

 今回の事件は確かに単純ではあったが、それだけに難しい側面があった。客観的事実からするならば被告人が被害者を白昼堂々と惨殺したことは間違いない。無罪を勝ち得たのは単にツキが味方したからであって、実力ではないと相川は思った。そしてまたこれで相川法律事務所が世間から目の敵にされるかもしれないと思うと、相川は少しだけやるせない気持ちになった。

 相川は判決宣告が為された後の臍を噛むような磯崎の顔を思い返した。あの様子だと検察側からの控訴も有りうると思えたが、控訴されたらされたでまた被告人から金をむしり取れると思えばそう悪い話ではない、そう相川は考える事にした。

≪ピーピーピー≫

 突如、被告人のポケットから電子音が鳴り響いた。

 被告人はポケットから何かを取り出すと、それに向かって話し始めた。

「どうした? 何? 怪人が現れただと? わかった! すぐ行く!」

「……事件……ですか?」

 相川は被告人に尋ねた。

「はい、港区に極悪帝国の怪人が現れたそうです!」

「いつも大変ですね……。裁判の後でお疲れでしょうが、よろしくお願いします」

「もちろんです、先生!」

 被告人は相川に親指を立てると、少し開けた場所まで小走りに走った。そして派手なポーズと共に「変身!」と叫んだ。被告人の身体が煌びやか光に包まれたと思うと、被告人は正義のヒーロー、ジャスティス仮面へとメタモルフォーゼしていた。その間なんと0.1ミリ秒である!

 怪人のもとへ走り出そうとする被告人、ことジャスティス仮面の背中に相川は声をかけた。

「あ、ジャスティス仮面さーん、技を出すときに不用意に『必殺!』とか言っちゃダメですよー。また殺意がどうとか言われますからね。

 あとこちらからの攻撃は、相手がしてきてからするようにしてください。そうしないと正当防衛とか認められにくいですからーー!」

 ジャスティス仮面は再び親指を立てて応えると、目的地に向けて文字通り飛んで行った。

その光景を見て相川は呟いた。

「……ほんと、ヒーローも難儀なものですね……」


 時は2025年。

 突如現れた悪の秘密結社『極悪帝国』に敢然と立ち向かう我らがヒーロージャスティス仮面。

 ヒーロー活動に対する特別法が制定されるのは、もう少し先の事である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る