すき
古くからの友人、芽衣子と喫茶店でお茶をしていた。この喫茶店は紅茶で有名な店で、雑誌にしばしば掲載されていた。私が好きそうな店だからと言って、芽衣子が誘ってくれたのだ。
店に入ってから既に2時間近い。飽きもせず私と芽衣子は話し続けていた。お互いの近況、上司や同僚の愚痴、今シーズンのドラマの中で何が当たりで何がハズレか、最近世間を賑わせている事件など、話のネタは尽きない。
話したいことを一通り話した所で、私達はようやく一息ついた。
芽衣子は手洗いへと席を立つ。私は氷の溶けたダージリンをストローで軽くかきまぜると、ひとくち口に含んだ。少し温くはなっていたが、その分セカンドフラッシュの甘みが口に広がる。芽衣子とのおしゃべりで酷使した喉が癒され、身体の深い部分にまで染み渡ってゆく気がした。
店内は落ち着いた雰囲気の空間だった。内装は英国風にデザインされており、所々にアンティークの家具も配置されている。店内には何組かのカップルの姿が目につく。有名な店だから当然だろう。私はカップルの姿から目を逸らすように、窓の外へと視線を向けた。しかし私の眼は何も映してはいなかった。
外を見たままぼんやりしていると、店内に流れるメロディーが聞こえてきた。古い曲ではあったが大抵の人は知っている有名な曲であった。BGM用に編集されているのだろう、流れる曲に歌声はなく、ピアノのメロディーだけが静かに流れていた。
「……なんで今この曲かなぁ」
私はそう呟いて、ひとり笑った。
「……由香里。……大丈夫?」
いつの間にか、手洗いから戻ってきた芽衣子が立ったまま私を見つめていた。その表情は笑っているようで、泣いているようでもあった。
まいったな、全部お見通しか……。
芽衣子の鋭い洞察力と、私の演技力の無さに、私はまた少し笑った。
私には5年ほど付き合っている彼氏がいる。いや、もう3ヶ月以上連絡を取り合っていないのだから、おそらく「いた」なのだろう。
彼とはバイト先で知り合った。何度か話をするうちに、話題も趣味も音楽の嗜好も同じことがわかり、いつしかふたりだけで遊びに行くようになった。そしてそのまま、私たちは友達の延長上のような形で付き合い始めた。
ふたりでいる時は本当に楽しかった。このまま一緒に歳を重ね、人生を過ごしていくのだろうと本気で思っていた。
しかしそう思っていたのは私だけだったようだ。
いつの頃からか、彼の態度が変わっていった。私と会っている時でも心ここにあらずと言った様子で、終始なにか思案している様でもあった。会話していてもどこか上の空で、適当な返事をされることも多くなっていった。そんな彼の態度に私は腹を立て、喧嘩の数も次第に増えていった。
そしてそんな中、私達は些細な切っ掛けで大喧嘩をした。今考えるととてもくだらない理由だったと思う。
けれども、老朽化した建物のように不安定に揺れ動いていた私達ふたりの関係を、崩してしまうにはそれで十分だった。
喫茶店を出た後、芽衣子と映画を見に行った。そもそも今日はそういう約束だった。映画はアクションコメディで何も考えずに楽しめた。この素晴らしき友人のことだ、あえてそういうチョイスをしたのだろう。
映画を見た後、私たちは軽い夕飯を食べ、そして別れた。
芽衣子は別れ際に、また、出かけようね、と昼間見せたあの泣き笑いの表情で私に言った。
私は小さく頷いて、ありがと、とだけ言った。
私は家に帰ると、シャワーを浴びた。浴槽に温めのお湯を張り、身体をゆっくりと浸す。小さくため息が漏れた。
私は浴室用の音楽プレーヤーを手にとり、目当ての曲を探した。確か入っていたはずだ。目的の曲が見つかり、再生ボタンを押した。
喫茶店で聴いたピアノの前奏が静かに流れ始める。しばらくすると 優しく、力強く、そしてどこか悲し気な声で、女性ボーカルは歌い始めた。
「失恋して、悲恋の曲を聴くなんて、我ながら陳腐だなぁ……」
私は独り、そう呟いて小さく笑った。
昔は何度も聴いても良い曲だなぁ、くらいにしか思わなかったんだけどなぁ……。
曲を聴いているうちに、何故だか鼻の奥の方がツンとしてきた。私は目を瞑ると、身体を深く湯船に沈めた。
ボーカルはそれでも歌い続け、私の気持ちをクライマックスへと運ぶ。
そして最後に、慟哭するようなホイッスルボイスをバスルームいっぱいに響きわたせた。
バスルームにいつまでも響きわたるその声が、ボーカルの歌い声なのか、それとも私が出している音なのか、湯船の中でひとり惨めに泣いている私には良くわからなかった。
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