5分間の日常
鱗卯木 ヤイチ
夏の祈り
窓ひとつない狭苦しい部屋。換気扇が虫の羽音のように強弱をつけながら唸っている。白熱灯の光が俺の肌を焼く。玉のように膨れ上がった汗が床に落ちた。Tシャツはすでに汗をたっぷりと含み、身体に張り付いている。
少しでも不快な感触を取り除こうと、俺はTシャツを軽く引っ張った。皮膚が少しずつ剥がされていくような感覚に肌が粟立つ。額からまた汗がひとつ流れた。気分が悪い。
俺は長いこと、この部屋から抜け出せずにいた。ある意味、監禁状態と言って良いだろう。体調も芳しくなかった。最悪と言っていい。手足の先も痺れ始めていた。
どこかで蝉の声が聞こえる。蝉の声は俺の頭の中をぐるぐると駆け巡り、次第にその音を大きくしてゆく。
頭の中のその音を聞きながら、俺は次第に意識が遠くなってゆくのを感じた。
気づくと俺は小さいころによく訪れた田舎にいた。そこにいる俺はまだ小学生くらいの子供で、所々擦り切れた畳の上に所在無く座っている。その周りでは大勢の大人達が酒を飲みながら大声で談笑していた。今は亡き伯父もその世界ではまだ健在で、顔を真っ赤にして笑っていた。
大人の会話に加わることの出来ない俺は、畳の毛羽をむしりながらぼんやりと外を眺めていた。軒先には簾が垂れ、風が吹くと風鈴の透き通る音が空に揺れた。
燻したお茶のような香りが鼻先をかすめる。匂いの元を辿ると、初老の男性が仏壇の中から俺を優し気に見つめていた。部屋の中に目をやると、大人たちは相変わらず騒いでいる。
俺はこの光景を知っている。祖父の七回忌と言うことで親戚がお盆休みに一同に会した時のものだ。俺が小学4年生の頃だったか。遊び相手だった年上の従兄弟達は既に大きくなり、あまり田舎に来なくなっていた。この時も受験と言う理由で彼らは来ていなかった。
まだ小学生だった俺だけは、祖父さんの供養だと言うことで祖母の家へと父に連れてこられたのだ。
遠くの方で雷の音が聞こえた。記憶によれば、じきに雷雲はこちらの方へとやって来る。激しい夕立と爆発するような雷を携えて。
突然稲光が輝くと世界は真っ白になった。同時に轟音が響き、俺の腹の奥底は激しく揺さぶられる。そして滝のような雨が地面を叩いた。
これまで経験したことのない激しい雷雨の洗礼に俺は怯えた。必死の形相で両手を強く握りしめ、そして祈った。
『神様、悪いことはもうしません! だから雷を早くどこかへやってください!』と。
ブーン、ブーン。
換気扇のモーター音で俺は我に返った。
夢? 何故あの頃の夢を……。人間死ぬ前に昔の事を思い出すというが……。いやまさか、な……。
汗がまた一つ流れ落ちた。
ドンドンドン!
突然、外側から激しく扉が叩かれた。不意を突かれた俺は身体を固くする。
「……なにか用か?」
俺は務めて平静を装いながら来訪者に応えた。
「ちょっとー! 早くしてよ! こっちだって限界なんだから!」
来訪者は妻だ。その声に余裕は全く無い。しかし俺もここを譲るわけにはいかない。
「あ、あと少しだけ待ってくれ。まだちょっと……」
「私だってお腹痛いのよ! もう! だからこの時期の見切り品なんて買うの止めようって言ったのにぃ!」
「そうは言ってもだな、お前だって美味しそうって……イタタタ」
痛みに目の前が真っ白になり、気が遠くなりかける。同時にゴロゴロと激しい音をたてて、俺の腹の奥底は激しく揺さぶられた。滝のような脂汗が流れ落ち、トイレの床を叩いた。
必死の形相で俺は両手を強く結び、つぶやいた。
『神様、見切り品はもう買いません! だからお腹の雷をどこかへやってください!』と。
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