少女、アニー
アニー。
孤児院の新設当初は最年少だった彼女も、今や9歳。
少しおてんばなくらい元気で、生命力にあふれる、かわいい女の子。
彼女は今、息も絶え絶えに、横たわっていた。
「アニー…」
どうして、こんな姿になってしまったのか。
たった二週間。研究に追われ、二週間孤児院に来なかっただけなのに。
アニーは驚くほどに痩せほそろえている。
「お姉ちゃん、ごめんね…」
アニーの声はあまりに細く、マリベルの心をぎゅっと締め付けた。
「何、どうしたの。どうしてこうなるまで…。」
「俺のせいだ、俺の…。」
マーシュが部屋の隅で、頭を抱えている。
一体何が起こったのか、問い詰めたい気持ちもあるが、今はそれどころではない。
「とにかく、状況を教えて!アニーはいつからこの状態なの!?食事はとっていなかったの?」
「なんですか、騒がしい。」
珍しく、普段は子供のことに一切口を出さないシスター長たちが顔を出した。
「あら、この子。何故屋根裏から出したんです?病気だから隔離していたのに。」
シスター長の言葉に、マリベルはピクリと反応した。
「…病気?」
「えぇ。10日ほどまえに風邪をひいてね。他の子供に移しちゃいけないから、屋根裏に隔離してたんですよ。勝手に連れ出さないでくださいます?」
ほんとうに、やだやだ、などと他のシスターたちも相槌を打つ。
「来週、法王が王都に来られるんですよ。子供たちの病気を法王に移さないように、配慮したんです。」
なるほど。普段子供に干渉しないシスターが、わざわざ出てきた理由はこれか。
マリベルは怒りで顔をひきつらせた。
「これがただの風邪の訳がないでしょう!なぜこうなるまで放っておいたんです!」
「放っておいたわけではないですわ。食事は運んでましたもの。」
(食事は運んでいたって…つまりそれ以外はなにもしなかったという事でしょう…)
心の底からふつふつと、シスターたちに対する怒りが湧く。
しかし、それをぶつける時間すらもったいない。
マリベルはシスターたちに背を向け、アニーの診断を始めた。
(熱は…高いわ。何度かしら。おなかの張りはないわね…まずはビタミン剤を打って体力を上げないと…)
「ちょっと、ですから、その子は屋根裏部屋に、」
「うるさいです、少し黙っ…」
「あなた方のしようとしていることは、人殺し、ですよ。」
マリベルの言葉を遮ったのは、いつもは大人しいフレアの声だった。
薬学クラブのメンバーが、マリベルを心配しついてきてくれたのだ。
「人殺しだなんて、」
「助かるべき命を、助けずに見殺しにするのは、人殺しと同意です。」
凛としたフレアの態度。
「あきれますね。貴方、貴族だからといって私たちを侮辱するのですか?」
1人のシスターが吠えた。
「これは教会の教えなのです!人の命は神が定めたもの。病気で死ぬのも神の定め。医者だなんだと得意げになって、運命を曲げようだなんて、おこがましいですわ。」
「それなら、医学というものをこの世に生み出したのも神の定めでしょう!『運命』だのなんだのと理由をつけて、少女を見殺しにしようとしたあなた方に、医学の邪魔をする権利はありません!」
到底普段のフレアからは想像のつかない張りのある大きな声に、シスターたちの数人はひるんだが、後ろからゆっくりとシスター長が口を開いた。
「本当に、何もわかっていないお嬢さんですね。その子の病気が法王に移ったらどう責任を取るつもりですか?法王は、一番神に近い存在。法王の命に比べれば、人間の命など軽いものです。」
「命が軽いかどうかはあなたが決めることではありません!」
威圧的なシスター長の言葉にも、フレアは態度を崩さずにきっぱりと言い切った。
「それに、お爺様はここには来ません!今回のことも、しっかりとおじ…法王へ報告させていただきます。」
当然マリベルたちは知っている。
フレア・ギルドラッシュ。ギルドラッシュ公爵の妻、つまりフレアの母は、法王の娘である、という事を。
しかしこの事実を知らないシスターたちは、明らかに狼狽した。
「そんな…でも、私たちは間違ったことなど…」
「邪魔をするなら、さらに法王から、きつく処罰を受けることになるでしょう。さっさとここを立ち去って、お得意の祈りでもして過ごしたらいかがですか。」
フレアの言葉にシスターたちのざわめきは止まった。
そして一人、1人と静かに部屋を去っていく。
最後に、シスター長だけが、フレアに一言ぶつけた。
「医学は教会の教えに背くこと。法王の血を引くというのなら、なぜあなたがそれを肯定するのか、理解しかねますね。」
そんな会話が背後で繰り広げられる中、マリベルはただただ焦っていた。
(体が衰弱しきっている…確かにビタミン剤を打つほかないけれど…病原菌がわからない。ビタミン剤が病原菌を活発化させる可能性だってある…)
「お姉ちゃん、」
アニーは、いつも饒舌なその唇を薄く開き、今にも消え入りそうな声を上げた。
「私は、大丈夫、だから…ミミを、見てあげてほしいの…。」
「ミミ?」
孤児院で飼っている白猫、ミミ。
アニーの隣で、ぐったりと寝転がっている。
「ミミが…私の病気が移っちゃって…」
元野良猫とは思えないほどの、真っ白な毛並みをしたミミだったが、今はアニー同様に痩せほそろえ、毛も抜け落ちぼさぼさになっている。
(動物の毛が抜ける…?これって、)
ミミの体を丁寧に、ゆっくりとひっくり返す。
(嘘、でしょ、)
「これ…」
「この痣…」
薬学クラブのメンバーも、ミミの病気、そしてアニーの病気を察した。
ミミのおなかに浮かび上がる、黒い痣。
次々に広がったのだろう。今では花が開いたような形になっている。
「開花病…なんで…。」
恐る恐るゆっくりとアニーの服、まだ見えていなかった、背中の部分をめくった。
「…アニー…」
そこには確かに、ミミと同じ、黒い花が咲いていた。
そこからの事は、正確にはマリベルも覚えていない。
『開花病には特効薬がない』
マリベルや薬学クラブのメンバーは、間違いなく最善を尽くした。
しかし、二時間後。
アニーとミミは静かに、穏やかに、眠りについた。
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