開花病
マリベルが目を覚ましたのは朝だった。
まだ頭の端がぼんやりとする中で、あたりを見回す。
大きなベッドの横には、頭を突っ伏してローディスがすぅすぅと寝息を立てていた。
その手の甲。指の付け根の所が、赤く血がにじんでいる。
昨晩、薬を飲まされた後の記憶はぼんやりとではあるが覚えてはいる。
自分にまたがるアランを蹴り飛ばしたローディスの顔。
珍しく怒りに狂っている様子が、一目でわかった。
(どうして…)
どうしてここまで好かれているのかはわからない。
でも悔しいかな。ものすごくかっこよかった。
(何も考えなくてよければ、好きになってたでしょうね…)
「おはよ。起きてたんだね。」
部屋に入ってきたラキオスが、カットフルーツを差し出しながら言う。
時刻は8時。動くにはちょうどいい時間だ。
「ありがとう。今日はゴメ…ゴーメロッシュ皇子に面談を申し込みたいところだけど。あと、昨日買ったお菓子を持って裏道の方にも…」
「あー、うん…あのさ、」
気合の入ったマリベルに、申し訳なさそうにラキオスがつぶやく。
「…マリベル、そんな時間はないよ。」
「え?」
「君、一日半寝てたから。もう二時間後はチェックアウト、帰国だよ。」
「…嘘でしょ…。」
ゴルガラ帝国での貴重な一日。改めてシャルルへの恨みが高まる。
「まぁゴーメロッシュ皇子とは、昨日俺が話しておいたけど…多分、欲しい情報は手に入っったんじゃないかな…。」
「ゴーメロッシュ、皇子、かぁ…。」
ラキオスの口からそう言われると違和感を感じる。
「ゴメロスが、皇子とはねぇ…」
「本当にね。」
ゴーメロッシュ・ガルドラ。
パーティーでガルドラ帝王の後継者として彼が出てきたときは、二人して呆然とした。
その姿が、あまりにも見覚えのある姿。
孤児院にいた、『ゴメロス』だったからだ。
ゴメロスの家族が迎えに来て、孤児院を去ってたのは5年前。
それから連絡がないので心配していたが…まさか北国で皇子になっていようとは思ってもみなかった。
「まぁ、助かったね。いろいろ情報も入ったし。」
「うん。でももう少し話したかったわ。あの子、皇子だなんて大丈夫なのかしら。」
「あぁ、伝言あるよ。『昔から要領はいいから心配するな』って。」
マリベルたちの3歳下。
なんだかんだと言い訳をつけて、孤児院の家事から逃げて、かと思えばマリベルにいたずらを仕掛けてくる悪ガキだった。
「…まぁ、確かに要領はよかったわね。」
帰ろうとするマリベルたちを見送りに来たゴーメロッシュは、確かに『皇子』という言葉がよく似合う。
「またお会いしたいですね。」
にっこりと完璧な皇子スマイルを作り、ラキオスに手を差し出す。
「…そうですね、」
ラキオスは未だへたくそな貴族スマイルで答える。
「これまでは戦争だらけの国でしたがね、今度からは隣国との友好を深めようと思っているのでね、王子がきてくたださって、感謝しております。こちら、つまらないものですが、我が国の名産ですので、ぜひお持ち帰りください。」
ガルドラ帝王が胡散臭い笑みを浮かべ、ローディスの馬車に積み込んだのは、ハクランの蜜の瓶。
「今後は他国との貿易も力を入れていきたいと思っておりますので、挨拶にお伺いできればと思っております。」
そんな父親を見て、ゴーヴィッシュは皮肉気に笑いながら、マリベルにも手を伸ばす。
つないだ手にぐっと力を入れると、マリベルを引き寄せて抱き寄せる。
耳元に、ゴーヴィッシュの唇が当たった。
「ちょっ、」
批判しようとするローディスを前に、
「すいません、初恋の人に似ていたのでつい。」
ふふふ、とゴーヴィッシュは笑って見せた。
帰りの馬車は、怒り心頭のローディスが、シャルルとアランの馬車に乗るのだという。
2人に処罰を与えるのだとかなんとか言っていたが、マリベルとしてはあまり大ごとにはしてもらいたくはない。
2人の事は許せないが、刺激したくもないという、微妙な心情だ。
「んで、ゴメ…ゴーヴィッシュ皇子、なんていってた?」
「え?」
「…最後、何か耳元で行ってたでしょ…?」
「いえ、何も?頬に口づけされただけ。」
「は?」
マリベルの返答に、ラキオスは手にしている手紙を握りしめた。
「いや、ちょっと、何その手紙。」
「…ゴメロスから預かったんだけど…君宛にって…。」
ラキオスは不機嫌そうに、マリベルに手紙を渡す。くしゃくしゃである。
「何よ、預かり者ぐしゃぐしゃにしないでよね。」
そんな二人を見ながら、ケニックとフレアは微笑ましく笑みを浮かべ、マリベルが屋台で買ったドーナツを食べている。
手紙、とは名ばかりの短い文章。
「…ハクランの蜜が開花病の原因。蜜が毒である。」
ポトリ、と目の前の二人が顔を真っ青にしてドーナツを落とした。
「あ、大丈夫ですよ、続きがありますから。」
『一日に大量の量を摂取しても、二日おきに大量の量を摂取しても、毒にはならない。
ただし、ほんのわずかでも毎日摂取すると、10日前後で開花病を発症させる。』
「なるほど…。」
それならば、先ほど『友好うんたらかんたら』といいながらガルドラ帝王が渡してきたものは、毒だということだ。
未だに一筋縄ではいかない国だということだろう。
「きっとハクランの蜜が取れるガルドラ帝国では、それを毎日食べると開花病になるということをわかっていながら、発表していなかったっていう事ね。」
「…だから屋台のおじさんも、息子にはドーナツを食べさせなかったんだろうね…。」
「これまで、ガルドラ帝国との貿易は禁じていたから、被害が少なくて済んだのがまだ幸いっていうところかしら。何の情報も得ずに貿易が再開されていたら、ハクランの蜜の影響で開花病患者が激増するところだったわ。」
それでも未だに謎は多い。
これまで開花病で命を失ったもの…マリベルの母や、スラム街の子供、花街の女性たちが、そもそも王国では手に入らないはずのハクランの蜜を、なぜ毎日食べることになったのか。
「まだまだ調査が必要だね。」
ラキオスの言葉に、小さく頷く。まだまだ忙しい日々は続きそうだ。
「それにしても…そんな国で、ゴーメロッシュは大丈夫なのかしら…。」
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