賢者

(逃げなきゃ、早く…)

頭ではそう思っているのに、体はピクリとも動かない。


アランは楽しげに、唇の端を上げて、マリベルの首筋に顔をうずめた。


「ん!ぁ…!」

ただそれだけ。アランの唇が首筋に当たった、それだけで、マリベルの体がビクン、と跳ねる。


(いやだ…いやだ、いやだ、)

気持ちが悪い。心は間違いなくそう思っているのに、体は間違いなく快感にしびれている。

そんな自分がさらに気持ち悪い。


「…乱暴にはしない、」

アランの手がゆっくりと太ももを上がってくる。

「や、め…」

いやだ、いやだ、いやだ…


抵抗できない体に涙が浮かんだ。






人生で初めて、『モテ』を体験しているラキオスは、女性に囲まれながら冷静に思った。


異国の男性、というのは、この国ではそれだけでモテる対象なのかもしれない。

それともこれも、マリベルがいう『色仕掛け』なのだろうか。

少しでも他国の情報を仕入れようと、気に入られようとしているのかもしれないな、と。


(…色仕掛け、か…)

こちらとしても、ありがたいお話である。


マリベルが望む情報が手に入るのならば、と、いかにも派手な女性をダンスに誘った。

「私を選んでいただけるなんて、とても嬉しいですわ。私、あなたのようなアンニュイ男性に弱いの。」

予想通り、その女性はとてもおしゃべりで、ダンスの間ずっと声をかけてきた。


「ねぇ、この後、私の部屋でお茶でも飲みませんこと?」

挑発的な瞳を向ける女性に、ラキオスは小さく頷いた。




『性行為』というものを体験したことはない。

きっかけもなかったし、特段興味もなかった。

(まぁでも何とかなるよね…)


部屋に入るや否や、手を引かれ、ベットに連れていかれながら、ラキオスは思った。


(少しは本で得た知識もあるし…行為の後のほうが口が軽くなるんだっけ…?)


女性は慣れているのか、てきぱきと自らのドレスのボタンをはずしていく。

ラキオスも、まずシャツを脱ぎ捨てて、ズボンのベルトを外す途中に、まずい、と気が付いた。


…この状態じゃ、絶対に不可能。

そう思わざるを得ないほどに、ラキオスの男根は一ミリも反応していなかった。


「…素敵な、部屋、だね…。」

何とかしなければ。話をはぐらしながら、時間を稼ぐ。

「えぇ。ゴルガラ帝国が準備してくれたの。」

「そうなんだ、」

強くそれをさすってみても、反応はまるでない。


「…ん、あれ?…君、ゴルガラ帝国の人じゃないの?」

「違うわよ。西国の貴族なの。今回は客人で。」

「あ、そうなんだ。」


ラキオスは即座にズボンのチャックを上げた。

「ごめん、急用があったんだった。また後で。」

帝国民でないのなら、情報を聞き出すも何もない。

反応しない男根のおかげで、チャックはすんなりと収まって、シャツを手にしてベットを降りた。


「え?は?」

「ごめんね、本当に、ごめん。」

呆然とする女性をおいて、逃げるように、部屋を出たのである。


(ふぅ、無駄なことするところだったな…)

シャツを羽織り、整えながら廊下を進むと、奥の部屋からシャルルが出てくるのが見えた。


(パーティー好きがパーティーを抜け出すだなんて、珍しいな…)

ただ、そう思っただけのこと。

シャルルが部屋の鍵を閉め、ポケットに入れて去ろうとする姿をぼんやりとみていると、自分のすぐ横を、ローディスらしき人物が駆け抜けていった。


「シャルル!」

ローディスらしき、と思ったのは、あまりにもその表情や声色が、普段と違いすぎたからである。

普段は穏やかなぼんくら王子のイメージしかないローディスが、眉間に皺を寄せ、怒りをあらわにシャルルに詰め寄ったのだ。


「マリベルをどこにやった!!」

ローディスの後を追って、息を切らせながらケニックとフレアが来る。

「なんですの、急に…!知りませんわよ!」

「マリベルさんと一緒に、会場を抜けられたじゃないですか…!」

フレアの言葉に、シャルルは顔を背ける。

「い、一緒にお手洗いに行っただけですわ!後のことは知りません!」

「部屋を開けろ!」


ローディスは明らかに焦っていた。


「なんですの!いくら王子だからって、そんなの、」

「部屋を開けろと言っている!!命令だ!!」

今すぐ人でも殺しそうなほどの恐ろしい表情を浮かべたローディスがシャルルの胸ぐらをつかむ。


シャルルがおびえ、言葉を失っている最中に、ラキオスは素早くシャルルのポケットからカギを取り出した。


飛び込んだシャルルの部屋は暗い。

「は…ぁ、ん」

荒い息遣いと甘い声が、奥のベッドから聞こえ、ラキオスは躊躇した。


ベッドの方を見るのが、怖かった。


しかしローディスは迷わずベッドへ駆け寄ると、マリベルにまたがるアランを思いっきり蹴り倒した。

そのままベッドから転がり落ちたアランに馬乗りになり、聞いたこともない低い声で

「何をしてる」

と詰め寄る。


ようやくラキオスも恐る恐るとベッドへ近寄り、マリベルの姿をみて、安どのため息をついた。

(よかった、無事だ…)

辛そうにしているが、衣服の乱れはない。


まだそれが『未遂』で済んだこと。

マリベルが傷つかずに済んだことに、深く感謝し、マリベルを抱き寄せる。


「あ、ちょ、んん・・・」

マリベルは力なくぐったりとしているのに、顔は赤く、呼吸も荒い。

抱き寄せた手を少し動かしただけで、ビクリと体をはねさせた。


「…媚薬か…。」

マリベルがうなずくように目を伏せた。


「何をしようとしてたんだ、お前は!」

ローディスはきつく眉を吊り上げたまま、アランを見下す。

「…その女が、誘って、」

ガツリ。


アランの言葉を遮るように、ローディスがアランの頬を殴る。


ガツン、ガツン、と、そのまま無言で三発。

「もう、やめとけ。」

四発目を殴ろうとした手を、ケニックに止められると、震える息で何度も深呼吸をして、こちらを振り向いた。


「マリベルを僕の部屋に連れて行って。お願いできるかな、ラキオス。」

その表情はいつものように、人の好さがにじみ出る、穏やかなものだった。




ローディスの部屋の、大きなベッドに移されたマリベルは、苦しそうに荒く呼吸を続けていた。

目には涙を浮かべ、時々もだえるように体を小さく震わせる。


(本当に、男って生き物は…)


ラキオスはつくづく自分が嫌になる。

こんな大変な状態で。マリベルがつらそうにしているにもかかわらず。

その様子を見ているだけで、先ほどはちくりとも反応しなかった股間が、硬くうずいてしまうのだ。


「媚薬か、やっかいだな。媚薬用の解毒剤なんて、持ってきてないしなぁ。」

ケニックは避けているのか、ベッドから遠い位置、マリベルが見えない部屋の隅から声を上げる。

「…どうすれば治るんですっけ…?」

やたらと椅子に深く腰掛けたローディスが、うなだれたままに問う。


股間の状況は同じようだ。


「解毒剤がないなら、性を抜くしかないだろーな。」

「わかりました、それじゃ僕が。」


さらっと言ってのけたローディスに慌てて反論する。


「…え、だめでしょ。君婚約者いるし。」

「でも僕しかいないから、うん。そんなこと言ってる場合じゃないしね。」

「いや、俺もいるから。俺婚約者いないから。」


いつになく早口なラキオスに、ローディスはあくまで穏やかに笑みを浮かべた。

目は少しも、笑っていなかったが。


「でも…ほら、ここ、僕の部屋だしね。」

「バ…ク…」

マリベルが体をよじらせながら、何やらつぶやく。

本当に辛そうだ。


(マリベルが望むなら、ローディスに任せるけど…)


ここ最近のマリベルは明らかに、ローディスを避けている。

そのことを知っているからこそ、どうしても譲るわけにはいかない。


「…部屋は、君が部屋使ったらいいだけじゃん…」

「よし、腹の探り合いはなしにしよう。」


ふぅ、とローディスがため息をつく。


「僕は、マリベルが好きなんだよね。マリベルをこのままにはしていられないし、それならせめて好かれてる相手のほうが、マリベルだっていいにきまってるでしょ。」

「俺だって、マリベル好きだし…。」

「君の思いと一緒にしないでほしいな。」

「な、何が、」

「僕は、マリベルを愛してるんだ。君は愛してるって言える?言えないよね。」


(どうしてこの王子は…)

こうもまじめに、『愛してる』なんて言葉をさらりと言ってのけれることができるのか。


「お、俺だって…」

あ い し て る

たった五文字。されど五文字。

普段、羞恥心などほとんど持たないラキオスですら、言葉にするのは気恥ずかしい。


「はい、言えないね。僕のほうが気持ちが大きいってことだよ。わかったら、ほら、ケニック先輩と部屋出て行ってくれるかな?このままじゃマリベルがかわいそうだろ。」

「…ク、バ…」


マリベルは言葉にならない声を上げ、相変わらず息苦しそうである。


「待って、俺、俺だって、あ、あい、」


「どいてください!」

フレアがバッグを抱えて、二人を突き飛ばしベッドへ駆け寄る。

「はい、バッグ持ってきましたよ!この中…これ?これですか?あ、お水もありますから。」

コクコク、とフレアの言葉にうなずくマリベル。


「え?」

「…ん?」


2人の男性の視線が、フレアへと集中する中、フレアは何やら薬剤をマリベルの口に運ぶと、水を飲ませた。


「解毒剤です!流石マリベルさん、用意周到ですね!さっきからバッグバッグって、何度も繰り返してましたもんね。」


マリベルは水を飲むと、そのまま静かに眠りについた。


「あぁ、うん。」

「…それはよかった。うん、本当に…。」


そういうローディスとラキオスの顔はとても穏やかで、まるで賢者のような顔をしていた。





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