二章・悪役令嬢を断罪…しませんけど?(死にたくないので)
望まぬ運命
(どうしてこんなことになったのか…)
貴族学園入学初日、マリベルははぁ、と小さくため息をついた。
「ねぇ、あれって聖者マリベル様よね。」
「えぇ、元王から直々に命を受けたっていう…」
周りの生徒がひそひそと、噂話をしながらマリベルに視線を向ける。
「最年少の医学博士でしょう?」
「中身だけでなく、見た目も美しいのね。」
お世辞にも、マリベルは以前と比べると『美人』とはいいがたい。
目の下のクマは必死にファンデーションで隠しているし、髪だってセットする時間がないので、無造作に一つ結びしているだけである。
生徒たちによって、思いっきり『美化』されてしまっているのだ。
(勘弁して欲しい…)
目立ちたくない。平穏に研究をしたいだけなのだ。
それなのに元王のせいで、マリベルは『聖者』呼ばわりされ、周りは好意を込めた視線を送ってくる。
人々の視線を避けるために、足早に移動しようとしたのがいけなかった。
どん、と廊下の角で、人にぶつかってしまった。
「あ、ごめんね。」
(やってしまった…)
顔を見らずとも、相手はわかる。
もっと慎重に行動するべきだった。
入学式の後、一階の角でぶつかった人物といえば…
「あぁ、君!聖者マリベル!以前もこんなことあったね。」
にっこりとほほ笑むその美しい顔。
ローディス・フィルドールの笑顔は、マリベルを凍らせた。
「あ、あぁ…ローディス様、申し訳ございません、わ、私はこれで。」
出会いたくない人物。であってはいけない人物。
マリベルは慌て顔を伏せ去ろうとしたが、ぱっと手首をつかまれる。
「まって、マリベル!僕、君と話がしたかったんだ。」
一目さえなければ、マリベルは迷わずその手を振りほどいていただろう。
「すごいよね、医学博士なんだろう?どうやって勉強したの?」
キラキラキラ、と向けられた瞳には明らかに『興味』と『好意』が込められている。
「見て、ほら、王子と聖者様よ!」
「美しい組み合わせね。優しい王子としっかり者の聖者様、性格もピッタリだわ。」
周りのその声が聞こえた瞬間に、反射的にマリベルは手を引っ込めた。
「わ、私、急ぎますので!!」
不自然、だっただろう。それでも急ぎ、その場から立ち去った。
手を振りほどいた瞬間の、ローディスの少し寂しそうな顔が視界の端に映った。
愛してくれた人。たくさんの涙を流しながら、マリベルの死を嘆き悲しんでくれた人。
それでも、ごめん、ごめんなさい。
(あなたと関わって死ぬのはまっぴら…!)
心が、ずきずきと痛んだ。
急いでいたのは本当である。
マリベルにとって、学園で学ぶ経済学にも帝王学にもまるで興味はない。時間の無駄だ。
貴族学園に通うのは貴族の義務。
この義務さえなければ、学園に来る意味なんてないようにマリベルは感じていた。
それでも一つだけ、この学園生活に対する楽しみはあった。
マリベルが走り向かったのは、大きな温室である。
「素晴らしいわ…!!」
温室の中には、多数の植物。
どれも『薬』に使うための植物である。
奥には研究室もある。
医学博士の師匠とともに、よく父の職場である、王宮薬学研究室に向かっていたが、ここの研究室も王宮研究室と同じだけの設備が整っている。
王宮研究室とは違い、人に遠慮せずに使用ができるというだけで、マリベルの心は踊った。
「遅かったな、マリベル!」
奥の研究室ではこの10年間、よく見知った顔がある。
「よろしくお願いいたします、ケニック様!」
ケニック・ロングビア。
マリベルの師匠である、ロングピア伯爵の子息。
赤紫の髪に、褐色の肌。南方領土の出身ならではのその姿は、少し異色だが、男らしく爽やかな青年だ。
マリベルの一つ上にあたるケニックを、マリベルはこの10年間、本当の兄のように慕ってきた。
「聖者マリベル様がきてくれたら、薬学クラブも安泰だな。今年は俺一人になって、どーしよーかと思ってたんだが。」
「ケニック様、やめてくださいよ。聖者だなんてとんでもない。」
にかぁっと笑うケニックに、ため息をつく。
「でも本当のことだろ?新入生2人も連れてきてくれて、薬学クラブの救世主ってとこだな。」
「2人?」
ぱっと振り返ると、いつの間にか、背後には二人の新入生がいた。
うち一人はよく知る顔。ラキオス。ラキオス・ゴーヴィッシュである。
「…久しぶり。」
「お久…ぶりね…。」
養子に入っても、彼は変わらない。
相変わらずのぼさぼさな髪と、目の下のクマ。
ひょろっと身長はさらに伸び、以前よりも細長さが増したように思える。
(ラキオスって薬学クラブだったのね…)
前の時間軸では、全く接点がなかったので気が付かなかったが、彼らしいといえば彼らしい。
「あ、あの、はじめまして、聖者様。」
もう一人はマリベルの肩ほどしか身長のない、とても小柄な女性である。
「聖者はやめてください、フレアさん。」
フレア・ギルドラッシュ。まるで幼い子供のような体系に、茶髪の三つ編み。大きな眼鏡。
ギルドラッシュ公爵令嬢でありながらも、控えめで、大人しい人物だと記憶している。
(でも、ギルドラッシュ公爵家って、たしか…)
「あ、もう一人いたか。すごい新入生が。」
ケニックの言葉とともに、その人物は温室に入ってきた。
「あ、マリベル!君も薬学クラブだったんだ。」
(…何故…)
その輝く笑顔に、頭を抱える。
「これからよろしくね!」
その人物、ローディス・フィルドール。
(前の時間軸では乗馬クラブのはずでしょう…?)
間違わるわけがない。マリベルもその時は、追って乗馬クラブに入部したのだ。
「すごいね、今日一日で偶然二回も会うなんて!まるで運命だね。」
(…そんな運命はいらない…)
マリベルは心の中で、小さくため息をついた。
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