聖者爆誕…?
暗闇に光る、青狼の赤い瞳。
その瞳はまっすぐこちらをとらえ、そしてゆっくりと口が開かれる。
すべてをかみ砕いてしまいそうな、大きく鋭い牙。
逃げてることなんてできないと、絶望に染まる。
やがてその牙は首元に突き刺さる。
痛み、なんてものじゃない。
一瞬とてつもなく熱くなり、体の感覚がすぐになくなった。
わずかに感じるのは首から流れる血のぬくもり。
ぽたぽたと落ちる涙の冷たさ。
視界はゆっくりと暗くなる。
自分は抜け殻になるのだ。
「いやだ!」
ガバっとマリベルは起き上がった。
「いやだ、怖い、嫌だ!!」
心の奥から、体が震える。
「マリベル、どうしたの?怖い夢でも見た?」
父もあわてて起き上がり、ぎゅっとマリベルを抱きしめた。
ぽん、ぽん、ぽん。
ゆっくりと背中をたたいてもらうと、恐怖に包まれていた心が少しずつ冷静を取り戻す。
(暖かい…怖くない…)
大丈夫、大丈夫だ。
(私はここにいる。生きてるんだ…。)
父の背中をぎゅっと強くつかむ。
(お父様も生きてる…大丈夫、大丈夫…)
「…お父様、何故私のベットに…?」
父のぬくもりは、無条件にマリベルに安心を与える。
少し冷静に頭も回ってくる。
「…えっと…寂しかったから…」
「…そうですか…」
少し落ち着いてきたところで、自分の首に手を当てる。
(大丈夫、大丈夫だ…)
当然傷はない。血も流れていない。
「お父様、」
それでも声は震えていた。恐怖から、いつの間にか、目からは涙がぽろぽろこぼれる。
「お父様、私死にたくないわ。」
「当たり前だよ。僕もマリベルに死んでほしくないよ。」
父の優しい声に、自然に睡魔が襲ってきた。
「それにお父様にも…死んでほしくないの…。」
このぬくもりを離したくない。
「もう二度と、おいていかないで…」
「…マリベル?」
(王妃になんてならなくていい。)
うとうとと、再び眠りにつきながらマリベルは思う。
(一生シャルルにいじめられてもいい、馬鹿にされ続けてもいいわ。)
顔を寄せた父の胸からはトクトクと鼓動が聞こえる。
(お父様が死なずに済むのなら…私も殺されずに済むのなら…)
「お休み、マリベル」
(それでいい、それだけでいいわ…)
あんなに怖い夢を見たというのに、目覚めは爽快だった。
改めて、目標が見つかったからだろう。
隣ではくぅくぅと父親が寝息を立てている。
「お父様。」
「ん、マリベル、おはよう。」
うっすらとたれ目を開ける父親に、開口一番言わなければならないことがある。
「いくら寂しくても勝手に娘のベットに忍び込むのはどうかと思います。」
「え、嘘、すんごい元気になったね。」
マリベル・バレリー、8歳。
前の時間軸での彼女の目標は、こうだった。
『聖者マリーや母親のような、立派な聖者になること。』
『あわよくばシャルルから婚約者を奪ってやること。』
しかし、昨晩改めて、180度マリベルの目標は変わった。
『青狼に殺されないこと。そのためにシャルルには関わらないこと。』
『父を病死させないこと。』
一つ目は行動次第でどうにかなりそうだが、二つ目はなかなかまだめどが立たない。
なんせ父の死因は、原因不明といわれている『開花病』なのだ。
「お父様、今日から私を、お父様の研究室の見学に連れて行ってください。」
父は王宮研究室で、医学の研究をしている。
「いいけど…どうしたの、急に?」
「お父様、私、」
目標は、はっきりと見定まっているのだ。
「医者になります。」
「…医者…?」
医者になって、父の病気を治す。
『開花病』の治療薬を見つけてみせる。
それから。
マリベルの人生は以前の物とはがらりと変わった。
父の紹介で、医学博士に弟子入りし、朝から夕方まで医学博士の元で働いた。
夕方からは孤児院で、いつものように掃除と洗濯。
夜は寝る間を惜しんで、医学や薬学の本を読み漁った。
平均睡眠時間は4時間。
スラム街や花街で『開花病』の発症が確認されると、その睡眠時間すら削って駆け付けた。
そんな生活を何年も過ごし、マリベルが14歳になったある日、彼女は王城へ呼ばれた。
王の隣にはなぜか、花街で何度か見かけた『エロ老子』というあだ名の老人がいた。
そして何故かその老人がマリベルに医学博士の免許を与えた。
エロ老子は言った。
「病人のために、朝から晩まで走り回るその姿。まるで聖者のようだな!」
エロ老子…というあだ名の老人は、王の父親。
つまり、元王。
図らずもマリベルは、元王の命により、『医学博士』と『聖者』の称号を手に入れたのであった。
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