青狼の飼い主

 孤児院での仕事を終わらせて、ぐったりとしたマリベルが家にたどり着いたときには、すでに日は暮れていた。

 家の前に豪華で大きな馬車が止まっているのが見えて、ますますぐったりと疲れが襲い掛かる。


 「あ、マリベル。遅いよー。シャルルちゃんが応接室で待ってるよ?」

 「…でしょうね。」


 この家に不釣り合いな大きな馬車で来る知り合いといえば、彼女くらいしかいない。


 学校に入学する前まで、シャルルは約束もなく突然マリベルの家を訪ねてくることがよくあった。

 意味などない。何やらただただ嫌味を言うためだけに来るのだ。


 まっすぐに応接室に向かうが、シャルルの姿はなかった。


 (またか…)

 突然やってきては、暇だと言って自由に家中を徘徊する。

 なんどもやめてくれと注意したが、男爵令嬢のマリベルの注意など、シャルルの耳には届かないらしい。


 リビング、両親の部屋、キッチンとシャルルを探し、ようやく見つけたのはマリベルの部屋だった。


 「あら、遅かったわね。」

 勝手に引き出しまであけたらしい。

シャルルの手には、マリベルが大事にしている、口紅が握られていた。


(あぁ、こんなことあったわね…)




前の時間軸での話である。


「やだ、勝手に触らないで!」

マリベルは過剰に反応し、シャルルの手から口紅を取った。

「なによ、少しくらいいいじゃない。お母様には黙っててあげるから。」

「え…?」

シャルルの言葉はしばしマリベルの理解を超える。

「マリベル、その口紅、私のお母様のものでしょう?うちに来た時に盗んだの?」

「何言ってるの、違うわよ。これは私のお母様が使ってたものよ。」

「ふーん、じゃああなたのお母さんが盗んだんだ?」

「はぁ?違うわよ!」

 

シャルルがさらっと信じられないことを言うので、マリベルは珍しく声を荒げた。


「だって、それゴッシュ&クリアルの製品よ?高級化粧品屋で、私のお母様がひいきしてるところ。男爵令嬢夫人が買えるような代物じゃないんだから。」

「それは、しらないけど…」


何故母が、高級化粧品を持っていたのかなど知らない。

でも母が盗みなどしないということは、自信をもって言い切れる。


「まぁいいけど、今後は絶対盗みなんてしないでね。王妃のいとこが泥棒だなんて噂が立ったら最悪だわ。」

「だから盗んでないってば!」

「あんたのお母さんも可哀そうよね、本当。」


シャルルはまったく、こちらの言い分を聞こうともしなかった。


「知ってる?あんたのお母さん、元々は私のお父様の婚約者だったのよ。でもお父様は妹である私のお母様と恋に落ちて、あんたのお母さんは捨てられたの。」


その話は、なんとなく、噂話で知ってはいた。

母が、元々は宰相の婚約者だった、と。


「それでやけになってその辺の白男爵と結婚して、生まれたのがあんたってわけ。本当、可哀そうよね。化粧品もろくに買えずに、病気で死んでいくなんて。」

「だから、お母様は可哀そうなんかじゃ、」

「なんであんたがそう言えるの?」


シャルルの言葉に、マリベルはぐっと唇をかみしめた。


だって、お母様は幸せそうだったもの。

いつも幸せにほほ笑んでいたもの。


「聞いたことあるの?『お母様、今幸せですか?』って。」

「それは、」

「あんたがどう思おうと、普通に考えて、あんたのお母さんは可哀そうよ。でも仕方がないわよね。お父様に愛されるだけの魅力がなかったんだもの。学生時代から偽善者ぶって、慈善活動ばかりしていたらしいわよ。あんたと一緒ね。」


何を言おうが、シャルルには届かない。

(それならわからせてやるわよ。お母様の生き方がけして可哀そうなんかじゃないって。)


そのころからだ。

マリベルがそれよりもさらに慈善活動に力を入れるようになったのは。

母のように生き、幸せになってやる、と。


(ねぇ、もしそれで、私が王子と恋に落ちても、仕方がないわよね、シャルル)

8歳のマリベルは、心に決めたのだ。

(愛されるだけの魅力がなかったんだもの、ね。)




 「マリベル、どうしたの、ぼんやりして。」

 前の時間軸を思い出すマリベルを、シャルルはふん、と鼻で笑った。

 「泥棒がばれて動揺しているの?いいわよ、お母様には言わないであげる。」

 「…そうですか。」


 盗んでなどいない。だがそう反論しても、無駄だということもわかっている。


 「何よ、ずいぶん張り合いがないわね。」

 シャルルは本当に興味がないのだろう。ぽん、と口紅をこちらに投げた。

 「つまんないわ。来るんじゃなかった。家でペットと遊んでるほうがましだったわね。」

 「…ペット?」


 マリベルの記憶によれば、シャルルは動物があまり好きではなかったはずだ。

 ペットなど飼っているはずがなかったが。


 「えぇ。最近珍しい毛色の犬を手に入れたの。青色の毛並みなの。珍しいでしょう?」

 「そ、そうね…。」

 

 青色の犬。嫌な予感がちらりとよぎる。


 「私の為ならなんでもしてくれるペットなの。とても賢くてね。今度貴方にも見せてあげるわ。」

 「…えぇ、楽しみにしてるわ。」

 「身分の高いものへの口の利き方がなってないんじゃない?」

 「…楽しみにしてます、シャルル様。」


 ふふん、と楽し気にシャルルが笑う。

 それからしばらくたわいもない自慢話を繰り広げたシャルルは、ぼんやりとうなずくマリベルに不満を漏らしながら帰っていった。


 シャルルがいなくなった部屋で。

 テーブルの上に、シャルルのハンカチが忘れられていることに気が付く。


 (そういえば、この時手に入れたんだっけ…)

 大きなシャルルの名前の刺繍が入ったハンカチ。


 前は気が付かなかった。


 そのハンカチには青色の、短い毛が付いていた。




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