末永い幸福
2か月後。教会の中庭で、ローディスとマリベルの婚約式が開かれた。
澄み渡る青い空。照らす太陽。小鳥たちのさえずり。
まるで世界が二人を祝福をしてくれているような、そんな完璧な天候の下、指輪を交わし、微笑みあった。
まるで童話の最後のページを再現したようだ。
これからは2人で末永く、幸せに暮らすのだ。
簡潔な婚約式を終えると、そのまま交流会へと移る。
お互いの周りにはあっという間に人が群がった。
「マリベル様、おめでとうございます!」
「本当に美しい!とてもお似合いですわ!」
シャルルやアランの取り巻きを除けば、同年代のほとんどの貴族は大きな笑顔で式を祝った。
しかし、彼らの親世代は違う。
ひそひそ、ひそひそ。
遠巻きにマリベルを見ては、あえての大きな声で噂話を繰り広げる。
「そりゃぁゴーヴィッシュ令嬢もやりすぎだけど…所詮いとこの婚約者を奪ったってことでしょう?」
「しかも男爵令嬢…。これからの王妃教育が間に合うのかしら。」
「王族は彼女を認めていないって聞くわよ。王は今回の件でサイオン様を第一後継者にすると言い出したらしく、王妃ともめているのだとか。」
「奪ったものは奪われる。ただローディス様が浮気性だったって事が証明されただけよ。」
心ない言葉と、悪意漂う視線に、マリベルは目を伏せた。
「気にすることないですわ、マリベル様!」
「そうです!私たちはいつでもマリベル様の味方です!」
「これからは若い者の時代ですわ!」
(よく言うわ…)
マリベルは彼女たちの言葉に、にこりとほほ笑みを返しながら思った。
(私がシャルルたちに囲まれていても、助けてもくれなかったくせに。アランとの噂が流れたときは、同じような視線を向けていたくせに。)
もちろんそんな内心など、ちくりとも表には出さない。
「皆さん、ありがとうございます。」
そんなマリベルのその笑顔を、疑うものなど誰もいなかった。
「…おめでとう、マリベル。」
意外にもシャルルの義兄、ラキオスが声をかけてきて、令嬢たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。
周りに人がいなくなったことを確認し、マリベルはほほ笑むのをやめる。
「そう思ってくれているのなら、もう少し華やかな衣装を着てくれてもいいんじゃないかしら、ラキオス。」
黒のスーツに黒のネクタイ。葬式か何かと勘違いしているのかといいたくなる。
「え、…ごめん…。礼服って、これしか持ってないし…。我が家からしたらおめでたくもない話だしね…。」
ふふ、と軽く笑うラキオスの背中越しには、シャルルの両親、宰相のファリオンととその妻シルクが、鋭くこちらに視線を向けている。
「んで?野望はかなったの?…これで、満足?」
「野望だなんて、人聞きが悪い。」
ククク、とラキオスが笑う。
(…本当に、面倒な男。)
幼い頃からの知り合いで、マリベルの『素』の部分を知っているからこそなお、関わりたくない人物だというのに。
よりにもよってゴーヴィッシュ家に養子に入られてしまっては、切れる縁も切れない。
「へぇ…婚約しても…そのキャラのままなんだ…。」
「キャラって何のことですか?」
敵意を向けてくれば対抗のしようもあるのだが。
彼は昔から口下手で、暗くて、何をしたいのか、何を考えているのかどうも要領を得ない。
「…それで、マリベルは、幸せなの?」
ラキオスはいつになくまじめで、少し寂しげな表情を浮かべながらマリベルに問う。
「幸せですわ。これからも、末永く幸せになりますの。」
答えは、明白である。
聖者なのだ。童話通りに話は進んだのだ。
結末は、『末永く幸せ』以外はない。
「…なら、いい。」
結局何が言いたかったのかもわからないまま、ラキオスは離れていった。
入れ違いにローディスがこちらに向かってくる。
「ごめんね、1人にして。」
ローディスの幸せそうな笑顔は、心底マリベルを安心させるものがある。
「大丈夫?ラキオスに絡まれてない?」
「大丈夫ですわ。ありがとうございます。」
「あ、そうそうちょっと前にラキオスに聞いたんだけどさ、シャルル、修道院に行くらしいよ。君を監禁したことも認めたって。」
「そうですか。」
マリベルはすでに、シャルルにはなんの興味もない。
あのパーティーで今までの恨みはすべて晴らさせていただいたのだ。
「なんかね、それでも、絶対にハンカチを旧校舎に持っていったことはないって言ってるらしいよ。変だよね。そこだけ認めないなんて。」
ローディスの言葉に、動揺を悟られないように、にっこりと笑顔を作った。
「…きっと混乱しているだけでしょう。」
「そうだね!」
(本当に鈍い男…。)
だからこそ、ローディスのそばは安心する。
賢いラキオスはもう気が付いているだろう。
第二王子のサイオンあたりも、この話を聞けば真実に気が付くかもしれない。
『証拠のハンカチはでっち上げである』と。
ハンカチはマリベルが用意した。
証拠が必要だったのだ。どうしても、決定的な証拠が。
そのために、幼いころに、シャルルが我が家に忘れていったハンカチを、利用させていただいた。
(でも、それだけよ)
いじめられていたのも、監禁されたのも事実だ。
マリベルはただ、証拠を一つ、準備しただけ。
「ねぇ、マリベル。明後日は孤児院に行く日だろ?僕も一緒に行っていいかな?」
「あぁ…でも今王妃教育で忙しくて…。もしかしたらいけないかもしれませんね。」
「そっかぁ。ごめんね。」
マリベルの事を全力で信じているローディスは、このことには一生気が付かないだろう。
騙されやすく、単純で、人を疑うことを知らない。
その性格はマリベルの父とよく似ていた。
「マリベル、いろいろ不自由をかけると思うけど、僕は一生、マリベルを守るから。」
ローディスはマリベルの手を握り、その青く美しい瞳にマリベルだけを映した。
「愛してるよ、マリベル。」
彼はこのような恥ずかしいセリフを、さらりと言ってのける。
マリベルは気恥ずかしさで思わず顔をそらしたくなったが、何とか耐えていつもの聖者スマイルを浮かべた。
「ローディス様、私も…」
(愛しています)
そう口にするのは簡単なはずなのに、なかなか言葉がのどから出ない。
(愛して、いるのだろうか)
そもそも、である。
父親と似た性格で、世話を焼きたくはなる。
先日見せてくれたりりしい姿も、ときめくものがあった。
だが、それが愛なのかといわれると、正直、よくわからない。
それがマリベルの本音だ。
続きの言葉を期待していたローディスは少し傷ついたように視線を外した。
「はは、それにしてもマリベルの時間が王妃教育で取られちゃうのは嫌だなぁ。」
妙に明るい口調。あえて話をはぐらかそうとしている。
(どうして言えないのかしら…)
『愛してる』そういえば、単純なローディスはすぐに信じてくれる。
その言葉に、心がこもっていないとしても。
でもどうしても、軽々しく口にしてはいけない気がするのだ。
「王妃教育の時間なんて、無駄なのにさ。あのさ、マリベル、僕ね、」
「きゃぁあああ!」
ローディスの言葉は、けたたましい女性の悲鳴で打ち消された。
「うわぁあああ!」
「ひぃい!何故!何故ここに狼が!!」
突然、来客者たちが叫び声をあげて逃げ始め、その言葉に耳を疑う。
(狼?この王都の教会に?)
到底信じられるものではなかったが、確かに貴族たちが逃げ出した元には、体長2mもあろうかという大きな狼がいた。
青色の毛並みを美しく光らせる巨大な狼が、突如、マリベルの先、10mほどの所に現れたのだ。
「な、なんだあれは!」
「なんで急に!」
狼は視界にマリベルをとらえると、ゆっくりと前のめりの姿勢になった。
「…神獣だ。」
ぽそり、と隣でローディスがつぶやいた。
神獣…。確かに。
この王都に、狼が突然発生することなどありえない。
それに、確かにその狼が野生の狼とは全く違う、とてつもないオーラを発していることは、一目でわかる。
「戦いの神、青狼…!」
どうして突然神獣が?
どうして自分に敵意を向けるのか?
一体誰が神獣を呼び寄せたのか?
様々な疑問が頭をよぎるが、そのようなことを考えている場合ではない。
今自分は、その青狼のターゲットになっているのだ。逃げなければいけないと分かっているのに、その狼から視線が離せない。
「グルルルル…」
気が立っている。完全に戦闘態勢だ。
(逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ、)
でも
恐怖で足が動かない。
狼は大きな口を開きながら、一気にこちらにとびかかってきた。
「マリベル、下がって!」
ローディスが剣を抜いて、マリベルと狼の間に立ちふさがる。
「馬鹿!」
この馬鹿王子!
神獣に、普通の剣は通らない。王家のくせに、そんなことも知らないのか。
無意識、だった。
気が付いたらマリベルは、ローディスの背中を横に押し倒していた。
障害がなくなった、マリベルと青狼の間。
青狼は鋭い牙を光らせて、マリベルの首元にかみついた。
「いやだ、いやだ、マリベル…」
空気がうまく吸えない。頭がうまく回らない。
ドクドクと温かい何かが首元から大量に流れていくのを感じる。
頬には冷たい涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「マリベル、マリベル。早く医者を!聖女でもなんでも早く連れてこい!」
ローディスが、涙を流しながら、マリベルの顔を覗き込む。
(なんて情けない顔。
私がケガしたくらいで、こんなに泣くなんて…こいつ、どれだけ私の事好きなのよ。)
「なんで、なんで僕を庇ったりなんか、」
(かばったつもりなんてないわ、勝手に美談にしないでよ。
身体が勝手に動いたの。
仕方がないじゃない、貴方がいないと、『末永く幸せに』なれないんだもの。)
(あぁ、でもどうやらもう無理そうね。)
視界が端から暗くなっていく。
(私、死ぬのね。)
「マリベル、嫌だ、おねがい、いやだ、」
(おかしいなぁ。
王子と結ばれたヒロインは、末永く幸せになれるはずだったのに。
めでたしめでたし、のはずなのに。)
ピピッ
小鳥のなく声が聞こえる。
(お母様が迎えに来てくれたのかしら。)
(お母様、私、頑張ったのよ。
童話のヒロインのようになろうって、頑張ったの。
恨み言も泣き言も言わなかった。
いじめにだって、ただ黙って耐えてきたのよ。)
(なのに何が悪かったのかなぁ?
やっぱり、あれかなぁ?
本当は心の中で、ずっと、人を妬んで恨んできたから、罰があたったのかなぁ?
ヒロインのように演じることはできたけど、心の中までヒロインにはなり切れなかったからかなぁ?)
「マリベル、マリ、ベル」
(あぁ、もううるさいなぁ。今お母様と話してたのに。)
(ローディス様、言っとくけど私、貴方の事だましてなんかないからね。
他の人と同じようにしか、優しくしてないからね。
優しいヒロインの『演技』をしている私に、貴方が勝手に惚れたのよ。
本当に、もう…この人この先私がいなくて大丈夫かしら…。)
(私を愛してくれた人が全力で悲しんでくれて。
私を愛してくれた人が迎えに来てくれて。)
(これってもしかして、『永遠の幸せ』ってことなのかな。)
(あぁ、もう何も見えないや。
何も聞こえない。
何も考えられなくなってきちゃった。)
「ごめ、ロ…ス…」
(こんなに愛してくれたのに。
嘘でも一度くらい、『愛してる』って言ってあげればよかったね。)
「ごめ…ロ、ス…」
「ゴメロス?誰ですの、それ。」
真っ暗だった視界が急に開ける。
真っ青な空に、みずみずしい芝生。華やかなドレスで着飾った沢山の人たち。
「そんな人いたかしら?名前からして平民の方?」
「まぁ、白男爵家のマリベルには平民位がお似合いかもね。」
「クスクス、平民だなんて信じられないわ。」
目の前で嫌な笑みを浮かべるのは、幼い姿のシャルルとその取り巻き。
「え…?」
「どうしたのマリベル。そんな驚いた顔をして。立ったまま寝ていたのかしら?」
「ベッドがなくても寝れるなんて、男爵令嬢は器用ですわね。」
(何が、起こってるの…?)
とっさに首を手で触る。傷はない。血の一つも流れていない。
「何…?」
ピピッ。鳥の鳴き声がする。
夢でもみているのだろうか。
柔らかい風が吹き、頬をなでるこの感触。
(生きている。私は間違いなく、生きているんだ…!)
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