悪役令嬢断罪事件
ローディスがちらり、とマリベルに視線を送る。
マリベルは小さくうなずいて、再び前に出た。
「私、昨晩シャルル様によって、誘拐され、監禁されました。」
ざわざわざわ、と一気に会場がざわめきだしたところで、靴を脱ぎ、長いドレスを少し捲し上げる。
まず目につくのは、マリベルの足首にしっかりと残ったロープの後である。
そして、続いて、足の先にぐるぐるにまかれた包帯。少しだけ血がにじみ出ているように見える。
「シャルル様は、監禁した私に、今日の卒業パーティーでローディス様と踊らないと約束しろ、といいました。でももしローディス様に誘われれば、王家の誘いを私が断るわけにはいきません。そう伝えると、『では踊れなくしてやる』と…足の爪を、はがされました。」
「ひどすぎる!」
今まで小声でしか会話していなかった生徒たちが、大声を上げた。
「こんなのもう犯罪じゃない!」
「そうだ、いじめじゃない、犯罪だ!」
「聖者になんてことを…悪役令嬢を逮捕すべきです!」
「皆さん、落ち着いて。大丈夫よ、私は無事だったもの。そのあと隙を見てこっそり逃げ出して、騎士団で保護してもらいましたから。」
「だから証拠は!」
アランの声に、マリベルは小さくため息をついた。
「証拠はないだろう!監禁先にシャルルの足跡でもあったか!?そんなものはいくらでもでっち上げできる!」
証拠も何も、アラン自身も当事者だ。
自分の胸に聞けばわかるだろうに、と、罪を認めないその姿勢に、憐みすら感じながら、手にしていたハンカチを開いた。
「監禁先で、拾ったものです。」
シャルル・ゴーヴィッシュと立派な大きな刺繍が施された、名刺代わりのハンカチだ。
「これが、証拠です。」
「シャルル!身元が分かる物は身に着けるなといっただろ!」
ハンカチをみて目を見開き、シャルルを責めたアランの言葉は、実に愚かなものだった。
発した瞬間に、自分でも気が付いたのだろう、はっと口を覆ったがすでに遅い。
そしてシャルルは、その失言に、少しも気づくことがなかった。
「違うわ!私、あの時ハンカチはもっていってないもの!」
するすると口を滑らせたのである。
「最低だわ…だれか、悪役令嬢を拘束して!」
「護衛、早く!」
シャルルたちの言葉をしっかりと聞き留めた周りは騒ぎ立て、あっという間にシャルルとアランは拘束された。
「何よ!だから誤解だって言ってるでしょう!離しなさいよ!」
アランは自分の失言に気が付き顔を青くしたまま、抵抗する気力すらないようだったが、いまだ失言に気が付いていないシャルルはじたばたと暴れた。
「これは誤解なの!私はあの時、旧校舎にハンカチなんて持って行っていない!マリベルが私のハンカチを盗んだのよ!」
「そうか、マリベルは旧校舎で監禁されていたのか。それは知らなかったな。」
「あっ…」
ローディスの追及に、ようやくシャルルは自分の失言に気が付く。
彼女は自ら認めたのだ。
自分が監禁にかかわっている、と。
「…すいません。」
のっそりと後方からひょろりとした背の高い男が現れる。
「…妹が、本当に、もうしわけない…。」
「お兄様、これは!」
「シャルル、黙って。」
シャルルの義兄、ラキオス・ゴーヴィッシュである。
「今日は…両親がきていないので…一家を代表してお詫び申し上げます。」
ペコリ、と浅く、頭を下げる。
寝起きかと思うくらいのぴょこぴょこと跳ねた黒髪。
不健康そのものの何重にも重ねられた目の下のクマ。
その姿でやる気なくゆるりと謝られても、反省しているのかどうかは疑うものがある。
しかしながら、ラキオスという男は、元々こういう男なのだ。
頭の良さだけを認められ、ゴーヴィッシュに養子に入っているが、やる気も気力も何もない男。
「それで…差し出がましいのですが、シャルルの処罰は、我が家に任せてほしいんですけど…。そうしないと流石に父もいちゃもんつけるかなぁって。」
悪意もない代わりに誠意もない。
何を考えているのかよくわからない、不気味な男である。
「まずは被害者のマリベル。君はどういう処罰が希望だい?」
「処罰だなんて、そんな…。私はただ、私の周りの人に危害を与えてほしくないだけです。」
聖者マリベルの言葉に、ラキオスは、クククと喉を鳴らした。
「それでは、ローディス様、貴方は?」
「僕も同じだよ。ただ、マリベルに今後二度と近づくことができないようにしてくれたら、それでいい。」
ローディスのいう処罰は、優しいようで、実は過酷なものだった。
王子の婚約者に二度と近づけないようにする、ということ。
それはつまり、社交界からの一切の排除。
軟禁か、国外追放か、貴族という身分を取り上げるか…これくらいしか選択肢はないのである。
「…わかりました。」
「お兄様!わからないでよ!これは誤解なんですってば!」
とうとうシャルルは涙を流し、拘束された体で唯一動かせる首だけを、ぶんぶんと振り回しながら暴れた。
「王子!私は長いこと貴方のために、辛い王妃教育に耐えてきたのよ!あんまりじゃない!こんな仕打ち、ひどすぎるわ!」
大量の涙がマスカラを溶かし、せっかくの美しい顔は化粧ぐちゃぐちゃ。
振り回した頭のせいで、髪の毛もぼさぼさになったそのシャルルの姿は、あまりにもみじめなものだった。
「…シャルル、君は一度も僕を名前で呼んだことがないね。君にとって僕は『王子』という立場以外の何物でもなかったんだろうね。」
感傷に浸るローディスの言葉など、シャルルに届くことはない。
「マリベル!あんたが!あんたが全部悪いのよ!」
向けられた強い視線を前に、マリベルは悲し気な表情を浮かべた。
「こちら、お返ししますわね。」
ハンカチをもち、シャルルに近づくと、シャルルのポケットにハンカチをねじ込む。
ついでに耳元でつぶやいておいた。
「私の勝ちね、愚かなシャルル。」
マリベルの言葉に、シャルルはカッと目を見開く。
「マリベル!あんた!あんたねぇ!!」
「あぁ、恐ろしい。悪魔が付いてしまったのかしら。」
マリベルは大げさにのけぞると、口元を抑えた。
手で覆われたその口元は思いっきり吊り上がっていた。
「昔から!昔からあんたが嫌いだったのよ!許さない!許さないんだから!!あんたのせいで!あんたのせいでぇ!!」
シャルルは護衛に引きずられ、会場を後にするまで、ずっとマリベルを罵倒し続けた。
マリベルは王子の腕の中で、悲しみの表情を崩すことはなかった。
(あんたのせいって言われても…私は何もしていないわ。)
そう、マリベルはこの3年間…いや正確にはシャルルと出会ってからの15年間、何もしていない。
ただ、耐えていただけ。
童話のヒロインに倣い、反撃もせず、恨み言も言わずにただ耐えていただけだ。
そうやって健気に耐えていたら、勝手にローディスがほれ込んでくれた。
それだけのこと。
(私を取り囲んでイジメたのも、泥水をかけたのも、催淫剤を飲ませて男と閉じ込めたのも、監禁したのも、すべて事実じゃない、シャルル。)
これほどまでにはっきりとした『自業自得』が他にあろうか。
(私は耐えただけ、ただヒロインのように)
そうしたら、幸せになれました。めでたしめでたしってね。
第一王子と公爵令嬢の婚約破棄。
噂好きの貴族たちを喜ばせる、この格好の話のネタは、しっかりとシャルルの悪役令嬢っぷりとともに語り広められた。
のちに、貴族たちはこの事件を「悪役令嬢断罪事件」と名付けた。
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