聖者マリベルと悪役令嬢

「シャルル・ゴーヴィッシュ!僕はこの場で、君との婚約を破棄する!

そして、ここにいる、マリベル・バレリーとの婚約を、ここに宣言する!」


第一王子、ローディスの宣言に、その場にいる貴族学園の全生徒、そして保護者達も驚き、一瞬動きを止めた。


「そんな、いや、まさか…」

「シャルル様って…宰相様のご令嬢でしょう…?」

「あの隣の令嬢は誰なの?」


批判的な保護者席の声とは裏腹に、意外にも生徒たちの多くはキラキラと輝く目を2人に向けていた。


「ローディス王子、ついにご決断されたのね…。」

「あの二人本当にお似合いだわ。」

「聖者マリベル様が王妃になられるんだ、この国は安泰だ。」


聖者マリベル。一部の生徒たちの間で、マリベルはそう呼ばれている。




母が死んでからの13年間。

 『いつも見守っているからね』母の遺言に従って、マリベルは童話のヒロイン、聖者マリーのようになろうと心に決めた。


 聖者とは清らかな人、という意味。

 マリベルは積極的にボランティアに励み、孤児院やスラム街、花街にも自ら足を運んだ。


 聖者マリーは何でもできる完璧なヒロインだった。

 マリベルは自身の向上にも、努力を惜しまなかった。

 結果、学問はもちろん、マナーや馬術、剣術においても彼女は非常に優秀な成績を収めた。


 聖者マリーはいつも笑顔を絶やさないヒロインだった。

 マリベルもまた、いつも穏やかに笑みを浮かべた。

 どれだけいじめられても、嫌がらせや嫌味を言われても、穏やかに笑みを浮かべ、すべてを許した。


 最初は『変わり者の男爵令嬢』という評価しかなかったマリベルだが、次第に生徒たちに認められていった。

 

テストで1位に名前が浮かぶたびに。

 嫌がらせを受けながらもにこりとほほ笑み、ただ静かに立ち去るその姿を目にするたびに。

 スラム街で病気が流行った際に、少ない自らの資金を切り崩し、連日のように炊き出しをする彼女の噂を聞くたびに。


 生徒たちは『マリベル』という人物の偉大さを知った。


 そして、いつからか、マリベルは、童話の聖者マリーに倣い『聖者』マリベルと呼ばれるまでに至った。

 3年生になるころには、公爵家や侯爵家の子息令嬢たちさえも、身分の低いマリベルを慕い、ついに生徒会、副会長の座にまで上り詰めた。


 多くの生徒たちは知っていた。

 生徒会長であるローディスがマリベルに心を寄せていることを。

 ローディスが美しい横顔で、切なそうにマリベルに視線を送る様子に、多くの生徒たちの心を打たれた。


 マリベルの方もローディスに婚約者がいるということから、ローディスへの好意を明らかにすることはなかったが、それでも悪くは思っていないように見えた。


 聖者マリベルと、一途な美しい王子ローディスの恋を、人知れず応援していた生徒は多い。


 しかし、ローディスの婚約者は、宰相の娘で、公爵令嬢、シャルル。

 ローディスは優しく穏やかだという長所があるが、反面優柔不断で気弱だった。

 加えて第二王子との王位継承争いの事まで考えると、きっとこの恋はかなうことはないのだろう、と、生徒たちは思っていたのだ。




そんな中での、この卒業パーティーでの宣言。

多くの生徒たちは驚きながらも目を輝かせ、歓喜した。

「まるでロマンス小説みたい…」

「えぇ、いつものローディス様じゃないわ。あんなに堂々とされて。」

「恋は人を変えるのね…。」


事情を知らない保護者たちとは違い、事情を知っている多くの生徒たちは、小さな声でローディスをたたえたのだ。


多くの生徒たちは、だ。

もちろん、よく思わない生徒もいる。


「どういうことですの!?王子、何を考えてらっしゃるの!」

当然その筆頭は、当事者であるシャルル・ゴーヴィッシュである。


彼女は幼いころからのトレードマークである、銀髪の縦巻きロールを揺らし、憤慨しながら二人の前に立ちふさがった。


シャルル・ゴーヴィッシュ。

可愛らしい顔立ちのマリベルとは対照的に、美しく華やかな顔をしているシャルル。

美しいプロポーションをもつ、見た目だけは『完璧な』女性。

その実、中身は傲慢で気分屋。


マリベルが『聖者』と呼ばれるにつれ、シャルルは同じく童話に倣い『悪役令嬢』と呼ばれていた。


彼女はいつものように、顎を上げ、細い眉を吊り上げて、マリベルをにらみつけた。


「やっぱりあなた、王子を誘惑していらっしゃったのね!王子も!何度も忠告して差し上げたでしょう!この女には気をつけなさいと!」

甲高い彼女のヒステリックな声に、彼女をよくしらない人間さえも思わず顔をしかめる。

「お父様がこの場にいらっしゃらなくて本当によかったですね!許して差し上げますから、さっさとお言葉を撤回してください!」


「撤回などしない。」

本当に、今日のローディスは人が変わったかのように堂々としている。

「僕はマリベルを愛しているんだ。君との婚約は解消する。」

「シャルル様…」

この場で初めて発せられたマリベルの声は、消え入るほどに小さく震えていた。

「このようなことになり、申し訳ありません。」

本当に申し訳なさそうに、深々と頭を下げるマリベルを前に、シャルルの怒りはピークに達した。


「いい子ぶってるんじゃないわよ!マリベル!あんたねぇ!」

持っていた扇子を床に放り投げ、マリベルに駆け寄ろうとしたシャルルを、静かに止めたのは、第二王子、サイオンだった。

サイオンはシャルルの方を抑え、自ら前に出ると、小さくため息をつきながら、二人に視線を向けた。


「兄上、何を考えているんですか?」

サイオン・フィルドール。

ローディスとは違う、茶色の髪を短く切ったその姿は、爽やかな好青年という感じで、見た目だけならばローディスとは違い、平凡、に見える。


「シャルル公爵令嬢を、このような形でないがしろにすることなど、あってはならないでしょう?その隣の令嬢は、男爵令嬢ではないですか。」


だが、サイオンは頭がよく、勘も鋭い。

 判断力もあり、発言力もある。

 はっきり言って『見た目』以外の部分では、ほとんどの分野において二歳上のローディスを上回る。

彼の母親が正妻だったならば、王位継承権一位は間違いなく、サイオンの物だっただろう。


「身分は問題ではないのだ、サイオン。」

しかし、今日はローディスも負けていなかった。

一歩も引くことなく、堂々と言ってのける。


「身分も問題でしょう。兄上、立場を考えてくださいよ。貴方は王位継承者ですよ。貴方の婚約者は、ゆくゆくこの国の王妃になる人物なのです。何のコネクションもない男爵令嬢に務まる仕事ではない。」

「そうよ!」


サイオンという味方を得て、シャルルは再び甲高い声を上げた。


「私はもう13年間も王妃教育を受けてきたのよ!少し勉強ができるくらいのその地味な女が、王妃にふさわしいわけがないでしょう!」


「ではシャルル。君は王妃にふさわしい人物だといえるのか?」

「それはもちろん、」

「長年マリベルをイジメてきた君が、王妃にふさわしいと?」


ローディスの冷静な告発に、シャルルは言葉を詰まらせた。

多くの生徒たちが、うんうん、と同調するようにうなずく。


「ローディス様、もうおやめください…」

マリベルはローディスの肩に手を置くと、ローディスを見上げて小さく首を横に振る。

「マリベル、もう仕方ないよ。自分の罪を棚に上げて、君を責めるシャルルを、僕はどうしても許せないよ。」


「…私は、イジメてなんか、おりませんわ。」

さきほどまでの勢いはどこへやら。いきなり小さく自信なさげになったシャルルの声は、もう罪を認めているようなものである。


「シャルル、君は、」

「ローディス様、それではせめて私の口から…」

マリベルは悲しそうにつぶやくと、ゆっくりと口を開いた。


「私は、長年、いとこのシャルル様に虐められてきました。学園に入ってから、それはさらにひどくなりました。」

「マリベル!嘘をつかないで!」


イザベルの言葉に、マリベルはますます悲しそうに眉尻を下げた。

「シャルル様、とりま…ご友人たちと私を囲み罵声を浴びせ続けたのは、いじめではないのでしょうか?月に一度や二度ではありませんよね?泥水をかけられたことも、トイレに閉じ込められたこともあります。」


穏やかなマリベルの主張に、生徒たちは小さくうなずき、保護者達は目を見開いた。

「私も見たことある…」

「マリベル様はいつもただ黙って我慢されてたわ。」

「だから悪役令嬢なんて言われるのよ。」


「それは、貴方が貴族の常識を知らないから、教えてあげていただけでしょう!?それをいじめだなんて、逆恨みにもほどがあるわ!」

「それだけなら我慢もできました。私が耐えればいいだけですもの。でも、周りにまで迷惑をかけてしまったことは…今でも心苦しいですわ。生徒会全員で作った総会用の資料を滅茶苦茶にされたり、文化祭の舞台の台本を隠されたり…あぁ、先月階段から突き落とされた時は、かばってくれたメアリーさんがけがをされてしまいました。」


「証拠はあるのか?」

いつの間にかシャルルの隣に並んでいた、赤髪の男子生徒、アランが、鋭い視線をマリベルに向けた。

この男もまた、要注意人物。

シャルルにほれ込んでいて、シャルルの為ならば何でもするという危険な人物だ。


「アラン様…貴方と一緒に個室に閉じ込められたこともありましたね。あの時私は催淫剤を飲まされて…ローディス様が助けてくれなければ、どうなっていたか…。」

「酷い…」

ざわざわと生徒たちが騒ぎ出す。


「そういえば一時期、そんな噂が流れたわよね。」

「マリベル様が体を使ってアラン様に迫ってるとか…」

「マリベル様に限ってそんなわけないと思っていたけど…」


生徒たちの声に、マリベルは小さく笑みを浮かべた。


そんなわけない。

本当にあの時、生徒たちはそう思ってくれていただろうか?


「だから証拠はあるのかと聞いている!証拠もなくシャルルを告発しようというのなら、このアラン・ミルディ、騎士の名に懸けて決して貴様を許しはしないぞ!」

「落ち着け、アラン。」


ローディスがマリベルの腰を引き寄せて自分の背後へそっと隠す。

そのスマートな一連の動作に、マリベルの胸がドキリと高鳴った。


「シャルルを告発しようとしたのは僕だ。マリベルには僕が証言をさせただけ。騎士の名は、王家の元にあるはずだが?」


至近距離で見る、ローディスのきりりとした美しい横顔。

こんな時に初めて、マリベルはローディスの事を『かっこいい生き物』だと認識した。


「取り囲んでいた姿を見たものは多いだろうが、それがいじめではないと主張するのであれば、他のことに関する証拠はない。だからこそ、僕もマリベルには悪いと思いながらも、今までシャルルの事を告発できなかったのだ。」

「ならば…!」

「落ち着けといっている、アラン。確かに、シャルル、君は長いこと僕の婚約者で、王妃教育も受けてくれていた。君の性格が垣間見えてしまっても、証拠がない限りはこのような形で君との別れを宣言するつもりなどなかった。元はといえば、婚約者がいながらも、マリベルを愛してしまった僕が悪いのだ。君とは、卒業後十分の話し合いの時間を設け、慰謝料をはらって、正式な手順の元、わかれるつもりだった。…今朝、騎士団に保護されたマリベルを見るまではね。」


ローディスがちらり、とマリベルに視線を送る。

マリベルは小さくうなずいて、再び前に出た。




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