第87話
日付が変わる頃、部屋を訪ねてきたのはエーヴさんの宿屋で働いている人だった。
深く頭を下げた彼女は「私はユゼットと申します。エーヴ様に代わりお迎えに上がりました」と顔を上げる。
エーヴ様、ね。
警戒しようとするジゼルの背中を撫でた。
「彼女を連れて行っても?」
「問題ありません」
「そう。じゃあ、案内をお願い」
小さく頷いたユゼットは部屋を出て歩き始める。相変わらず強い警戒心を働かせているジゼルの背中を軽く叩いて「ジゼル、行くわよ」と声をかけた。
私が落ち着いているのが不思議でしょうがない表情だ。渋々と頷いてくれる。
「……畏まりました」
二人揃ってユゼットの後を続く。宿屋を出たところでジゼルが「どこに連れて行く気ですか?」と低い声を漏らす。しかしユゼットは質問に答えず歩き続ける。
質問に答えないように指示を受けているのね。
あの人の考えそうな事だ。怪訝な表情で詰め寄ろうとするジゼルの手を引っ張って止める。
「そこまで警戒しなくても大丈夫よ」
「エル様がそう言うのでしたら……」
睨み続けるジゼルの頰を撫でて宥める。じっとこちらの様子を見ていたユゼットは「仲がよろしいのですね」と言ってきた。その表情は穏やかなものだ。振り向いて再び歩き始めた彼女の後を歩くと辿り着いたのは夕方にも登った時計塔だった。
やっぱりここだと思ったわ。
「どうしてここに……」
驚くジゼルを他所に時計塔の鍵を開けるユゼット。鈍い音を鳴らしながら開かれた扉の先は灯りがなく薄暗いものだ。ユゼットは深く頭を下げて「どうぞ。エーヴ様はこの塔を登った先に居ります」と言ってくる。もう訳が分からないという表情を見せるジゼルの手を引っ張って中に入ると今度はユゼットが後ろをついて来た。
「階段にお気をつけください」
「ありがとう」
私達が落ちても助けられるように後ろに居るのだろう。それにしても一日に二回も登る事になるとは思わなかった。
魔法で登れば良かったかしら。
そう考えたがすぐに諦める。この時間だと外を歩いている人はそれなりに居るのだ。見られたら面倒な事になりかねないので自力で登る他ない。
ジゼルは大丈夫だろうかと見てみると涼しい顔で登っている。
昔登った時も余裕そうだったわね。
「休憩されますか?」
半分くらいまで登ったところでユゼットから声をかけられるので首を横に振る。
「エーヴさんが待っているのでしょう?」
「時間がかかっても大丈夫だと言付けを頂いております」
「時間に厳しい人が随分と寛容なのね」
嫌味っぽく言ってみせる。返答に困ったのか眉を下げるだけで何も言わないユゼットに「冗談よ。なるべく早く会いたいだけ」と笑いかけた。
階段を登り続けると展望台に続く扉が姿を現す。開けてくれたのはユゼットだった。
「お待たせしました」
ぼんやりとアーバンの町並みを眺めているエーヴさんに声をかける。
こちらに振り向いた彼女の瞳は赤くなっていた。
「お久しぶりですね、と言った方が良いですか?」
「それはこちらの台詞ですよ」
普段よりも高い、年若い女性の声にジゼルが戸惑った声を漏らす。
くすりと笑ったエーヴさんは完璧と呼ぶに相応しい淑女の礼を見せた。
「お久しぶりでございます、ガブリエル様」
本当に私の変装は駄目みたいね。
早急に変装方法を考え直さないと。そう思いながら自身の髪色と瞳の色を戻した。
そしてこちらも淑女の礼を返す。
「お久しぶりですね、エヴリーヌ様」
顔を上げた先に居たのは黒髪赤眼の若い令嬢。マガリー様の愛娘だった。
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