第88話

エヴリーヌ・ド・ブランシュ。

アグレアブル公国を治めるブランシュ公爵家の長女。年齢は十六歳。母親であるマガリー様によく似ている彼女は穏やかな性格の持ち主。幼い頃から交流があった彼女は友達と呼ぶよりも妹のような存在だ。

予想はしていたけど半信半疑だった。私じゃなくても公爵家の娘が宿屋で働いているとは思わないだろう。


「エヴリーヌ様……?」


戸惑いを隠しきれていないジゼルに「ジゼル、変装を解きなさい」と声をかける。

変装を解いた彼女を見るとエヴリーヌはやっぱりと言いたそうな表情を見せた。おそらく気が付いていたのだろう。


「お久しぶりでございます、エヴリーヌ様」

「ジゼルも久しぶりですね」

「エヴリーヌ様だと知らずご無礼な態度を……。お許しください」


深く頭を下げるジゼルに「大切な主人を守る為だったのでしょう?気にしないで」と微笑みかけるエヴリーヌは視線をこちらに戻すと悲しそうな表情を見せた。


「エルお姉様……」


勢いよく抱き着いてくるエヴリーヌを受け止める。今にも泣き出しそうな表情をこちらに向けてきた。

昔から泣き虫な子だったけど今回は理由が分からない。助けを求めるように見たのは彼女の侍女ユゼットだった。先程と姿が変わっており昔よく見た姿をなっている。


「お嬢様、ガブリエル様が困惑していますよ」

「ご、ごめんなさい……」

「いえ、それは良いのですけど」


何から聞けば良いのだろうか。そして私もどこからどこまで話せば良いのか分からない。とりあえず離れようと回された腕を外そうとするが「嫌です!」と駄々を捏ねられてしまう。

成人を迎えたから我儘を言う事がなかったのに。

大人になったと思っていたけど変わらないみたいね。

頭を撫でてあげるとエヴリーヌは安心したように笑った。


「お姉様、どうしてこちらで平民のような生活を送っているのですか?何故オリヴィエ公爵はお姉様を探していたのですか?」

「エヴリーヌ様、落ち着いてください」

「アンサンセ王国で一体なにがあったのですか?」


捲し立てるように聞いてくるエヴリーヌに黙って首を横に振る。心配してくれる気持ちは痛いほど伝わってくるが私に話せる事はない。


「申し訳ありません。今の私に話せる事は何も……」

「どうして他人行儀なのですか!昔のように接してください!」


冤罪であっても私は国を追われた身。つい先日出くわした父の様子からして私を除籍にしている可能性は高いだろう。しかし苦痛に満ちた断罪劇を味わった身からすると公爵令嬢と名乗れない。

名乗りたくないって言った方が正しいけどね。

ただの平民を自負している私がエヴリーヌに気安く話しかけるわけにはいかない。


「訳あって昔のように接する事は……」


瞳を潤ませるエヴリーヌに声が詰まる。

この顔に弱いのよね。

庇護欲の唆る表情を向けられてどうしたら良いのか分からなくなる。後ろからジゼルに「エル様、これ以上は失礼になってしまいますよ」と言われてしまう。

どうやらここには私の味方は居ないらしい。


「分かったから一度離して、エーヴ」


離してと言ったのに「エルお姉様!」と抱き着く力を強めるエヴリーヌに苦笑いをする。会っていない期間は一年にも満たないのにどうしてこんなに子供っぽくなっているのだろうか。


「それでアンサンセ王国では一体なにが……」

「悪いけどそれは話せないわ」

「私ではお力になれませんか?」

「そうじゃないの。ただ……気持ちだけ受け取らせて」


アンサンセ王国で起こった不祥事にアグレアブル公国を巻き込むような真似は出来ない。魔法大国と名高い国が禁忌とされる魔法で傾きかけたなど話せるわけがないのだ。

寂しそうな表情を見せながらも「エルお姉様がそう仰るのでしたら……」と納得してくれる。


「私に出来る事がありましたらいつでも頼ってくださいね」

「ありがとう」


頭を撫でると「これくらいお安い御用ですよ」と胸を張るエヴリーヌに頰が緩む。


「私の事よりもエーヴの話を聞かせて。どうして貴女が宿屋で働いているの?」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る