幕間11 ジェラルド視点

ガブリエルと知り合ったのは今から四年前。

フォール帝国で大規模な舞踏会が催された時だった。


勿論『不要な皇子』である俺は参加する事が許されていなかった。

表向きな理由は病欠、実際には下賤の血が混じった者が参加するなという事らしい。

父は俺を参加させようとしてくれたみたいだけど、自分から断らせてもらった。二十年間も表舞台に姿を表していないのだ。今更出たいとは思わなかった。


舞踏会当日、遠くからは騒がしい声が聞こえてくる。

皇城に住まう全員が会場に集まっているのだろう。


「そうだ」


誰も居ない今なら騎士団の訓練場に入れるのではないか。

いい大人が何を考えていると思われるが一度は憧れた騎士団が立つ場所に行ってみたかったのだ。

そう考えた俺は部屋を抜け出した。

誰にも見つかってはいけないと人が滅多に訪れない庭園を通り抜けようとした瞬間、ガタリと音が響く。

人が居ないと思っていた庭園のベンチには先客がいたのだ。


ぼんやりと月を眺める少女。

白銀のドレスに身を包んでいた彼女は透き通る白髪とルビーを彷彿とさせる真っ赤な瞳を持っていた。

女神のように美しい少女に俺は一瞬で目を奪われる。


「君は誰だ?」


誰にも気づかれないように。

そればかりを考えていたのに彼女に見惚れていた俺はつい声をかけてしまった。

美しい彼女がどんな声を持っているのか気になったのだ。

俺の声に少女はびくりと体を震わせ、恐る恐るとこちらを見た。

横顔だけでも美しいと思っていたが真正面から見るとさらに美しくなる少女。


「貴方こそ誰ですか?」


彼女は鈴を転がすような美しい声を持っていた。

惚ける暇を与えてくれなかったのは彼女の厳しい視線だ。

ハッとなり自身の姿を見直す。俺の身なりは質素な訓練服だった。皇城に不釣り合いな格好だ。

見るからに貴族である彼女は警戒したのだろう。


「俺はジェラルドだ」


俺は決して知られてはいけない存在。

分かっていたのに本名を名乗ってしまったのは彼女に自身の存在を知って欲しかったからかもしれない。


「ジェラルド?それって第一皇子の名ですよね?」


彼女は俺の髪色を見て目を瞬かせる。

赤髪は皇族の証。

貴族である彼女がそれを知らないはずがない。

信じられないと見つめてくる彼女に俺は笑いかけた。


「君の名前を教えてくれないか?」

「ガブリエル。ガブリエル・ド・オリヴィエです」


ベンチから立ち上がり、素人目でも分かるほど美しく優雅な淑女の礼をするガブリエル。

やや警戒気味なのは皇族の証を持ちながら質素な身なりとちぐはぐな見た目の俺が本当に第一皇子なのか分からないからだろう。


「第一皇子は病欠と聞きました。違うのですか?」

「俺は表舞台に出てはいけない存在なんだ」


彼女は訳が分からないと言った表情で俺を見た。

真っ赤な瞳に動揺の色が浮かぶ。


「俺は不要な人間だ。だから表に出る事を許されていない」


自嘲するように笑った。

帝国の隠された秘密を話すのは良くない事だと分かっていたがそれでも彼女には知っていて欲しかったのだ。

少女は怒ったような顔を向けてくる。


「貴方は馬鹿なのですか?」

「え?」

「この世に不要な人間は居ません。誰か一人くらいは貴方を必要としてくれる人が居るのではありませんか?」


彼女の言葉に父の姿が脳裏を過った。

それに気がついた彼女はくすりと笑ってみせる。


「その様子だといるみたいですね」

「あぁ、そうだな。でも…」


父が本当に必要としているのは、愛しているのは俺じゃない。どこか似た雰囲気を持つ母だ。

本当に大切に思われていたら俺は『不要な皇子』として扱われたりはしなかっただろう。


「その人は本当の意味で俺を必要としていないだろう」


意味あり気に「ふぅん」と呟いたガブリエル。

しまった、こんな話をするべきじゃなかったと俺は口を塞いだ。


「ジェラルド皇子は誰かに必要とされたいのですか?」


誰かに必要とされる。

生まれてから不要な存在として扱われ続けた俺はそんな事を考えた事がなかった。


「……分からない」


俺の返答に困ったように眉を顰めるガブリエルは少しだけ考えた後、手を叩き合わせる。

いきなり響いた乾いた音に吃驚している俺に彼女は名案を思い付いたかのような表情を向けてきた。


「ジェラルド皇子、私と友人になりませんか?」

「友人?」

「はい、友人です」


友人とは一体どういうものなのだ。

部屋から出られない俺が友人を作れるのか?


「俺は訳あって部屋から出られない…。君と二度と会う事も出来ないかもしれないぞ」

「関係ありません。私がジェラルド皇子を、皇子が私を友人と思っている限りは私達の友人関係は不滅です」


夜だというのに眩しいくらいの笑顔を見せるガブリエル。

ふんわりと白い髪を靡かせながら俺の前に立った彼女に驚いていると健康的な白さを持つ腕が伸びてくる。

目の前に差し出された手は傷一つない美しいものだった。


「ジェラルド皇子、私と友人になってください」


彼女の手を取りたい。でも、薄汚れた俺の手で彼女のそれを穢して良いのだろうか。


「ガブリエル、俺は…君と友人になっても良いのだろうか?」

「貴方がそれを望んでくださるのなら」


初めて友人になりたいと言われた。

初めて俺の望みを聞いてもらえた。

俺が彼女の手を取らない理由はなくなったのだ。

そっと壊れないように彼女の手を握り締める。

ほっそりしているのに柔らかくて温かいそれに目頭が熱くなってきた。


「ジェラルド皇子、今から貴方は私にとって必要な人です。だからもう自分を不要と言わないでください」

「あぁっ…」


柔らかな笑顔に俺は涙を流した。

乱暴に袖で拭っていると汚れ一つ付いていない金色の刺繍が入ったハンカチを渡される。

綺麗なそれを汚す事に抵抗があった俺は要らないと首を振った。


「友人の証です。受け取ってください」

「良いのか?」

「これは私が刺繍を入れた物ですから、是非」


友人の証。

涙を拭うように渡されたそれを俺は使えなかった。

大切に持っておきたかったのだ。


「涙、拭いてくださいよ」

「嫌だ。これは大切な物だから使わない」


我儘を言う俺にエルは仕方ないと呆れたような表情を見せた。


「ありがとう、ガブリエル」

「……ジェラルド皇子、私達はもう友人なのです。どうか私の事はエルとお呼びください」


唐突な発言に戸惑っていると「友人とは愛称で呼び合うものですよ」と言われる。

エル、エルか。

心の中で彼女の愛称を呼ぶ練習をした。

よし、と意気込んでから彼女を真っ直ぐ見つめる。


「え、エル」


二十回は練習をしたのに吃ってしまった。

くすくすと笑うエルに恥ずかしくなって「エル、笑うな」と顔を顰めた。


「ごめんなさい。それでジェラルド皇子に愛称はありますか?」


俺は首を横に振る。

名前ですら呼ばれない生活を送ってきたのだ。

愛称があるはずない。


「ならば、ジェドと呼ばせてください。良いでしょうか?」

「エルが呼んでくれるなら何だって良い」

「ジェド様」


かぁっと胸が熱くなる。

愛称で呼び合う。たったそれだけの事なのに嬉しくて堪らなかったのだ。

もっとエルと話したいと思ったがそれは叶わなかった。


「エル?どこだ?」


若い男の声にエルはすぐに反応をする。


「シリル殿下」


声だけで誰か分かるのか。

そう思いながら振り向くと遠くにはエルと同い年くらいの若い男がきょろきょろと辺りを見回していた。

豪華な衣服を身に纏い、金色の髪に透き通る青の瞳を持つ彼を見つけたエルは嬉しそうに頰を赤く染める。

決して俺には見せなかった表情だ。


「ジェド様、ごめんなさい。私、もう行かないといけないみたいです」

「あ、あぁ…」

「貴方は必要な人間ですからね、それだけは忘れないでください。また会いましょう」


忘れないように念押ししてきた彼女は最後に笑って、俺の脇をすり抜けて行った。

振り返ると若い男と仲睦まじそうに歩いて行く彼女の姿が目に入る。

胸の奥に痛みが走ったのを俺は気が付かないふりをした。


「また会おう、エル」


大切な人が出来た日を俺は二度と忘れないだろう。



ガブリエルの正体を調べるのはとても簡単だった。

隣国アンサンセ王国の公爵令嬢。

そしてアンサンセ王国の王太子シリル第一王子殿下の婚約者。


「あの時の男は婚約者だったのか…」


道理で仲が良いはずだ。

エルには婚約者がいる。その事実を知った時、胸の痛みを感じた。それはエルとシリル殿下が仲睦まじそうに歩いて行く姿を見た時の胸の痛みによく似ていた。

ああ、そうか。


「俺はエルが好きなのか…」


生まれて初めての恋。

どれだけ想っても決して叶わないそれに胸が苦しくなった。

それでも俺が彼女を忘れる日が来る事はなかった。

エルは大切な友人なのだから。



そして四年後、俺は森の中で彼女と再会を果たした。

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