第8話 王子様と村人の彼女と魔王の俺⑤

 俺はアンソニー没後200回忌の二国合同式典に出席するべく、徒歩で魔人国に帰還する途中で雨に遭い、大きな楠の木の下で雨宿りしていた。


 そこに少女が、かごの中身を濡らさないように小さな手で精一杯かばいながら駆け込んできた。赤い頭巾の少女はハンカチで顔をぬぐいながら辺りを見回して、俺と目が合うと、あわててそこから駆け出そうとするので引き留めた。


 不審者を見るような目で見られていることに、ショックを受けつつも、魔王だと名乗るのも驚かせるかと思い、俺は魔人で騎士と名乗り、小さい子供を襲わないことを誓う。するとペコリと頭を下げて礼を述べられた。


「助かりました、騎士様。村まで、もう少しかかるから、ちょっとだけ休憩したかったんです」


 礼儀正しい少女はそう言ってから頭巾を外し、手櫛で髪を整えると改めて、きちんとした淑女の礼をした。


「私は、この先にある村の者でアンといいます、騎士様」


 田舎の村娘にしか見えない少女の、完璧な淑女の挨拶に戸惑いつつ、彼女の茶髪と茶色い瞳に吸い寄せられてしまいそうになった。この国の平民にとっては、ごくごくありふれた、その普通の姿が輝いて見えてしまうのは何故だろう?


「私は、魔人のレイフォードだ。よろしくな、アン」


 俺も小さな淑女に、正しき騎士の挨拶をすると、彼女はにっこりと可愛らしい笑みを浮かべて、かごから林檎を一つ取り出した。


「私は隣の村からのお遣いの帰りで、これは八百屋のおばさんにもらった林檎です。よかったら、どうぞ」


 少女の手には、真っ赤な林檎が一つ。


「君がもらったのだろう?いいのかい?」


「私、旅の方に会うのが、初めてなんです。少しだけ話し相手になってくれませんか?」


 恥じらいながら、林檎を差し出す少女から林檎を受け取ると、俺は手の力だけで林檎をきれいに半分に割り、片方をアンに渡した。真ん丸く茶色い瞳を見開いてまま、アンは林檎を受け取った。


「半分こ、してくれて、ありがとうございます!すっごく私、嬉しいです!」


 頬を林檎のように真っ赤にしながら、アンは俺に礼を言ってニコニコしながら林檎にかじりつく。俺もアンがくれた林檎をかぶる。少し小さめだが、実が詰まったうまい林檎。初対面の旅人に少しの警戒心しか持たない少女。俺はアンソニーの功績を思い出した。


 アンソニーが頑張って、その子らも頑張った結果、この国は、貧乏から脱却することに成功したのだ。農地改革を行い、自国民たちが、お腹いっぱいに食べることが出来るようになった。浮浪者もいなくなり、犯罪も他国に比べ、圧倒的に減り、こんな少女が一人でお遣いに行けるぐらい、治安がよい国になった。


 余所の国の旅人に対しても、警戒心が少ないのも理由がある。アンソニーは、他国からの入出国に、とても厳しい身元審査基準を設けたからだ。他国の者が犯罪を犯すと、その国に多額の違約金や賠償金を請求し、それを断れば、その国にを売らないと通告したのだ。


 アンソニーの国の食料は国民のお腹は膨らませても、まだ輸出するほどの量は生産できなかった。他に資源となるようなものが何もなかった国を豊かにするために、アンソニーが使ったのは絹であった。この絹の秘密を守るために、徹底的に審査を行ってきたアンソニーの国は、200年近くたった今、「女性が一人旅するのに、もっとも安全な国」と言われるようになったのである。


 雨の中、俺の話す異国の話に夢中になり、また自分の家族や村のことを話すことに、一生懸命な、その姿が微笑ましくて、可愛らしいアンに俺もつい笑顔になってしまう。


「私は村に友達が一人もいないの。こんなにも楽しくお話が出来たの、レイフォード様が初めてです」


 こんなにも可愛らしいのに、どうしていないのか不思議に思い問えば、話をきかないというアンの村の村長の息子のことを説明された。


「それは、災難だったね。じゃ、私がアンの最初の友達に立候補しよう」


「!!ホント?いいんですか?」


「友達の印に、これをあげる」


 俺は上着の第二ボタンをちぎって、アンに手渡す。


「この竜の模様は、私しか身につけられないものだから」


 アンは嬉しげに笑顔を見せた後、眉をシュンとさせた。


「私、交換できる物、持っていないの……。せっかくの初めてのお友達なのに……、あ、そうだ!」


 いいことを思いついたとばかりに、アンは俺にかがむように頼んだ。


 チュ!


 俺の右頬に小さなキスが降ってきた。


「私は何も持っていないから、私のお友達へのキスは全部レイフォード様にあげます」


 アンは他に友人が出来てもキスはしないと誓って、迎えに来た母親と帰っていった。俺は右頬の天使のキスの感触を忘れられないまま、……気が付くと、獅子王デューダに何故か執政室で頭からバケツの水をかけられていた。


「ロリコン滅びろ!!」


「ロリコン違うし!お友達のキスだし!!」


 そう、お友達のキスだ。お友達の-。キスの感触をつい思い出して、ブンブンと首を横に振る。


 アンは、まだ12歳の可愛らしい少女だ。なんだ、キスくらい、もう300歳近い魔王である俺の長い人生において、キスの一つや二つ……。あれ?俺誰かとキスなんてしたっけ?え?ええっ!?


「俺、もしかして初めて、キスされた……?」


 魔王に生まれて300歳近い俺、まさかの初めての頬にキス。呆然とする俺に顔を青くさせて獅子王デューダが引きつった。


「ゲッ!?魔王様!まさかの……で?」


「っるっっせい!!!どうせ、俺は……だよ!」


 そうだ、俺は生まれて100年くらいは恋愛事に興味はなく、アンソニーに出会ってからは、アンソニーに一筋だった。アンソニー亡き後も、また会えることを願って放浪していた俺に、そういう類いの経験値は……皆無だ。だからといって俺はロリコンには走らないぞ!だから獅子王よ、それ以上のバケツの水は止めてくれ!


 俺はロリコンではないけれど、何故かアンからの頬へのキスが忘れられずにいた。アンソニーのことが好きだったのは本当なのに林檎を分け合った少女のことが、ふとした瞬間、心に浮かびあがることに俺は戸惑った。


 4年が過ぎ、これは、もしかしなくても、二度目の恋に落ちたかもしれないとようやく自分の気持ちを自覚しはじめたころ、城の鐘が200年ぶりに特別の音色を奏で始めた。魔人族の平均寿命は、だいたい400年くらいで、このメロディーのことを覚えている者は多かったし、アンソニー亡き後は、これは魔人族に生きる希望を与えてくれた勇者の危機を知らせる魔曲で、アンソニーの魂の危機を鐘が察知して奏でられると伝説として語られていたため、国中が大騒ぎになった。


 アンソニーが転生していた!助けが必要だ!なのにどこにいるのか、誰なのかも、わからない!!


 俺と魔界四天王と城中の者たちは、大急ぎで各国に潜ましている諜報部に魔法通信を出し、なにか騒動か事件がないか調べた。答えは、すぐに見つかった。


 隣国で勇者の剣が抜かれたのだ。あれは憎らしいユーリが、自分が転生後にアンソニーに出会うために、人間とは思えないほどの執念の魔力で、魔術を施した魔剣だ。隣国では勇者の剣と伝承されているが、あの剣の正式名称は、『最愛のアンソニー様の元へ、ユリウスを導く剣』である。人間のくせに、ユリウスはアンソニーへの執着が俺とほぼ互角くらい強かったらしく、200年たっても効力が保たれていたようだ。


 アンソニーへの友情の証として、守護魔法を施した関係で、隣国の王城の一角に魔人族の結界調整係という名の特派員がいる。今は三毛猫王ミュカが派遣されているのだが、彼女から隣国の王城の謁見の間で起きていることの映像魔法(遠距離での出来事を投影して見ることが出来るというアンソニー発案の魔法)が送られてきた。


 隣国の王城の謁見の間の中央で、金髪の男に3人の美女がまとわりついている。そこへ茶色い瞳と髪を持つ、素朴な、それでいて、とても可愛らしい女性がやってくる。彼女は3人の美女に罵詈雑言を浴びせられながらも、懸命に彼女達を説得していた。そして彼女は城の補佐官たちに、ある命令をされている。


 三毛猫王ミュカは、アンソニーに映像魔法を教えてもらってからというもの、その技術を磨くことに生きがいを感じ、アンソニー曰く「手ぶれもなく、カメラワークが秀逸で、臨場感たっぷりの映画監督になれる」という不思議なお褒めの言葉をもらったことが自慢らしく、三毛猫王の率いる猫獣人族は、その後200年近く、映像魔法を研鑽することに邁進した結果、まるで目の前で行われているような映像を見ることが出来るようになった。200年前を知っている魔人族たちの目から、涙が次々浮かんで零れる。


「ああ、あの交渉術の巧みさ……、お懐かしい」


「平民にも関わらず、補佐官たちが青くなっていく、あの話術!!」


「相変わらず小柄でいらっしゃるのに大きく見えるところも、お変わりがない」


「また生きて、お目にかかれようとは!」


 魔界四天王の後の3人も泣いている。もちろん俺も泣いている。これが泣かずにいられようか!あれはアンだ!4年過ぎたが、見間違える訳がない!16歳のアンは小柄で可愛らしい素敵な大人の女性に成長していた。二度目の恋かもしれないと思った相手は、アンソニーの生まれ変わった姿だったなんて……。顔は全然似ていないが、茶色い瞳と茶色い髪、小柄な女性であることに俺は嬉しさを感じずにはいられない。


そして隣国から緊急魔法通信が届く。相手は隣国の第一王太子。勇者の剣が抜かれた経緯から、勇者パーティーなるものが結成されてしまったことも、俺の命を狙ってくることも説明され、そのパーティーを捕獲、殲滅することも了承された。


これは王とサリーミレジェット姫の無謀な一存で行われた個人的な暴挙で、国としては一向に良しとしていないことを念押しされ、第一王太子が帰国次第、王を引退させることも約束される。包み隠さず、報告しましたというもの俺たち魔人族にとっての重大なことは語られていなかった。


そう、アンの命の危機のことは何も語られてはいなかったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る