知能あるゾンビのフォークダンス【私と貴女】

 足元から雉が立つように、八月の真中、地獄の釜の蓋が開いた。



 瓦礫が散らばって煤けた道に、乗用車が停まっていた。

 その車窓には大量の手垢の跡。それから、垂直に引きずられてべっとりとついた血痕。

 車内には若い女性と高齢の女性の姿があった。ガソリンが底をつき、ただの鉄屑となった車。心許ないシェルターに取り残されている二人とも蒼白な顔で後部座席に並んで座っていた。

「義母さん……貴明さんは生きていますよね……? 私、貴明さんに守られて……でも、貴明さんは……」

「余計なことを考えるんじゃないよ。生き延びることを考えな。こんな地獄で妻を守ろうとするなんて、我が息子ながら、見上げたやつだよ」

「義母さん…」


 嫁の啜り泣きを横耳に聞きながら、姑は窓の外を見た。

 道の向こうのビルの前には数人が覚束ない足取りで徘徊している。 


 彼らは生者ではない。人の血を啜り肉を喰らう死者だ。


 姑は憐れみの視線を切り上げて、嫁に言った。

「私は外に逃げる。私はね、こんな寂しい棺桶でひもじい気持ちでくたばるなんてごめんだ! あんたも腹括りな!」

 姑は言うが否やドアを開け放ち、猛然とビルに向かって走っていった。昔、陸上の県体に出たことが姑の誇りだった。


「そんな、ダメです! 外はダメです義母さん! 義母さん! あ! あ、嘘! ゾンビきてるゾンビきてるよ! あ! アッ! アぁぁぁぁぁ! 義母さんぁぁぁんーー」


 *


 外界から隔離された車内で、嫁は膝を抱えて嗚咽していた。脳裏にはありありと姑の姿が焼き付いていた。遠目に見た苦悶の表情は、死者たちの手で沈められた。死者たちが去った後には、ピクリとも動かなくなった姑が打ち捨てられていた。

 口だけは悪かったが、至らないところだらけの自分の味方でいてくれた。嫁は項垂れ、目を瞑る。


 ダンッ


「ヒィ!」

 

 窓を叩いたのは姑だった。

 安堵が嫁の胸に沸いたが、すぐに不信感に変わる。

 元々白内障気味だったといえど、彼女の黒目は白濁し、血走っていたのだった。しかも、毛髪の隙間から脳みそがはみ出ていた。もう、彼女が生者でないことを知った。嫁は顔を伏せて泣き声を上げた。

「こんなのあんまりだ…! 義母さんに孫の顔を見せてあげたかった!」

「何度も言わせるんじゃ無いよ、あんたたちの問題だ、孫なんていい」

「え! まだ意識が!?」

 土色の顔で話し出した姑の声はいつも通りハキハキとしていた。血の混じった唾が飛ぶ。

「そんなことより、悪いがあんたには我が一族伝統の盆踊りを覚えてもらうよ!」

「ええ、今ですか!?」

「もう私に時間はないんだ!」


 戸惑う嫁を姑は外へ誘う。今、外に他の死者はいない。嫁は姑の言葉を信じて、外へ出た。


「あたしの後に続きな!」


 死んでもなお、踊り狂うは、盆の踊り。

 その時、他の死者の姿を嫁は認めたが、姑の歌の力か、不思議なことに、死者は動きを止めた。

 嫁は姑の背中を必死で追い、舞った。

 姑から嫁に受け継がれる伝統の舞。


「義母さんの意思は私が継ぎます……!」


 嫁が前で踊る姑に向かって力強くいうと、姑が振り返った。

 姑の白濁した目と視線がかち合う。涎がだらりと襟に垂れた。

 目の前のこれはもう自分が知っている姑ではないと理解した。


 ガブゥ…!


 アーーーーッ!


 *


 死者しかいない世界で葬送の盆踊りは続く。

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